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【京都発祥地】日本の陶磁器振興に貢献☆清水焼陶芸家も従事「京都市陶磁器試験所」

  • 2023.1.21

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は東山区、清水寺にもほど近い場所にある公園。かつて、京焼や日本の窯業の発展に貢献した施設のあった場所。

日本の窯業の発展に貢献した施設

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東山区、清水寺にもほど近い場所にある「六原公園」。特に何か特徴があるというわけでもない公園。敷地内にはこの六原エリアの住民の交流の場となる施設があったり。

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そんな公園内にある石碑。そこには『京都市陶磁器試験所発祥地碑』と書かれています。かつてここには、陶磁器製造技術の開発と技術者の養成を目的に、明治29年(1896年)京都市陶磁器試験場が設立されました。

それ以前の江戸時代、茶の湯の流行に伴い、粟田焼・清水焼などの、通称『京焼』の茶陶器の製造が盛んでした。

明治時代には茶陶の需要は激減するも、欧米向けの輸出品の製造が増加。しかし、当時の陶磁器製造は徒弟制度による閉鎖的な技術の継承・後継者の養成だったため、新しい技術開発は進まず京焼は次第に衰徴。明治22年(1889年) に京都で開催された第4回内国勧業博覧会では、他府県の進出に比べて、京焼の保守的な体制により、そのブランド力の陰りが明らかに。

それに奮起した有志者の運動で、この京都市陶磁器試験場が設立。試験場では 原料や釉薬の研究改良、製法の機械化など、従来の手工的方法を改めて工場の生産能率を高め、量産化に努めた。

これ以降、大正8年(1919年) には 全国を指導する陶磁器研究機関「国立陶磁器試験所」に昇格し。伏見区に移転。昭和27年(1952年)には機構改革により、本拠地を京都から名古屋へと移した。

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今回、なぜこの京都市陶磁器試験所発祥地を訪れたかというと、タイル好きが集う愛知県の多治見市モザイクタイルミュージアムに訪れた際、モザイクタイルの先駆者・山内逸三が京都市陶磁器試験所でその技術を学んだことを知り、試験所がいかに日本の窯業の発展に貢献したかを別の角度から知り、実際行ってみたい、と。

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さらに、大正、昭和にかけて京都を拠点として活動した名陶工・河井寛次郎も試験所の技師として従事していたと伝わり、他にも多くの名陶工も施設にかかわった。

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公園自体には石碑のみで、その片鱗もありませんが、公園の南に隣接する駐車場から、レンガ造りの2本の煙突が見えます。これは『藤平登窯』と呼ばれ、明治中期に建造された藤平陶芸社の登窯の跡。市内に完全な形で保存されている唯一の登窯で、昭和43年(1968年)まで現役で陶器が焼かれていました。住宅の密集する京都の町中での操業は困難となり、ガスや電気の窯に役割を譲って廃窯となりましたが、現在は文化遺産として保存されています。

京焼、さらには日本の窯業発展に大きく貢献した施設跡。そんな歴史を感じながら訪ねたい場所ですね。

詳細情報

名称:京都市陶磁器試験所発祥地
場所:京都市東山区梅林町

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