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人の不幸は蜜の味。ブラックな自分を、どう克服するか?

  • 2023.1.11

人の不幸を知った時に出るドーパミンの悪しきスパイラル

『ブルージャスミン』という映画を観たことがあるだろうか。主演のケイト・ブランシェットがオスカーをはじめ、主だった賞を総なめにした、傑作にして超問題作である。優雅な生活を送ってきたセレブが転落し、路頭に迷う、あまりに切ないストーリー。ただ、一文無しなのにヴィトンを持ちシャネルを着る、すでに尋常ではない主人公の行動を巧みに描く作品は、一体何を伝えたかったのか受け止め方はそれぞれ違ったが、多くの人がそこに不可解な快感を覚えたと言った。ハッピーエンドではない後味の悪さはあったものの、映画の登場人物も、それを目撃する自分たちも、ヒロインの不幸と引き換えに、ある種のカタルシスを得たのである。

人の不幸は蜜の味……日本の言葉かと思ったら、西洋にも中国にも同じ意味の言葉があって、そもそも古代ローマの円形劇場で剣闘士の死闘をショーとして観ていた時代から、人間はこのかなりヤバイ感情と隣り合わせだったことになる。

現代においても、SNS上の炎上やセレブのスキャンダル報道の下地にあるのはその心理。経済学の世界にさえ「隣人たちの収入が上がることは、自分の収入が減ることと同じ程度の不幸をもたらす」という論文があるほど。もちろん激しく個人差はあるけれど、人間が永遠に克服できない感情であるのは確かなのだ。

とはいえ一方で、みんなこうも思いたい。「私は人の不幸を喜ぶような人間では断じてない」と。それもまた一つの真実。そういう意識を失ったら、人はいけないスパイラルの中に入っていってしまう。

それは、人の不幸を知った時に出るドーパミンの罠。ドーパミンとは快楽ホルモンと呼ばれる脳内物質で、痛みや辛さを緩和してくれると同時に、心地よさや意欲をもたらす働きがあるために、人はさらなる快感を得ようとしてしまう。

当然のこととして、人の悪口で盛り上がった時にもだだ漏れしてくるドーパミン、つまり人の悪口ばっかり言っていて悪口依存症になってしまう最大の原因は、このドーパミンなのだとも言われる。

そうした科学的根拠を挙げていくと、余計に避けられない心情であると正当化したい気持ちにもなってしまうけれど、だからこそ反対側にある“自分は人の不幸を喜べない女”という自覚がマストになるわけで、せいぜい2つの心を闘わせるべき。蜜の味を感じるたびに、反対側にある意識を登場させて、それを“モグラたたき”のように叩いておくべきなのだ。

バカバカしいと言わないで。人の不幸を喜ぶ自分を、最初からコントロールできるなら苦労はないけれど、大体がそういう褒められない感情は人が宿命として背負ってしまうもの。どうしても蠢(うごめ)いてきてしまう感情だからこそ、見つけたら叩くしかないのである。

ブラックな自分をどこかでわかっていて、操作することができる、それこそが大人。だからさらなる心がけは、せめても不幸を喜ぶ対象を最低限に絞っておく。つまりマウントしてくる意地悪な子の失敗は、ちょっとだけ喜んでしまっても、その他全員の不幸は決して喜ばないと決める、みたいに。また小さな失敗は蜜でも、致命的な失敗は誰であろうと同情できる自分であろうとするみたいに。

でもさすがに無理なのは、誰かと競っている時。相手の成功は自分の負けにもつながるわけで、相手の失敗を望まない人間がいたら会ってみたい。もちろんそういう時、一流のスポーツ選手はみな「自分との闘い」と言う。相手の成績は眼中にない、と。でもそうは言ったって、ライバルの競技や演技を目のあたりにしなければいけない場面は多々ある訳で。

実は、今や伝説ともなっている興味深い話がある。ゴルフ界の常識を塗り替えたほどのスーパースター、タイガー・ウッズの信じがたいメンタルだ。その一打で優勝が決まるプレーオフの時、相手のパットが外れれば自分が優勝するという場面。そこでウッズは相手のパットも「入れ!」と願うというのである。

