1. トップ
  2. 【世界の立入禁止スポットvol.10】水銀の川が流れていた!? 謎のベールに包まれた〜中国・秦始皇帝陵〜

【世界の立入禁止スポットvol.10】水銀の川が流れていた!? 謎のベールに包まれた〜中国・秦始皇帝陵〜

  • 2023.1.22

かつて13の王朝が都を置き、都城としての歴史は通算1,100年以上にもおよぶ中国の「西安」。ここはシルクロードの起点でもあり、古代ロマンが息づいています。今回は、そんな西安の世界遺産「秦始皇帝陵」をクローズアップ! 発掘調査がなかなか進まず、立ち入ることができない地下宮殿の秘密にも迫ります。

 

 

秦の始皇帝はどんな人物?

秦の始皇帝は、2,000余年存続した皇帝支配体制の創立者です。荘襄王(そうじょうおう)の死により、13歳で即位。韓・趙・魏・楚・燕・斉の6国を滅ぼし、紀元前221年に中国統一を果たし、王の称号を捨てて「始皇帝」と称しました。

そして、周代の封建制度を廃して郡県制を確立し、度量衡・文字・貨幣などを統一。また、文字の簡略化、万里長城の増築、阿房宮といった荘厳な宮殿の築造を行いました。

しかし、始皇帝陵などの大土木事業や外征で国民に大きな負担を与えたため、始皇帝の死後、末子の胡亥(こがい)が帝位を継ぎましたが、反乱が起こり、秦はわずか15年で滅びました。

秦始皇帝陵には地下宮殿がある!?

秦始皇帝陵は始皇帝の命で造られた大規模な陸墓です。中国陝西省西安の、驪山の北側に位置します。彼が王になってからすぐに建設が始められた陵墓は、約70万人の労働力によって、約40年の歳月を費やして完成。高さ76mの二重の外壁に囲まれています。

さらに前漢の歴史家である司馬遷の「史記」によると、地下には宮殿があり、侵入者を射る弓が設置されていて、水銀の川が流れていたとか。また、天井には宝石と真珠が散りばめられていたといいます。

調査により、墳丘の地下30mのところに、東西170m、南北145mの地下宮殿があることが発覚! 水銀の濃度についても自然界よりもはるかに高いという調査結果が出ました。地下宮殿がどのようになっているのか見てみたいところですが、残念ながら発掘調査は進んでおらず、立ち入ることはもちろんできません。

偶然見つかって大騒ぎになった「兵馬俑坑」

秦始皇帝陵から1.5kmほど離れたところにある兵馬俑坑は、秦始皇帝陵の馬俑坑です。1974年に地域住民が井戸を掘っていて偶然見つけた陶器の破片がきっかけとなり、兵馬俑坑が発見されました。兵馬俑は古代の歴史書に記されていましたが、存在を疑問視されていたのです。発掘された兵馬俑坑は3つあり、坑内から陶俑陶馬8,000点、青銅器が4万余点が見つかっています。

兵馬俑の「俑」とは、人形(ひとがた)の意味です。中国では墳墓の副葬品として埋葬された、人間の形を模してつくられた像のことを指します。この兵馬俑坑には、神将約180cmで、表情や服装、髪型がすべて少しずつ異なる像が整然と並んでいて圧巻です。さまざまな民族が秦に従属していたことを示しているとか。

加えて、兵馬俑が身につけている武器や装飾品のほか、戦馬、戦車も精巧につくられていて、当時の技術レベルの高さがうかがえます。

1号坑から見つかった戦車を引く陶馬

また、兵馬俑は陵墓を護るように「品」字形に並び、すべてが東を向いて配置されている点が興味深いです。当時、秦は中国の西方に位置していたため、敵国が東にあったと考えられています。

兵馬俑坑の発掘・研究は着実に進んでいる

2023年1月、中国の陝西省文物局による発表によると、1号坑から新たに220体余りの陶俑が出土し、軍陣の配列がほとんど解明されたほか、陶俑の制作工程も明らかになったそうです。陶俑の制作工程は、まず大きく成形してから細かい彫刻を施し、その後に両腕を接着していたとのこと。

今後、さらに発掘・研究が進み、秦始皇帝陵と兵馬俑坑の全容が明らかになる日は来るのでしょうか。地下宮殿の内部も写真で良いから一度は見てみたいものですね。

秦始皇帝陵および兵馬俑坑

住所:Lintong District, Xi'An, Shaanxi, China 710612

[参考]

中国駐大阪観光代表処/秦の始皇帝陵と兵馬俑坑

AFP BB News/秦始皇帝陵で新たに陶俑約220点を発見 軍陣配列も初歩的解明

[All photos by Shutterstock.com]

元記事で読む
の記事をもっとみる