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家入レオさん、デビューから10年。「ゼロか100かという生き方が変わってきた」 アニメ『火狩りの王』OP曲で伝えたいこと

  • 2023.1.11

デビューから10周年を迎えたシンガーソングライター・家入レオさん。1月14日からスタートするWOWOWオリジナルアニメ『火狩りの王』では、オープニングテーマを担当します。“火”を失った人類最終戦争後の世界を描いた本作から感じとったもの、自身の作曲や音楽について、語ってくれました。

最終戦争後の世界を描いた長編ファンタジーアニメ

――『火狩りの王』は脚本・構成が押井守さん、監督は西村純二さんと、アニメ界を牽引するクリエイターによる壮大な世界観の作品です。本作で印象的に感じた部分はどんなところでしょうか?

家入レオさん(以下、家入): すごいなと思ったのは「嘘のない描写」ですね。この数年、新型コロナウイルスの影響で全世界の人たちが人生のターニングポイントを迎えたと思うんです。「コロナの期間に結婚も増えたし、別れも増えた」という話も聞きます。自粛期間に時間ができたことで、それまでは日々の忙しさでなんとなく答えを先送りにしていた自分の人生のテーマについて、みんな向き合ったと思います。

でも自分と向き合う時間って、決して楽しい側面だけではないですよね。今回の『火狩りの王』は、そうした生きていくことの光と影の両面が描かれていると思いました。「生きることは楽しいこともあるけど、やっぱり苦しいこともある」と描く勇気に、胸を打たれました。

朝日新聞telling,(テリング)

――今回の主題歌『嘘つき』のタイトルは、その「嘘のない描写」という印象から出てきたのですか?

家入: まさにそうですね。最初に企画資料を読ませていただいた時に、この作品は伏線の量が「うわ〜すごい!」と思っていたんです。だから主題歌は、シンプルに結論から言った方がいいんじゃないかと。頭サビから曲が始まるのも、だからなんです。ストレートに作品の世界観が伝わることを意識しました。

――今回の『嘘つき』はサウンド面も歌詞の面も、歌声にしても、暗さとほんの一筋の光が見える作品になりましたね。

家入: 本当にそうなんです。この作品の主人公の子どもたちは、最終戦争後の混沌とした世界を生きていきます。だからこそ、親切にしてくれた人の優しさが一層身に沁みる。その一筋の光が、子どもたちにとって多大な希望になる。その様子に圧倒されました。

作品と自分、共通点を見つけて

――タイアップ曲を作る時は、どのように作品と接しているのですか。

家入: 私は、作品でも人でも、自分との共通点を見つけるのがすごく好きなんです。「この方のこういう考え方は私と似ているのかもしれない、もうちょっとよく知りたいな」って、人との関係性を作っていきます。作品に対しても同じ接し方をします。

作品は自分の写し鏡。原作小説などを読んでいくうちに、「私、この気持ち、なぜだか知っているな」とか「こういう生き方や価値観、自分にもあるな」と、心の中で思い当たることがよくあります。今回の『火狩りの王』の場合、主人公は灯子(とうこ)という11歳の女の子で、私も自然と自分の幼少期を振り返りました。学校や周りの大人の人たちが私に対して、愛を持って「生きることは楽しいこと」、「夢を描くことは素敵なこと」と伝えてくれたことを思い出しました。

でも、いざ社会に出てみると、夢を描くことがすごく難しい現実もある。私は、子どもたちには光だけを見せるよりも、愛情を持って現実を知らせることの方が大事だと感じているので、そういう部分で子どもたちに厳しい現実も見せる『火狩りの王』は、自分の価値観と似ている部分があるなと。

朝日新聞telling,(テリング)

――今回の主題歌の歌詞では、まさにそうした現実の厳しさが歌われていますね。

家入: そうした思いで、「逃げて負けて泣き叫んで 諦めてもワガママでも それでも生きてるってことなの」という歌詞を書きました。現実に打ちのめされても、恥じなくていいんだよと言いたくて。

この作品で心を打たれたのが、登場人物の「この先の世界が生きるに値するのかを見てみたいと思った」という言葉でした。『火狩りの王』は最終戦争後の世界が描かれているので、もともと子どもたちは光を知らないところからスタートするんです。それでも火の存在をよく知らないからこそ、子どもたちは火に向かって進んでいきたくなる。人生は先がわからないから、人は希望を持って突き進んでいく。そして時には傷ついてしまうこともある。そういった部分もきちんと描きたいと思って、主題歌を書きました。

毎日、少しずつでも背伸びをしてみる

――2022年はデビュー10周年の全国ツアーがありました。

家入: この2年間は、コロナの影響でライブ自体できなくなることが多く、久しぶりにファンの皆さんの前に立ってみると、「待ってくれている方たちがいるから、私って歌えているんだ」と、改めて感じさせられました。でもステージに立っていない時間も結局、歌を聴いてくれている人のことを考えちゃってるというか。

例えば曲を書いている時、「今、私が書いている曲はどういう風に伝わるんだろう」って思うんです。ステージに立っている非日常の時間だけじゃなくて、日々の暮らしの中で、私の歌を聴いてくれている人を、誰かを、結局ずっと想ってる。そういう思いで作った曲をライブで届けると、「こんな表情をしながら聴いてくれるんだ」って、また曲を作りたいって気持ちに戻ってくる。幸せのループですね。

朝日新聞telling,(テリング)

――10年間で、アーティストとして変化した部分はどんなところですか?

家入: 16歳で上京してきて、デビューが17歳。その頃は、「3年後、私は東京で歌っていられるんだろうか?」という漠然とした大きな不安を抱えながら生きていました。当時は高校に通いながら仕事をしていたし、もうその日のことで精一杯。明日のことを考える余裕もないぐらいでした。根を詰め過ぎると、心と身体がどこか歪んできてしまって、バーンアウトしては元に戻すのにまた時間がかかってしまう。この10年間でそういった経験もありました。

自分の大好きな音楽を長く続けていくにはどうしたらいいのかと考え続けました。そして、今は「今日一日の中で、ちょっと背伸びする」という頑張りを、毎日少しずつ続けていくことが大事だなと思うようになりました。外のお仕事を終えて、家に帰った後、疲れたな、しんどいなと思っても、ちょっとだけ頑張る。締切が近い歌詞、ギターの練習、発声練習……。それを毎日続けていったら、私、スーパーヒーローになれる気がしていて(笑)。

私、本当にゼロとイチしか持ち合わせていないタイプの人間だったので(笑)。いや、ゼロイチならぬ、ゼロヒャク? 徹底的にやらないか、人の何百倍も頑張るかの2つの選択肢しか自分の中に持っていなかったんです。でもその真ん中を広げて、ようやくグラデーションが出来てきた。極端に振り切らないところで、毎日少しずつ頑張っていきたいですね。

■横山 由希路のプロフィール
横浜生まれ、町田育ちのライター。エンタメ雑誌の編集者を経て、フリーランスに。好きなものは、演劇と音楽とプロ野球。横浜と台湾の古民家との二拠点生活を10年続けており、コロナが明けた世界を心待ちにしている。

■品田裕美のプロフィール
1983年生まれ。出版社勤務を経て、2008年 フリーランスフォトグラファーに。「温度が伝わる写真」を目指し、主に雑誌・書籍・web媒体での撮影を行う。

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