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ハチャメチャな植物学者だった牧野富太郎 朝ドラ『らんまん』主人公の雑草人生

  • 2023.1.30
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2023年4月にスタートするNHK連続テレビ小説『らんまん』のモデルは、日本の植物学の父と称される牧野富太郎である。日本史などの授業で『牧野日本植物図鑑』の名前を聞いたことはある、という人はいるだろうが、あまり馴染みのない学者のイメージが今日では一般的だろう。

植物学というジャンルや、ドラマでは主人公「槙野万太郎」を演じる俳優が神木隆之介さんということもあり、牧野富太郎も「草食系」で地味な学究肌の優男という先入観を持たれるかもしれない。

しかし、牧野自身が1956年に出した『草木とともに』を、KADOKAWAが2022年に文庫化した本書は、その印象を完全に裏切り、牧野の実像は破天荒そのものだったことが伝わってくる。

それは植物に魅せられ、植物に関する知識についてならば誰にも負けないという意志、あるいは植物が持つ生命力が人間の姿をして現れたような気にさせる。新種の発見や同定について猛禽類を思わせる闘争心を隠さない。著名な学者であろうが、昔の本草学の名著であろうが、間違いと断ずれば、その学説を否定・批判することに容赦はない。

小学校中退で独学、ロシア亡命計画も

幕末の土佐で造り酒屋の一人っ子として生まれた牧野は、すぐに父母を亡くし、祖母に育てられる。子どものころから植物に興味を持ち、寺子屋から藩校、開設したばかりの小学校で学びながら、「本草学」などの書物に親しんでいく。年譜によれば14歳ごろ、「いつとはなしに小学校を退学」したが、翌年にはそこの代用教員となっている。早熟の天才といっていいだろう。

このあと、家業には見向きもせず、植物採集と研究に独学でのめり込み、何のツテもなく東京に出て行き、当時の東京大学の研究室の門をたたく。まさにハチャメチャな人生が始まる。

学歴がない一方で、先見の明もあった牧野は、一度は許された東大の出入りを、ライバル視した教授に禁止されると、なんとロシアの植物学者のもとに行く計画を立てる。この計画は、当のロシアの学者が病没したこともあって実現しないが、牧野は本書でそのことを「ロシア亡命計画」とも表現している。

NHKのドラマのタイトル『らんまん』は、花が咲き乱れる「春爛漫」と、「天真爛漫」から取ったらしいが、こうした牧野の自由奔放な個性と波乱万丈な人生が余すところなく表現されているのが、本書である。

本書は、サブタイトルに「自伝」をとっている。ただ、「年譜」に生涯の事績をまとめてはあるものの、一貫した自伝の体裁ではなく、「はじめのことば」にあるように、過去を回想しながら明治から昭和に至るまでの植物学者としての考えを随筆風に記したものだ。

そこには牧野の博覧強記ぶりも発揮されている。当時最新の植物学はもちろん、本草学や中国・日本の古典から学んだ漢字に関する知識が、これでもかというほど開陳される。それによれば、元の漢字が当時の中国で指していた植物からすると、杉はスギではなく、椿はツバキでなく、藤もフジではないという。もちろん、その漢字が指していた本当の植物の学術名も載っている。本書の初版刊行時、漢和辞典編集者はさぞ慌てたのではなかろうかと思う。

94歳の生涯、晩年は超有名人に

生涯に50万点の標本や観察日記を残した牧野だが、遊び心のある文も多く、「ナンジャモンジャの木」の章は、歴史と植物と洒落が混然一体となった文章である。「わが初恋」の章では、妻となる寿衛子を東京の菓子屋で見染めて求婚するまでを臆面もなく伝えている。60代半ばで理学博士の称号を得たものの、世間的な成功とは無縁だった前半生を支えた伴侶である。今回のドラマでは「寿恵子」として浜辺美波さんが演じる。

本文庫の解説は作家でクリエーターのいとうせいこうさんだ。ベランダ園芸をするうちに牧野を知って人一倍、親近感をもつようになり、その事績も調べたという。学歴もなく、大きな肩書もないまま、牧野は1957年に94歳で人生を閉じるが、いとうさんによれば、後半生はかなりの有名人になっていたとして、こう記す。

「彼のやることはすぐに新聞記事になったのだし、何度も亡くなりかける晩年には特にその容態が逐一報道されていたと聞いている」

テレビやネットがまだ普及する前の話だから、いまなら超人気タレントの扱いだろう。生涯で最高の肩書は講師だった人物が独学で植物学を大成し、自ら植物画も描いた牧野。あけっぴろげな行動と性格を貫いた爺さんが、当時の日本人を魅了していたのだと思うと、なんとも愉快な気分になってくる。

本書には「牧野一家言」という章があり、そこに雑草についての文がある。

「世人はいつも雑草、雑草と貶(けな)しつけるけれども、雑草だって決して馬鹿にならんものである。味えば味うほど、滋味の出てくるものがある」(原文ママ)

雑草として生きた牧野だからこそ、言えた言葉であると思う。

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