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133:思い出を拾いに

  • 2015.11.13

「もうそろそろ行く?」
電話の向こうで、待ちわびた友人の声がする。
出かける約束をする前に確認しておこう、と、犬を連れて散歩に出た。
穏やかな秋で、朝、起きるのが楽しみな日が続いた。街路樹は色付き始めるのが少し遅れているものの、路上には夜のうちに散った枯葉が層をなして積もっている。
初霜が降りるのももうまもなくだろう。落ち葉が濡れて足にまとわりつき、朝の散歩が憂鬱になる。
そうなる前に、行かなければ。
秋と冬の端境に、友人と待ち合わせて公園に行く。なるべく人に見られないほうがいい。公園の門が開くのを待って、すぐに入る。
目指すのは、公園の一番奥にある大樹である。雌の木と雄の木が向かい合って立つ。早朝でまだ薄暗い空に、真っ黄色に紅葉した葉が映える。
「うわあ、今朝はとりわけ酷いなあ」
独り言を呟きながら、出勤に急ぐ背広姿の中年男性が顔をしかめて、襟元を鼻先まで引き上げる。臭うのだ。
私たちは、その人が行き過ぎるのを見やってから、大急ぎで枯葉の積もった大樹の下へ行く。
暗いうえに、枯葉に紛れてよく見えない。
「ああ、こんなにたくさん!」
友人は、溜め息をついている。
銀杏の実。
拾いに拾って、まだ地面にはびっしりと落ちている。
鼻をマフラーで押さえ、腰をかがめて、目を凝らしながら、二人で大笑いする。犬たちが来る前に、落ちたての綺麗な実を拾わなければ。

友人は、かれこれ五十年近くもヨーロッパに暮らす東京生まれである。その考え方や住まい方はもちろん、振る舞いや味覚には国籍はないのだろう、と思っていた。それがあるとき、公園を並んで歩き抜けたとき、ああ、と、銀杏の大木の下で声を上げて立ち止まった。
それからとうとうと、彼女は話した。
日本からわざわざ取り寄せた銀杏を炒る母親。芳ばしい香り。薄茶色の固い皮の中の半透明の緑色。粗塩と苦くて甘い不思議な味。ねっちりとした歯触り。「今日から冬ですよ」。茶碗蒸し。
遠い思い出が次々と湧き出てくるようだった。
幼い頃に後にした祖国の味を、その人は母親を通じて覚えている。
銀杏の匂いが、時空を超えて、日本へ連れていってくれる。遠い彼方の、私の知らない日本を、友人は教えてくれる。

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