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家事と子育てと介護と仕事に追われる女性が編み出した家がスッキリする「ゴミ出しの小さな工夫」

  • 2022.12.31

家事と子育てと介護と仕事に追われる日々の中、どうしたら家の中をすっきり保つことができるのか。翻訳家でエッセイストの村井理子さんは「ゴミを出すときには、家の中の通常のゴミをまとめた後、新しいゴミ袋を持って家のなかを巡回し、もうひと袋追加する努力をしている」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、村井理子『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。

ゴミと一緒にアジアの主婦
※写真はイメージです
もうひと袋を追加する努力

私が住む地域では、毎週2回、燃えるゴミの回収がある。わが家には高校生がふたりいて、大量に食料を消費するので、当然ゴミも多い。だからいつも、最低でもふた袋分のゴミが出ている。

私はそこに、もうひと袋、追加する努力を常にしている。

通常のゴミをまとめた後、新しいゴミ袋を持って家のなかを巡回する。驚くほど、ゴミ箱に捨てられていないゴミが残っているのだ。それを集めていくと、ゴミ袋の半分ぐらいまでにはなっている。残りの半分は、キッチンやその他のスペースにある、普段目につかないけれども実質ゴミであるもので満たす。古いシーツやタオルも、あまり躊躇せずに捨てることにしている。

家のなかをある程度整理された状態にしておくためには、必要なものだけを家のなかに置くことが大切だ。

「いらねえけどありがとう」はなくす

でも、家のなかにあるものを少なくするときにはルールもある。自分が必要でなくなったものを、誰かに譲ろうとはしないことだ。子どもの衣類やおもちゃは、高い確率で歓迎されないはずだし、私自身もかつて、これいらないからあげると言われ、山ほどいらないものをもらった経験がある。そんな「いらねえけどありがとう」と思った経験が、数限りなくある。だからこそ、私はさっさと捨てることにしていた……はずなのに。

先日わが家に遊びに来てくれた子どもに、双子が愛用していたおもちゃを譲ってしまった! ほんのでき心だったが、あんなに大きなおもちゃを渡された親御さんの気持ちを思うと、いたたまれない。反省してもしきれない。

精いっぱい気をつけていても、ふと魔が差すことがある。誰かに何かを手渡すときは、食べ物に限る!(消えてなくなるから)

旅先の家族からの連絡を未然に防ぐ

我ながら小さいなあと思うのだが、旅先で家族から連絡が入ることがとても嫌だ。

10年以上前になるが、友人と本当に久しぶりに県外にグルメ旅に出かけたことがある。双子の息子たちは確かそのとき小学校の低学年で、夫にふたりを任せて新幹線で2時間程度の距離のある場所に1泊の予定で旅行に出たのだ。

かなり美味しいと噂のうどん屋の列に並び、30分ほどしてようやく和室に通された直後だった。ケータイの着信履歴に気づいた。夫だ。一気に不安になった。もしかして子どもたちに何かあったのではと思うとそわそわして、注文どころではなくなった。

解放するなら完全に解放してほしい

ちょっとごめんと断りを入れて、和室を出て廊下で夫に連絡を入れたが、何回呼び出しても夫は携帯に出なかった。そのうち、無性に腹が立ってきた。数年ぶりに、ようやく子育てから解放され、仲のよい友達とこうやって旅行に来たというのになぜこのタイミングで? 一体、何の用事?

家のなかの雑事はすべて片づけてきた。1泊するから、子どもたちの着替えもきっちり揃え、冷蔵庫は作り置きの惣菜で満タンにしてきた。それなのに、なぜ? 何十回かけなおしても夫は携帯に出なかった。そしてうどんはやってきたのだが、まったく味がわからなかった。友人は、そわそわしている私を心配して、事情を聞いた。

「着信があったんだけど、かけ直しても出ないんだよね」

「家から出るときは、事故とか事件以外で、絶対に連絡を入れないでって言って出たほうがいいよ。なんでかっていうと、旅に出ている人に対して用事もないのにどーでもいい電話をかけてくるタイプの家族っているんよ。それも、醤油どこ? とか、洗剤どこ? とか、ほんまにしょーもないねん。大して探しもせずに、マヨネーズ、どこ? とか聞いてくるねん」

確かに友人の言う通りだった。1時間後にようやく携帯に出た夫は、一体なにごと? と問い詰める私に、のんきに、私の母から家に電話があったと言った。だから何? それ、いま必要?

この日がきっかけとなって、いまでも、たとえば仕事で東京に行ったり、地方に出かけたりするときは、事件・事故以外の連絡はしないことを徹底してもらっている。イベントがあるときは、イベント開催時間を知らせて、決して連絡を入れないでくれと頼んである。夫には神経質だと言われる。確かにそうかもしれない。人間が小さいと言われる。そうかもしれない。それでも、旅先の私には連絡を入れないで欲しい。解放するなら、完全に解放してほしい。醤油ぐらい自分で探してほしい。

実はけっこうサボっている

ハードワーカーのイメージを持たれているようだけれど、実はけっこうサボっている。何せ集中力が続かないのだ。それに、書くという仕事は、書くぞ! と張り切ったらできるとか、徹夜すればできるとか、そういうわかりやすい成功パターンがあるわけではない。頭のなかに書くことが浮かんでこなければ、いつまで経っても仕事は終わらない。そして素晴らしい文章なんて、滅多に浮かんではこない。待っている時間が相当長い。

