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中村ゆりさん「嘘八百 なにわ夢の陣」に出演 軽快でコミカルだが、人間ドラマの側面も

  • 2023.1.4

1月6日に全国で公開の映画「嘘八百 なにわ夢の陣」。古美術商と陶芸家の「骨董コンビ」が、騒動をくり広げるシリーズ3作目となる今回、“カリスマ波動アーティスト”を支える謎の女性・山根寧々を演じるのは俳優の中村ゆりさんです。現場の雰囲気や見どころなどを聞きました。

参加できることになって嬉しかった

――「嘘八百」シリーズの3作目からの参加となりました。

中村ゆり(以下、中村): 人気の作品なのでやはり、プレッシャーは大きかったですね。自分がこれまでの世界観を壊してはいけないし、チームワークは既にできあがっていた。ただ、武正晴監督とは古くから面識があり、一緒に仕事をしたスタッフさんもいらしたので、現場にスムーズに入っていくことができました。

――「嘘八百」は空振りばかりの目利きの古美術商・小池則夫を中井貴一さんが演じ、腕は立つのにくすぶり続けている陶芸家を佐々木蔵之介さんが演じるシリーズです。オファーがあったときの感想は?

中村: コメディー要素も多く、軽快に見られるけど、骨董や古美術に関する深い造詣もある作品。関わる方の愛が伝わる作品でもあり、参加できることになって嬉しかったですし、現場では主演のお二人に温かく迎えていただきました。

蔵之介さんはお仕事をご一緒するのが2回目。普段から様々な役を演じられるのを拝見していますが、関西出身の蔵之介さんが関西人の陶芸家に扮したことで、すごく肩の力が抜けているように感じられて、魅力的に映りました。
中井さんは今回、初めての共演でしたが、誰に対しても穏やかで分け隔てなく接しておられた。人間力を感じ、勉強になりました。

朝日新聞telling,(テリング)

人生を深掘りしていく中で…

――関ジャニ∞の安田章大さんが演じるカリスマ波動アーティスト・TAIKOHの右腕の女性・寧々を演じました。支え合う2人は、来歴も含めて謎に満ちています。

中村: 安田さんもバラエティー番組でご一緒したことがあって、世代も仕事を始めた時期も近いですし、色んなものを乗り越えてきた過程が想像しやすいというか……。お互いを支え合う役を演じましたが、言葉がなくてもわかり合えた部分が大きかったように感じています。
話を寧々に戻すと、当初は、どういう人か単純にわからなかった。だから、監督と話す機会を設けていただいて。TAIKOHと寧々のこれまでの人生を深掘りしていく中で、2人の人間味みたいなものが、だんだん理解できていきました。

朝日新聞telling,(テリング)

改めて気づいた美術品や骨董品の魅力

――ご自身は美術系への関心はいかがですか。

中村: アートを見に行くのは結構、好きです。美術館に行くと作品の前や横にある説明を読んで、「葛藤していた時期につくられた作品なんだな」などと、作者の人生を含めて楽しんでいます。

――今回は豊臣秀吉の幻のお宝「秀吉七品」の中でも、唯一所在不明の光り輝く茶碗“鳳凰”をめぐって騒動が繰り広げられます。

中村: 私は本当に歴史が苦手で、秀吉のことも詳しくなくて。大阪府寝屋川市出身で、遠足などで大阪城には行っていたんですが、建てたのが秀吉というのも知らないくらいで……。

一方、私が演じた寧々は“鳳凰”に魅せられていて、アーティスト・TAIKOHと一緒に、立身出生の秀吉を自分たちと重ね合わせながら見ていた側面がありました。“鳳凰”自体も映画の中で、人生の支えになったり、よりどころになったりしていて、演じる中で美術品や骨董品の魅力に改めて気づかされました。

朝日新聞telling,(テリング)

――最後に改めて映画「嘘八百 なにわ夢の陣」の見どころをお願いします。

中村: 今回はシリーズの3作目ですが、最初に「なにわ夢の陣」を見ても、ストーリーがわかりやすくつくられていることもあり、何の疑問も抱かないと思います。1作目の「嘘八百」(2018年)、2作目の「嘘八百 京町ロワイヤル」(20年)の軽快でコミカルで、見ていて楽しいというところを残しつつ、今作はTAIKOHと寧々の人生にも、ものすごく寄り添った“人間ドラマ”の側面もあります。その両方を楽しんでいただけたらと思います。

■岩田智博のプロフィール
ハイボールと阪神タイガースを愛するアラフォーおひとりさま。神戸で生まれ育ち、学生時代は高知、千葉、名古屋と国内を転々……。雑誌で週刊朝日とAERA、新聞では文化部と社会部などを経験し、現在telling,編集部。20年以上の1人暮らしを経て、そろそろ限界を感じています。

■齋藤大輔のプロフィール
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。

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