1. トップ
  2. 【黒柳徹子】「くよくよしないの。陰気は悪徳、陽気は美徳!」と語る作家・宇野千代さん

【黒柳徹子】「くよくよしないの。陰気は悪徳、陽気は美徳!」と語る作家・宇野千代さん

  • 2023.1.12
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第9回】作家 宇野千代さん

“女流作家”という言葉って、今はもうあまり耳にすることがなくなりましたが、昔……というか昭和の時代は、女性が憧れる生き方をしている代表が、たぶん“女優”と“女流作家”だったように思います。私も、向田邦子さんとはとっても仲が良かったし、「徹子の部屋」が始まってからは、ゲストで女流作家の方に来ていただくたびに、それぞれにいろんなスタイル、生き方があるなぁと、毎回感心したものです。その中でもいちばん印象に残っているのが、宇野千代さん。ずっと前からお目にかかりたいと思っていて、やっとお会いできたのは、宇野さんが84歳のときでした。

当時は、代表作でもある「生きて行く私」を毎日新聞に連載されていて、その年齢で新聞連載を続けるのは、新聞史上でも空前だと随分話題になっていました。宇野さんは、戦前の昭和11年に「スタイル」という名前のファッション雑誌を創刊されたり、着物のデザインをしたりと、とにかく多才。「徹子の部屋」にも、ご自身でデザインした着物をお召しになってご出演なさいました。最初、年齢のことを申し上げるのは失礼かと思っていたら、「もう、歳のことはどんどん言っちゃってちょうだい。84歳になっているのが自慢なんです」なんておっしゃる。あまりにお顔がツルツルでお綺麗なので、「シワとかおありにならないでしょ?」と聞くと、「はい、あのね、シワのないのは生まれつきなの。人間にはね、色の黒い生まれつきとか、白い生まれつきとか、あるでしょ? 私はね、シワのない生まれつきなの」……なんてあっけらかんとおっしゃるので、私も「はぁ」と口籠もってしまいました。赤ちゃんのときにシワがないのは当たり前なのに、それを、「生まれつきシワがない」と受け止めるなんて!

実業家としても成功されていたので、「クリームでもお作りになってお売りになろうとか、そういうことはお考えになりませんでした?」と聞くと、「そんなおんなじものをつくるのは面白くないです。着物をつくるのは面白いけれどね」という返事。私も自分のことを相当楽観主義の、おめでたい人間だと思っていましたが、宇野さんのおめでたさは筋金入りでした。

私はすっかり楽しくなって、今度は普段から気をつけていることを伺いました。すると、「あのね、くよくよしないの。陰気は悪徳、陽気は美徳!」「よく失恋するんですけども、失恋してもね、ちょっと泣くけども、いい着物着て表へ出ちゃうの。表へ出るとね、男は女の数とおんなじほどいますからね、すぐいい人がめっかっちゃうの。そしてめっかったらね、すぐ『私、あなたが好きよ』って言うの。好きよって言って、嫌がる人はいませんね」と、全部の答えが陽気で元気。もう笑っちゃうぐらい。

健康法として、一日1万歩を歩くと伺っていたので、どこを歩いているのかと聞くと、これがなんと30畳ある自宅の部屋! 今の人はわからないかもしれないけれど、昔は数字を、「ヒイ、フウ、ミイ、ヨウ」って数えたので、その数え方で、百までいったら、指を折って、千歩までいったら、別のこと……家事なんかをやったりして、一日の合計で1万歩になるようにしていたんだそうです。今でいうリモートワークを、健康的に、楽しみながら自分のスタイルでやってのけていらっしゃる。その後も、交際されていた作家の尾崎士郎さんとの馴れ初めなんかを伺って、翌日の分と2回にわたって収録をしたのですが、その間中ずっと私は、お話ししてくださる一言一言に笑ったり、ドキドキハラハラしたりしていました。

私が何よりビックリしたのは、「〜で、その日は、○○さんと寝ちゃったの」なんて、そういう男女の秘め事を、あっけらかんと話すこと。実家の岩国から北海道にいる旦那さまの元に帰る途中で、東京の出版社に寄って、そこで出会った尾崎さんに一目惚れしてしまったのだから、旦那さまからすれば妻に出奔されたことになります。それでも、宇野さんの性格をご存知だったから、「帰ってこない処置をしてくれたらしい」ってこれまたのん気に語っていらっしゃいました。画家の東郷青児さんとも、女の人と情死をしようとしたと新聞に出てたので、話を聞こうと会いに行って、「寝ちゃったの」。

ずっと笑ってお話を聞いていたのが、最後のほうは、なんだか涙が出そうな気分になってきました。純粋な魂に触れるとそうなるのかな、なんて思ったことを覚えています。恋愛について、「スピードがなきゃダメ! ぐずぐずと『しないほうがいいかな』なんて考えるなら、しないほうがいい」。こんなアドバイスは、今の人たちが聞いたら、なんて思うのかしら。でも、今のような時代こそ、宇野さんの陽気さに励まされる人も多いんじゃないかと、私は思うのです。

宇野千代さん

作家

宇野千代さん

明治30(1897)年山口県岩国生まれ。大正3(1921)年に岩国高等女学校を卒業後、学校の教員やホテルの給仕などをしながら小説を書き始め、大正10年に「脂粉の顔」が「時事新報」の懸賞小説で1等に当選し、作家活動に入る。代表作に「色ざんげ」「おはん」など。1996年に急性肺炎により98歳で生涯を閉じる。

「生きていく私」(中公文庫)

「生きていく私」(中公文庫)
数え100歳で上梓した、波乱の人生を赤裸々に綴る一大自伝。いとことの結婚、新聞懸賞小説の入選、尾崎士郎との出会いと同棲、東郷青児、北原武夫とつづく愛の遍歴を語る。

─ 今月の審美言 ─

「すっかり楽しくなって、普段から気をつけていることを伺うと、『くよくよしないの。陰気は悪徳、陽気は美徳!』とお答えになるのです!」

写真提供/共同通信社 取材・文/菊地陽子

元記事で読む
の記事をもっとみる