翻訳は原書というお手本があるから、必死に訳し続ければゴールはやがて見えてくる。もちろん、1冊の本を翻訳するという作業には複雑な工程があるから簡単な作業ではない。むしろものすごく大変だから、精神的にも肉体的にも、奪われるものは多い。そしてでき上がった訳文も、これでもかというほど磨きをかけないと、読んでもらえるクオリティには辿りつかない。

遠隔労働のための日本女性の手
※写真はイメージです
体力がないとなんにもできない

自分なりに、集中力が継続しないことが弱点だと分析している。ぐっと集中できるのは、月に数日程度で、その数日で辻褄つじつまを合わせていると思ってもらっていい。

最近ではその辻褄も合わなくなってきている。加齢が原因だろうか。

この年齢になると、普段の暮らしにおいて何がもっとも重要なのかが理解できるようになってくる。それはズバリ、「体力」だ。体力があればなんでもできる。逆に、体力がないと、なんにもできない。

私の場合、体力はとても少ないほうだと思うので、そのわずかな体力を上手に分散して消費していくことになる。常に全力でやっていたら、あっという間に底をつく。

困るのは、家事と子育てと介護だ。わが家には高校生の息子がふたりいるし、同居はしていないものの夫の両親は揃って後期高齢者だ。

家事、子育て、そして介護は残念ながら座っているだけでは何も進まない。だから、少ない体力を駆使して動くのだが……ほとんどの場合、私はあきらめている。

最初から全力で挑まないのは大人の知恵

仕事を中途半端な状態で放り出して休養を取り、好きなドキュメンタリー番組を観たりしている。嘘ではない。一日のうち私が、しっかりと仕事ができるのはほんの数時間だ。仕事が多いのに本当に心配と言われると申しわけない気持ちになる。

仕事も子育ても介護も、全力を求められるタスクだし、まるでそれが当たり前のように受け取られることもあるが、それは無理な話だ。ひとり何役こなせば許されるのか。私はスーパーウーマンではない。

だから、最初から全力なんて出さない。

できることだけをやる。

私ができるのは、自分なりの工夫を重ねること。

それでいいのだと開き直る。

今日できないことは翌日やる。あるいは、前倒しでやっておいた過去の自分からの贈り物をありがたく使う。ファストフードは大歓迎。家族には、できることは限られているということ、完璧な仕事は無理だということを、事前に伝えてある。

私だって楽したい。子どもに戻りたい! そう考えても罰は当たらない。

SNSで、悪気なく放たれる呪い

SNSを頻繁に利用している私だけど、ときどき、強い呪いのようなものの入ったリプライをいただくときがあるし、他の誰かに向けて書かれているのを目撃するときがある。書いている本人に悪気はない場合がほとんどだが、内容は震え上がるほど怖い。しかしどれだけ恐れていたとしても、被弾することを完全に避けるのは困難だ。

たとえば先日、わが家の大型犬がやんちゃで困ると(本当はそこまで困っていないのに、ついつい)書いたときのこと。

大型犬の命は短いので、いまを楽しんでください。

という内容のリプライが届いて驚いた。全然楽しめないリプライだ。

先日は、とある病気で入院し、退院したばかりの人に対して、以下のようなリプライがついていたのを目撃した。

私の祖母も同じ病気で亡くなりました。お大事になさってください。

反応しないことで事故を防ぐ

恐ろしい。確信犯か? と思ったが、どうもそうでもないらしい。

村井理子『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』(CCCメディアハウス)
村井理子『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』(CCCメディアハウス)

このような無意識の言葉が人の心をじわじわと蝕み、疲れさせていく。SNSは楽しく便利なツールだが、距離感を掴めない人、最後まできちんと読んでいない人、とにかくアドバイスしたい人から、想定外の言葉を浴びてしまう場でもある。

私がそんな状況を回避するために、意識してやっていることがある。それは、自分自身が誰かの発言にリプライする回数を極端に減らすということだ。

もちろん、実際に知っている人や、友人からのリプライには反応することが多いが、それ以外の、まったく知らない人のアカウントからのコメントであれば、反応は極力しないようにしている(ほとんど読んではいる)。それは、無視しているのではなくて、自分の言葉が誰かを傷つけることがないように、未然に事故を防ごうと思っているからだ。

言葉の呪いを消すためのリプライ

私が例外的にリプライする時もある。罵倒された時だ。まれではあるが、「あんたバカ?」などと書かれることがある。そんな時は、しっかりと返信する。きちんとあいさつまでする。怖ろしい言葉の呪いを消すためだ。鎮火率は極めて高い。

SNSのコメント欄は、最低限の情報でコミュニケーションを行うリングのようなものだ。戦うときは正々堂々と、クリーンファイトでいこうではないですか。そして、リング上にパイプ椅子を持ち込んで、いきなり後ろから殴るような反則は避けたいものだ。いや、やってはいけない。

村井 理子(むらい・りこ)
翻訳家、エッセイスト
1970年静岡県生まれ。琵琶湖のほとりで、夫、双子の息子、愛犬ハリーとともに暮らす。著書に『兄の終い』、『全員悪人』、『家族』、『犬ニモマケズ』、『本を読んだら散歩に行こう』など。訳書に『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』(KC デイビス著)、『エデュケーション』(タラ・ウェストーバー著)、『ゼロからトースターを作ってみた結果』(トーマス・トウェイツ著)、『黄金州の殺人鬼』(ミシェル・マクナマラ著)ほか多数。

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