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【佐々木依里のメディテーションジャーニー】太陽礼拝は動く瞑想

  • 2023.1.12

みなさん明けましておめでとうございます。今年も、自分との対話力をつけていけるように瞑想を通して心の仕組みや在り方をお伝えしていきたいと思います。

私は昨年末に初めて太陽礼拝108回を成し遂げました。いつかはチャレンジしてみたいと思いつつ、心のどこかで避けていた太陽礼拝108回。

ヨガスタジオから配信されたヨガインストラクターのリカ先生のカウントに合わせて自宅で一人、オンラインで参加しました。

太陽礼拝は、サンスクリット語でスーリヤナマスカーラ、英語ではSun Salutationといわれています。12のポーズを連続しつなげ一連の動きとなります。12のポーズは12ヶ月を表しており、その意味は「一日の始まりに、太陽に挨拶し、その恵みに感謝する」「1つの礼拝を行なう度に、煩悩が1つずつ浄化されていく」といわれています。

1年の終わりや始めにあらゆる煩悩を浄化し、心身をクリアーにする目的で108回の太陽礼拝が行われるようになりました。

108回という数字の由来は、インド哲学において神聖な数の9。その倍数の108はとても神聖な数とされています。108を1マーラーという1つの単位で呼びます、神々を讃える真言を唱える時にもこの108回が採用されます。

私がチャレンジした太陽礼拝108回の感想は、一言で言えば本当に辛かったです。

厳密に言うと、今回はカウントが大変なため108分行いました。108回以上になる計算です。

太陽礼拝A54分+太陽礼拝B54分=108分

まず、前半はギリギリなんとか動けるのですが、後半は腕がプルプル、足がガクガク、そして何よりも精神力が崩壊し始めました。

誰も見てないから座っちゃおうかな? なんでこんなこと始めちゃったんだろう。これやって何になるんだろう。やめちゃおうかな。頭の中は後悔でぐるぐる、リタイヤしたい気持ちがいっぱいになりました。

それでも止まらない太陽礼拝、一連の動作には休みがないため、ダウンドックまで止まる所がないのです。ダウンドックでようやく呼吸を整えネガティブな気持ちを抱えたまま、また最初の動作に戻っていく。

腕の疲れがピークに達した時、後半の太陽礼拝Bが始まります。Bは腰の捻りや前後の開脚が加わり、ついに足がいうことをきかなくなります。ダウンドックの時に足踏みやストレッチをしてなんとか、頭の中のネガティブなおしゃべりを紛らわせていました。

もうだめだ、太陽礼拝Bの開脚で左右がどちらか分からなくなり、さらに同じ動作を繰り返している為ついに頭がクラクラしてきたのです。意識が朦朧とし、もはや自分が何をやっているのか分かりません。

頭の中のお喋りどころではなく、足も手もガクガク。気がついたらマットにチャイルドポーズで座っていました。

あれ? 1回おやすみしちゃったのかな? 2回おやすみしたのかな? 「よし次は立ち上がろう」。そうして太陽に向かってもう1回、もう1回と、ふらふらな状態で太陽礼拝を続けました。希望の兆しが現れたのは最後の最後でした。

「ここでやめたら、今までの分がもったいない、もう1回だけ頑張ってみよう」そうして、太陽礼拝をする。

「ほら出来た、次は後屈を深めてみよう」太陽礼拝をする。

「よし、今度は呼吸を大切にやってみよう」そして、自分を励ましながらなんとか、最後の残り数回にさしかかった頃、不思議な感覚が湧き上がってきました。

「この1回を大切にしよう」「太陽礼拝ができる自分に感謝を送ろう」「今日はこの世界に感謝を送ろう」と前向きな感覚が湧いてきたのでした。

それは、始める前に「感謝をして自分の祈りを捧げよう」心に決めたマインドセットを思い出した瞬間でもありました。

やり遂げた後は、ただただ嬉しくて興奮していました。感情の浮き沈みをこんな短時間で体験できて、自分の弱ささえも抱きしめたい気持ちでいっぱいになりました。弱音は吐いてもいい、諦めてもいい、それでも自分を見守り続けること。自分の弱さを認めることは辛いけれど、こんなにハッキリと頭の中で弱音をいう自分に出会えたのもすごく嬉しかったのです。笑ってしまうほど自分は弱い。しかし、その弱さを励ます優しい自分、やり遂げたことを分かち合えるスタジオのメンバー、そして何よりもこうしてこんな経験をさせてくれるこの地球と宇宙に感謝が止まらない太陽礼拝となりました。

太陽礼拝108回は、まるで感情の荒波の旅をするような貴重な瞑想体験となりました。

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