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没後30年、リヴァー・フェニックスの最期を振り返る

  • 2023.1.9

俳優リヴァー・フェニックスが1993年に薬物の過剰摂取のために23歳という若さで亡くなってから2023年で30年。リヴァーの最期を振り返る。(フロントロウ編集部)

1993年10月31日に23歳の若さで死去したリヴァー・フェニックス

リヴァー・フェニックスは映画『スタンド・バイ・ミー』や『旅立ちの時』、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』、『マイ・プライベート・アイダホ』などに出演して、1990年代の初期に最も注目を集める若手俳優となったが、1993年10月31日に23歳の若さで帰らぬ人となった。

画像: 1993年10月31日に23歳の若さで死去したリヴァー・フェニックス

リヴァーは亡くなった日、友人であるジョニー・デップが所有する米ロサンゼルスのナイトクラブThe Viper Roomを訪れていた。きょうだいであるホアキンとレインの付き添いとして、当時交際していた恋人で俳優のサマンサ・マシスも連れてこのクラブを訪れたリヴァーは、ジョニーがレッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーであるフリーやジョン・フルシアンテらと組んでいた“P”というバンドが当日にそこで演奏することを知り、フリーやジョンとも友人だったリヴァーはバンドの演奏を観ることにしたという。

サマンサが後に英The Guardianに明かしたところによれば、2人はホアキンとレインを見送ってすぐにその場を後にする予定だったそうで、滞在することは想定していなかったという。「その晩は悪い予感がしていました。私には理解できないことが起きていると。薬物をやっている人は見かけなかったのですが、彼はある意味ハイになっていたので、私は落ち着きませんでした」とサマンサは2018年に英The Guardianに語った。

「あの晩に彼がハイになっていたことは知っていましたが、彼を殺すことになったヘロインは、The Viper Roomに入店した時にはまだ作用していませんでした」とサマンサは英The Guardianとのインタビューで振り返っている。英Far Out Magazineによれば、リヴァーはPの演奏を観ていた際に体調が優れなくなり、通路に出たところ、その場に倒れたという。

画像: リヴァー・フェニックスが亡くなったThe Viper Room。
リヴァー・フェニックスが亡くなったThe Viper Room。

サマンサはその際、リヴァーがボディガードによってクラブの外へと運び出されているのを目撃して、すぐに後を追ったという。外の歩道へ出たところでリヴァーが痙攣するのを目にしたサマンサはすぐにクラブへと戻り、彼のきょうだいたちにも助けを求めた。緊急通報したのは当時19歳だった弟のホアキン。リヴァーはすぐに病院に搬送されたが、病院で死亡が確認された。

ナイトクラブの所有者で、当日クラブにも居合わせたジョニー・デップはリヴァーが亡くなった晩のことについて、1996年に米Playboyとのインタビューで次のように振り返った。「誰かが亡くなったと聞いて、涙を流しました。それがリヴァーだと聞いたのは、朝の4時か5時のことです」。

死因はコカインとヘロインの過剰摂取

亡くなって2週間が経とうとしていた米現地時間1993年11月12日にリヴァーの検視結果が発表されて、コカインとヘロインの過剰摂取によって亡くなったことが明らかになった。検視結果によれば、体内からは致死量のコカインとヘロインが見つかったほか、バリウムやマリファナ、風邪薬として市販されているエフェドリンも検出されたという。

画像: 死因はコカインとヘロインの過剰摂取

リヴァーは当時、1日に12時間撮影というスケジュールで行なっていた遺作となった映画『ダーク・ブラッド』の撮影を米ユタ州で終えて、ロサンゼルスに戻ったばかりだった。リヴァーが亡くなったことを受けて同作は一度お蔵入りになったものの、監督のジョルジュ・シュルイツァーが2009年に制作を再開して、ここ日本でも2014年に公開された。

(フロントロウ編集部)

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