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【黒柳徹子】「ちょっと子供みたい。それがまた、とっても素敵」なシャンソン歌手、舞台女優の越路吹雪さん

  • 2023.2.6
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黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第10回】歌手 越路吹雪さん

20世紀はテレビ、21世紀はSNSなんていうものが普及して、今は、知りたいことはすぐ調べられるし、聴きたい音楽もすぐ聴ける時代になりました。でも20世紀に、テレビにはほとんど出ていないのに、誰もがその名前を知っていて、その歌の素晴らしさを知っている、不世出の歌手がいらっしゃいました。私のお友達でもあった、越路吹雪さん。ビックリしちゃうぐらいテレビにお出にならない方なんだけれど、何度か舞台でご一緒したことのある私の番組だからと、1976(昭和51)年の7月に、「徹子の部屋」に出てくださったことがあります。

私は、越路吹雪さんのことを、なぜかずっとフルネームで呼ぶ癖がありまして、越路吹雪さんも、私のことを「黒柳徹子さん」とフルネームで呼んでくださいました。テレビに出たくない理由は、「テレビはあがっちゃうの。普段は、舞台に出ているから、キャメラなんて意識しないけど、いざキャメラを意識すると、覚えている歌が出てこなくなってしまう。譜面がないと歌えないぐらいあがってしまうの」と、そのときおっしゃっていました。

私が音楽学校に通っていた時期に、越路吹雪さんが初めて帝劇でミュージカルの主演をなさった舞台を拝見しています。本当にたまたまなんだけど。それが、「モルガンお雪」っていって、明治時代にアメリカの金融王に見初められた京都の芸妓の女性の生涯を描いた、日本で初めての国産ミュージカル。その出演をきっかけに宝塚をお辞めになって、本当にいろんな舞台で活躍するようになるんだけれど、いちばん有名なのは、エディット・ピアフの「愛の讃歌」でしょうね。作詞家の岩谷時子(つねみ)さんがマネジメントをなさっていて、旦那様で作曲家の内藤法美さんが、越路吹雪さんが歌う曲の作曲や編曲をするというぐらいだから、音楽の作り手たちが、いかに越路吹雪さんの歌に惚れ込んでいたか! 「モルガンお雪」で初めて拝見したときは、ものすごく迫力と貫禄があって。あとで、当時まだ26歳だったと伺ってビックリ。またそんな私の感想を聞いて、「当時は『年増の色気』なんて言われて、いまだにいつ年増になっていいかわかんないまま、来ちゃった」なんて茶目っけたっぷりにおっしゃるんです。

当時、日生劇場を平気で1ヵ月も満員にしていた「リサイタル」は、一回の公演が全部で二時間半ぐらいあって、アンコールも含めて26曲ぐらい歌うんです。それもお一人で! セリフが入って、ドラマ仕立ての歌なんかもあって、それを本番までに全部覚えなければならないから、「一つの曲を消化するのに、1ヵ月はかかります。お稽古をたくさんして、体の中にその歌が染み込んで、血となり肉となって出てくるまでには、時間がかかるの」ですって。

私がいちばん楽しかったのは、越路吹雪さんから伺う、旦那様のお話。内藤さんはとてもダンディで、女性から人気がありました。でも、内藤さんご本人は越路吹雪さん一筋。お二人が、はじめてそういうことになったとき、ズボンを脱いだらステテコをはいていて、「あのステキな人が、そんなステテコをはいているなんて!」って驚いたそうです(笑)。しかも、ステテコの紐が解けなくて、とてもお困りになっていたと。それを「徹子の部屋」でお話しいただこうと思ったら、「何のこと?」なんてとぼけていらっしゃいましたけど。

子どもっぽい無邪気さのある方でしたが、音楽に関しては真剣です。このときも、9月から始まるリサイタルの音楽を、6月から練習していると話されていました。越路吹雪さんにとって、一曲は一つのドラマ。カーテンが開く前に、ザワザワと聞こえるとゾッとして、「自分独りだ」と思うのだそうです。「そんなとき、マネージャーの岩谷さんが、背中に虎という文字を書いてくれるんだけど、初日は毎回、耳が真っ赤になって、どこの神様を拝んでいいかわからなくて、やたらと拝む。でも、スポットライトの中にいてしばらくすると安心する」と、そんなことをおっしゃって。並の状態でお客様に楽しんでいただくまでには、自分はまだまだだ、と。「でも、いつも出発点にあるっていうか、そういうふうな気持ちでいるのが、いちばん仕事ができるみたいね」とにこやかに話してらしたあの姿は、今も忘れられません。

歌手 越路吹雪さん

歌手

越路吹雪さん

1924年生まれ。東京都出身。日本のシャンソン歌手、舞台女優。宝塚歌劇団の男役スターとして、戦中から戦後に活躍。終戦後「ブギウギ巴里」でレコードデビュー。51年に帝劇コミックオペラ「モルガンお雪」で国産ミュージカル女優第1号に。同年宝塚を退団。日生劇場でのリサイタルは当時「最も入手困難なチケット」といわれた。1980年11月、胃がんのため死去。享年56。

─ 今月の審美言 ─

「越路吹雪さんとのおしゃべりは、いつも話があっちにいったり、こっちにいったり。ちょっと子どもみたい。それがまた、とっても素敵なの。」

写真提供/時事通信フォト 取材・文/菊地陽子

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