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クリスマスの由来はキリストの誕生日ではない?クリスマスの起源は古代ローマのお祭りだった!?

  • 2022.12.25

クリスマスは、キリストの誕生日が起源だといわれています。 しかし、実際にはキリストの誕生日は明確に分かっておらず、それもあって一部キリスト教の宗派ではキリストの生誕をお祝いする日だとしていることも。

では、なぜ12月25日がお祝いの日とされているのでしょうか? それは、古代ローマ時代から行われていた祭りがキリスト教に吸収された事に関連しているともされています。

そこで、どのようなお祭りがキリスト教に同一化されてクリスマスの原型になったのかを解説します。

古代ローマで一番盛り上がったお祭り「サートゥルナーリア祭」

 

キリスト教と結びついたと考えられるお祭りの一つが、古代ローマにおいて12月17~23日の一週間に渡って催されていた「サートゥルナーリア祭」です。

このお祭りは、紀元前217年に勃発したカルタゴとの戦いにローマ帝国が負けた際に市民が厭戦気分に陥っていたのを払拭するために行われたのがはじまりとされています。

農耕神サートゥルヌス

サートゥルナーリア祭は、農耕の神サートゥルヌスを祝すお祭りです。 サートゥルヌスは農耕の神であるだけではなく、収穫用の鎌を持っていたことからギリシャ神話における時の神「クロノス」と混合されました。 その結果、農耕と時の神として崇められるようになりました。

皇帝も頭を抱えたお祭り「サートゥルナーリア祭」

敗戦ムードを払拭するために行われるようになった「サートゥルナーリア祭」は、1日限りのお祭りでした。 しかし、盛況のうちに終わったことから次第に日数が延長され、それに伴い古代ローマで一番馬鹿騒ぎするお祭りになったとされています。

その様子には皇帝たちも悩まされたようで、せめて期間を短くすることで抑制を狙いましたがことごとく失敗。 それどころか市民は期間短縮させようとした皇帝への反感の意思が強まってしまい、皇帝からサートゥルナーリア祭の縮小案が出るたびに反乱が起きるようになってしまいました。

サートゥルナーリア祭の内容

皇帝も苦しめられることになるお祭りとはどういうものだったのでしょうか。その内容を一部ご紹介します。

連日日夜に渡る馬鹿騒ぎ

サートゥルナーリア祭は休日とされたため、連日宴会が催されていたといいます。 人々は正装で過ごすことをやめ、略式な服装で祭りを謳歌していたのだとか。

当時のローマには学校もありましたが、その学校まで休みとなっていたそうなので、ローマ市民全体でどんちゃん騒ぎをしていた事がうかがえます。

奴隷が主人になるお祭り?

古代ローマには奴隷制度がありました。 市民権を持たない奴隷は主人の所有物と扱われていたのです。

一方で、奴隷でありながら長年奉仕することで自分を買い戻す方法や主人の遺言により奴隷身分から開放される解放奴隷と呼ばれる人たちもいました。

このように、市民と奴隷の2つに別れる身分制度があった古代ローマですが、サートゥルナーリア祭の間は勝手が変わります。 祭りの間は無礼講となるどころか、立場が逆転したのです。

奴隷は皆、解放奴隷を示すピレウス帽を被り、更に市民までピレウス帽を被りました。 これで祭りの期間中、奴隷がまるでいないことになりました。

それだけではありません。 祭りの間は奴隷が主人に対して口答えしても罰を受けることもありませんでしたし、奴隷が通常禁止されている賭博にも自由に参加することができました。 更に極め付けなことに、宴会では奴隷に対して主人が給仕をしたとされています。

しかし、これらは完全に奴隷が解放されていたのを意味するわけではありません。 祭りの期間に催される宴会の給仕をする奴隷ももちろんいましたし、祭りの間ももちろん奴隷による主人への奉仕は行われていました。

クリスマスプレゼントのはじまり?

 

サートゥルナーリア祭では、人々がプレゼントを贈りあったとされています。 また、サートゥルヌスを祀る神殿はもみの木で飾られたことから、クリスマスツリーの起源もこの祭りにあるとも考えられています。

サートゥルヌスは悪魔の原型?

破天荒なお祭りをする一方で、サートゥルナーリア祭では生贄を捧げられていました。 この2つが結びついたことで、サートゥルヌスはキリスト教の悪魔、デーモンの原型とも考えられています。

12月25日生まれの太陽神を祝う祭り「ナタリス・インウィクティ」

 

紀元前220年頃から行われていたサートゥルナーリア祭は古代ローマで最も盛大な祭りといわれていますが、もう一つクリスマスの由来となったとされるお祭りが古代ローマにはありました。

太陽神ミトラス

古代ローマでキリスト教が台頭する前の、1世紀ごろ4世紀までにかけて隆盛した宗教がミトラ教です。 このミトラ教では、太陽神のミトラスが信仰されていました。

主に軍人や一般市民の人々によって信仰されていましたが、皇帝・テオドシウス1世によってキリスト教が国教と定められると急速に勢力は縮小し、ついに衰退してしまいました。

冬至に行われた「ナタリス・インウィクティ」

太陽神ミトラスは冬至の日に岩の塊から生まれたという神話があります。 その神話から、生誕したとされる冬至に「ナタリス・インウィクティ」という祝祭が催されてきした。

ミトラ教では牡牛が神聖な生き物とされていましたので、この祭りでは牡牛を捧げられていたといいます。

冬至は一年で日が出ているのが一番短い日です。 冬至以降日が長くなっていく様子を、太陽神であるミトラスが徐々に力を取り戻していく、復活の日という側面もありました。

まとめ

「サートゥルナーリア祭」と「ナタリス・インウィクティ」がキリスト教に吸収されたことで、今に伝わるクリスマスの形になったとされています。 キリストの誕生日とされることもありますが、誕生日は不明とされることから宗派によってはキリストの誕生自体を祝う日と解釈されていることもあります。

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