そんなバカな!と言うだろう。でも心底そう思うことによって、明らかに自分が変われるという。その時ライバルの一打が決まっても、落胆することなく「彼も入れたから、自分も入れよう」と前向きにプレーできるというのである。なるほど確かに理屈の上ではあり得ても、本当にそんなことが願えるものなのか。

でもここで「失敗しろ」と思ったら、清廉潔白であろうとする善意の自分による“モグラたたき”が起きて、自分が自分に負ける。つまり、相手の成功を祈ることは自分に勝つことなのだとも理解できる。とてつもなく難しいが、そこに蜜の快楽から抜け出す大きな鍵があるのだ。

ブラックな自分を垂れ流すと、将来モンスター化する?

たとえば、失敗すればいいのにと思っていた人が成功してしまった時、一人悶々と悔しがるばかりではストレスの塊となって心身にダメージを与えてしまうので、逆に「おめでとう」「よかったね」とあえて相手を祝福する。面と向かうと引き攣るから、メールでも充分。怒りは紙に書くと収まるというが、逆にそういう祝福の言葉も文字にして自分に見せると、自らの心も洗われたりしてしまう。人の不幸を喜ばない善意の自分を前面に押し出すと、紛れもなくストレスが消えるのだ。

言い換えれば、人の不幸を望む自分は、人が幸せになるほどに打ちのめされ、多大なダメージを受けてしまう。だから闘っている2つの感情のうち、善良な自分を無理やりにでも勝たせるよう心がける。そうすると、結果的に自分が楽になるのだ。やがて、めったやたらに人の不幸を喜ばない人間が育っていくはずだから。

ちなみに人の幸せを喜べた時、まるでご褒美のように分泌されるのが幸せホルモン、オキシトシン。相手の成功も祈ってあげられた時、人は明らかに魂レベルが上がる。顔も変わる。絶対に美しくなる。だからこれも美容なのだ。

さて、人の不幸を喜ぶのと、人の悪口を言うのとは本来別のこと。心の中でいくら不幸を喜んでも、口に出さなければ形にはならないが、ブラックな快楽ホルモンはそうした負の感情を誰かと共有したい気持ちを生み、悪口に発展する。

悪口も人間の性(さが)として、ほとんど避けられないもの。しかも悪口はお付き合いの一環、100%人の悪口を言わないという人も、社会においては案外生きにくいのだ。ただ、悪口はドーパミンを分泌させる一方で、知らず知らずストレスを生んでいる。本来はストレスのダメージから救ってくれるはずのコルチゾールが出っぱなしになることで、逆に心身にダメージを与えるからこそ、慢性化させてはいけないのだ。つまり悪口はたまに口からあふれ出しても、言い続けてはいけない。日々誰かと会うたび悪口ばかり言っているのは最悪。どうしても言わなければ気がすまない時だけミニマムに口にするよう心がけること。それでもけっこうな数になるのが、悪口なのだから。

いずれにせよブラックな自分は誰にでも潜んでいる。封じ込められなくて当然。要は、黒さをどこまで表にさらさずに生きられるか、なのだ。でも人間よくできていて、神の仕業か、さまざまなホルモンがそのお仕置きをする仕組みになっている。だから人間やっぱりできるだけ清らかな存在でありたいと思い続けるべきで、そういう意味でもブラックな自分を完全に自覚すること。ちゃんと自覚して、垂れ流すのではなくコントロールする、それが重要なのだ。それだけで人間は年齢とともに、少しずつ少しずつ浄化されていく。垂れ流し続けると将来、悪口が生き甲斐のオバサンモンスター化しやすいから。

できるならば時と場合で、それこそタイガー・ウッズ式に、敵の成功を祈ってみる。実現不可能なテーマかもしれないけれど、本当にそれができるようになった時こそ、人間、魂レベルが一段上がり、人生は大きく変わっていくのだろう。いつも心に留めおいておく。それだけでいい。

ブラックな自分は誰にでも潜んでいる。封じ込められなくて当然。でも人間よくできていて、神の仕業か、さまざまなホルモンがそのお仕置きをする仕組みになっている。だから人間やっぱりできる限り清らかな存在でありたいと思い続けるべきなのだ。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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