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『silent』、『First Love 初恋』……今なぜ人は“純愛ドラマ”を求めているのか?

  • 2022.12.29

日本中を号泣させた目黒蓮の手話シーン

この冬、久々に恋愛ドラマが大ヒットしている。それも2本も。その理由を探る前に、まずはそれぞれのドラマのストーリーを簡単に説明しておきたい。

純愛ドラマ

画面の前の多くの人を号泣させ、主演の目黒蓮を一躍トップ俳優に押し上げた『silent』は、耳が聴こえなくなった青年とその元カノとの恋物語だ。高校時代に出会い、お互いに惹かれ合って付き合い始めた佐倉想(目黒蓮)と青羽紬(川口春奈)。しかし想は耳が聴こえなくなる障害を患ったことで、黙って紬をフリ、姿を消す。それから8年。偶然紬と再会した想は、無邪気に話しかけてくる紬に「会いたくなかった」「うるさい」と泣きながら手話で伝えるのだった。この目黒蓮の涙の手話シーンに、日本中が大号泣。『silent』は一気に、この冬一番の注目ドラマへと駆け上がった、というわけだ。

その後、いろいろあった末に高校時代の恋をリスタートさせた2人。しかし、話すことはできるのになぜか声を使わず手話で会話しようとする想。想が作る見えない壁に悩む紬。そして家族や友人たちなど2人を取り巻く人たちの複雑な思い……。高くはないけれども決して低くもない様々な障壁に、2人はすんなりと元の関係には戻れず葛藤するのだ。

一方、『First Love 初恋』はというと、高校時代に出会い付き合い始めた野口也英(八木莉花子/満島ひかり)と並木晴道(木戸大聖/佐藤健)の、20年以上に渡る壮大な恋を描いたもの。ともに「運命」と信じて強い絆で結ばれていた2人だったが、交通事故で也英が短期記憶を失ってしまったことで、引き裂かれてしまう。しかしその後も也英のことが忘れられない晴道は、執念でタクシードライバーとなっていた彼女を見つけ出す。いまだに記憶が戻らず孤独を抱えている也英。そして今は結婚間近の婚約者がいる晴道。2人は気持ちにセーブをかけながらも、どうしようもなく惹かれ合っていく。そう、まるで“二度目の初恋”のように……。

息が苦しくなるほどシビアでリアルな恋愛描写

純愛ドラマ

この2本のドラマに共通するのは、ともに高校時代に恋に落ち、障害があって別れてしまうものの、大人になってから再会してもう一度恋を始める、というストーリー構成だ。そしてもう一つ共通するのが、どちらのドラマも高校時代の恋模様が夢物語的であるのに対し、再会してからの描写が一気に現実的で、ディティールが追求されていて、かつシビアになっていることだ。

たとえば『silent』で、紬が想に「なんで声を使わないの?」と聞いてしまい、気まずくなるシーン。これは絶対に聞いてはいけなかったやつではないか、こういうことで2人の関係は決定的に終わってしまうこともある……、そんなふうにヒヤッとした視聴者は多いはずだ。また、想に「耳が聴こえない自分といるのは疲れないか?」と聞かれて戸惑う紬。こういうことは、どんなに「そんなことはない」「気にしないで」と言葉を尽くしたところで上滑っていくだけであることを、多くの人は知っている。それゆえ一体どう自分の思いを伝えればいいのか、皆、他人事ではなく本気で思い悩んでしまったのではないだろうか。

『First Love 初恋』も同じだ。自分はもうホッチャレ(=産卵を終えて痩せ細って味が落ちた鮭のこと)だしと、守りに入って晴道をあきらめようとする也英。その姿に既視感を覚えた人もまた、多かったことだろう。「好きな人がいるというだけでだいぶすごいことだ」と綺麗ごとで自分を納得させようとしたり、キスしたことを謝る晴道に「何とも思ってないですから!」と妙に明るく振る舞ったり。どうしようもなく好きな気持ちを必死にごまかし、大人の対応で良好な関係を保ってしまう。ああ、あったな、こんなこと……と、胸が痛くなった人はきっとたくさんいたはずだ。

言葉の選択ミス、平気なフリ、期待からの落胆、そして想いが届かないゆえに感じる苦しほどの孤独……。この2作における大人になってからのシーンは、誰もが経験してきてであろう恋愛における“傷”を、ただ淡々と、静かに描いている。それだけに、甘酸っぱいようで実は直視するのにかなり痛みを伴うものがあるのだ。

おためごかしな恋愛ドラマはもういらない

純愛ドラマ

ハッキリ言って、今になってみれば高校時代の恋愛なんてファンタジーだと思う。学校という守られた空間にいて、社会との接点を持たないこの時代の恋というのは、お互いの人生に何の責任も持たない恋でもある。だからこそ、様々なしがらみに囚われる大人になってもその想いが変わらず成就することは奇跡であり、人はそれを「純愛」と言うのかもしれない。

でもこの2作は、そんな恋を「純愛」という言葉で煙に巻くことはせず、大人になった二人に徹底的に努力をさせている。どうしようもなく苦しい思いも、時に目をそらし、励まされ、必死で向き合い、伝え、一つ一つ丁寧に解決していっている。たとえそれが涙に終わったとしても。美しくピュアな初恋をただただ美しく終わらせず、傷つきながらもきちんと成長させ、確かなものへと形を変えさせているのだ。

振り返るに私たちはこの2年半、コロナという未曽有の絆を断たれる出来事を経験して、大きく変わったのだと思う。繋がりは時に面倒なものではあるが、なくては生きていけないものである。そのことを嫌というほど思い知った今、面倒でも逃げずに人と向き合うことの価値、そしてその先にしか得られないものがあることを、細胞レベルで知ったのではないだろうか。

だから、なぜかイケメンが冴えない自分に恋してくれて幸せになってしまうとか、普段は冷たいけどたまに優しい相手のツンデレぶりにキュンキュンするとか、そんなおためごかしな恋愛ドラマではもう納得できなくなっているのかもしれない。

皮肉にもコロナ禍が私たちにくれたのは、“傷つく勇気”だったのかもしれない。そう考えると、良作な純愛ドラマを求める声は増えこそすれ、今後も減ることはきっとないだろう。

文/山本奈緒子

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