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中村ゆりさん「結婚をしていないことを不幸と捉えること自体が不幸」

  • 2023.1.5

俳優の中村ゆりさんは、最新作、映画「嘘八百 なにわ夢の陣」(1月6日全国公開)で、カリスマ波動アーティストを支える謎の女性を演じています。年齢を重ねて感じることや、歌手から俳優への転身などについて、お話を聞きました。

「女優になんてなれない」と思っていて

――今は俳優として活動している中村さんですが、98年に「ASAYAN」(テレ東系)開催のオーディションに合格して、歌手としてデビューをしました。

中村ゆり(以下、中村): 1998年にデビューし、15歳から単身で上京して働き始めました。ただ、「YURIMARI」の解散後も俳優には興味はありませんでした。「私は女優になんてなれない」と思っていて。そんな私が演劇や映画に出会い、いいご縁が繫がり、私の心を動かす“大人”にもたくさん出会えたのです。
「YURIMARI」のときは与えられたものをこなしているだけで、無理しているという感覚がありましたが、お芝居に出会ってからの私は、努力や勉強の方向性が明確になりました。

転機は、「パッチギ!LOVE&PEACE」(2007年)のオーディションを受け、主役という大きい役を初めていただいたとき。本当に何もわからない中で、時代もありますが(笑)、厳しく様々なことを教えてもらいました。井筒和幸監督はもちろん、今回の「嘘八百 なにわ夢の陣」の武正晴監督が当時、チーフ助監督。プロデューサーも含めて私にとても“響く言葉”をかけてくださいました。

一度、歌手としてデビューして業界を知っていたからこそ、生半可な気持ちでは女優を継続できないのはわかっていたし、厳しさを察していました。だから、主役というチャンスをいただいたときには「人一倍、努力しないといけない」という覚悟がありました。その時点ではお仕事に対する意識も変わっていましたしね。
以降も浮き沈みがありましたが、沈んでいるときでも“諦めない心”があったからこそ、今でもお仕事をできているのかなと思います。若い頃から仕事に関する取り組みは“ガチ”でしたしね。

朝日新聞telling,(テリング)

やりたいことだけをして生きている人は…

――オーディションを受けて歌手になり、その後自らの手で俳優への道を切りひらいて来ました。20代後半から40代前半のtelling,読者の女性の中には、「やりたいことが見つからない」「一歩を踏み出せない」という人も多いです。

中村: 私は母子家庭で育ち、家族を助けたいという気持ちもあって、一歩を踏み出して突き進んでやっていくしかなかったんです。その中で様々な流れもあった。先ほどお話ししたように停滞していた時期もありますし、人との出会いで学びを得たこともあり、ここまで来られました。

一方で私は思うんですよね、本当にやりたい仕事や、やりたいことだけをして生きている人はほぼいない、とも。私だって正直言って、やりたくないことをしているときもありますから。好きなことをするなら別に仕事でなくてもいいと思いますし、「お金のために頑張ろう」とやりたくない仕事をすることも肯定されるべきだと考えています。人はそれぞれで環境や境遇も違いますから、現状でなんとかやっていけるんだったら、変えなくていいとも思います。

朝日新聞telling,(テリング)

人生に悩みがないときなんてない

――コロナ禍が続き自分と向き合う時間が増え、「人生は一度きりだから、何かしないといけない」と焦るようになった女性が増えた印象です。

中村: 40歳になった私が今、思うのは、コロナと関係なく20代はずっとそんなことをぐるぐる考えていたというか……。そもそも年齢に関係なく、人生に悩みがないときなんてない。ただ日本では時代遅れの慣習が残っていて「女性はかくあるべし」という雰囲気がいまだにある。私は振り回されない自分でいたい。そうした考えを実際に口にする方も悪気はなく優しさで言っている場合も多いですが、私は“結婚をしていないことを不幸”と捉えること自体が不幸だと思いますね。

一方でここ数年、多様性が尊重されるようになるなど価値観の変動がある。個性というものが大事にされるようになったので、特に女性には世の中の古い風潮に振り回されないでほしいと思いますね。

朝日新聞telling,(テリング)

――結婚の話が出ましたが、恋愛観などは年齢を重ねて変わりましたか?

中村: 当然ながら熱量は変わりましたね。一通り恋愛もしてきて、今は若い頃よりお互いが自立していることが大事だと思うようになった気がします。ただ15歳でデビューをしたこともあり、ずっと仕事の優先順位が一番高い人生だったかもしれない。この先に年を重ねて生活的余裕ができたら、「仕事が1番」という価値観は変わるかもしれませんけどね。

■岩田智博のプロフィール
ハイボールと阪神タイガースを愛するアラフォーおひとりさま。神戸で生まれ育ち、学生時代は高知、千葉、名古屋と国内を転々……。雑誌で週刊朝日とAERA、新聞では文化部と社会部などを経験し、現在telling,編集部。20年以上の1人暮らしを経て、そろそろ限界を感じています。

■齋藤大輔のプロフィール
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。

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