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【王朝最悪!非道な国王】甥から王位を奪った叔父はさらに何をしたのか?

  • 2023.2.2

「朝鮮王朝最高の名君」と称された4代王・世宗(セジョン)が晩年に悩んでいたのが王位継承問題だった。世子になっていた長男は病弱だった。それに対して、二男の首陽大君(スヤンデグン)は王位に野心を燃やしていた。

世宗は自分が世を去った後に後継者争いが起きることを心配し、世子に早く後継ぎを作ることを勧めた。幸いに世孫(セソン=世子の息子)が生まれた。彼は幼い頃から聡明で世宗がとても可愛がった。

1450年、世宗が亡くなり、長男が5代王・文宗(ムンジョン)として即位した。けれど、世宗が心配したとおり、文宗はわずか2年で亡くなった。それによって、かつての世孫が11歳で6代王・端宗(タンジョン)となった。

未成年の端宗が王になると、金宗瑞(キム・ジョンソ)を中心とした高官たちが王に代わって政治を仕切った。

本来なら、王が未成年の場合は、王の祖母か母が代理で政治を行なうのだが、あいにく2人とも他界していた。それゆえ、高官たちが政治を担ったのだ。

その状況を不満に思っていたのが首陽大君だった。彼は露骨に王位を狙う動きを見せた。

『不滅の恋人』では世祖をチュ・サンウク(左)が演じて安平大君にユン・シユンが扮した
権力を掌握した非道な男

金宗瑞は首陽大君のことを警戒し、安平大君(アンピョンデグン/世宗の三男)に協力を頼んだ。こうして優秀で人望も高かった安平大君が端宗を支えた。

首陽大君は焦りを隠せなかった。そこで、彼は一気に逆転をめざしてクーデターを起こした。

首陽大君は金宗瑞の屋敷を訪ねると、隙をついて彼を殺害した。そして、すぐに端宗に会い、脅す形で権力を掌握した。このクーデターは、癸酉の年(1453年)に起こったので、「癸酉靖難(ケユジョンナン)」と呼ばれる。

このとき、哀れにも安平大君は流罪となり、その後に死罪にされた。

後ろ盾を完全に失った端宗は1455年に王位を叔父に譲らなければならなくなった。こうして首陽大君は7代王・世祖(セジョ)として即位した。

端宗が王位を退くと彼を復位させようとする動きが活発になった。端宗が生きている限り、復位運動がなくならないと痛感した世祖は、1457年に甥を死罪にした。本当に非道な男であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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