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60年代ミニスカート旋風の火付け役 マリー・クワント展に見る最先端

  • 2022.12.28

あの吉永小百合さんも、日本航空や全日空の客室乗務員もミニスカートだった――。1960年代、世界でミニスカートが流行し、60年代後半から日本でもブームになりました。火付け役となったのは、デイジーマークの化粧品ラインでも知られる英国のデザイナー、マリー・クワント。東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「マリー・クワント展」をのぞいてみましょう。

クワントは、30年にロンドン近郊で生まれました。服、下着、化粧品、インテリアなど、ライフスタイル全般に至るまで幅広くデザインを手がけました。現在も92歳で健在です。

25歳だった55年、ロンドンのキングス・ロードに若者向けブティック「バザー」を開きました。自身が着たいと思う服をデザインして売り出し、ヒット。60年代にストリート発の若者文化「スウィンギング・ロンドン」を引っ張り、ビートルズやローリング・ストーンズら英国発のスターとともに時代をつくっていったクワント――。

マリー・クワントが手がけたミニスカートの丈の変遷が分かる展示=東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム

男性のミニスカートの受け止めは賛否両論

夫のアレキサンダー・プランケット・グリーンと、実業家のアーチー・マクネアに支えられたクワントは、事業を拡大していきます。
その当時の熱気が渦巻く「マリー・クワント展」の会場。60年にダンスホールで撮影された、ノリよく踊るカップルの写真があります。女性はミニスカートにノースリーブ、すらっとした美脚。スーツの男性も曲にジ~ンときている様子。これが、クワントとアレキサンダーの夫妻です。

クワントがデザインしたひざすれすれのスタイルがメディアに初めて出たのは60年のこと。展示では、クワントが手がけたミニ丈が、徐々に短くなっていったことが分かります。62年のひざ丈のワンピースから、67年にはひざ上30センチの黒のニットのワンピースに……。ひざ上30センチには、ピンクとシルバーのラメ混紡のワンピースもあり、「ミニの女王」と呼ばれた英国のモデル、ツイッギーが着ました。

65年にはフランスのファッションデザイナー、アンドレ・クレージュも「ミニルック」として、ミニスカートを発表。マリー・クワントのブランドのモデルを務めていたウルリカ・ヘインズさん(67)=冒頭写真左=は、「クワントのミニスカートをはくと、自信が出て、若くフレッシュな気分になれたわね。着るのがすごく楽しく、エネルギーに満ち、幸せな気持ちになれるのです」と話します。当時のキングス・ロード周辺についても「とても活気がありました。クワントは最先端の象徴。『バザー』はすごく刺激的でしたよ」と振り返ります。ヘインズさんは展覧会の内覧会に64年製のクワントの黒のミニワンピースを着て訪れました。美脚は今も健在。

50年代のファッションはエレガントで、富裕層に向けてパリのオートクチュールから発信されていました。洋服は注文して作るオーダーメイドが主流でしたが、クワントはミニスカートを既製服として商品化し、若者たちに広めました。クワントは女学生が着ていたピナフォア(エプロンドレス)をもとにして、丈をひざ上まで上げて、大人向けのデザインにしていったのです。

一方、当時の男性のミニスカートの受け止め方は賛否両論。マリー・クワント社元取締役のヘザー・ティルベリー・フィリップスさん(80)=冒頭写真右=は「セクシーで素晴らしい、若々しいと言う人もいれば、年配の人たちは、ショッキングだ、恐ろしいと眉をひそめました」と振り返ります。「バザー」のショーウィンドーを傘の先でつついて怒鳴る山高帽の紳士たちもいたそうです。
「退屈なファッションなんて意味がない」と話していたクワント。ヴィダル・サスーンが手がけたショートボブをさっそうと揺らし、自らデザインした服を着こなしてファッションアイコンになっていきました。

マリー・クワントはパンツスタイルも提唱。カーディガンをもとにした服「レックス・ハリソン」(中央)も展示=東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム

パンツスタイルも提唱!

さらに、黒色の5枚の花びらのデイジーマークを66年に商標登録し、ブランドロゴの先駆けにも。あのマークは、クワントが服のデザインのラフスケッチをする時に、いたずら描きをする癖があり、その時に生まれた産物だそう。自伝『マリー・クヮント』(2013年刊、晶文社)には、「デイジーには新鮮で繊細で、ほんのりセクシーなイメージがある」とあります。遠くからでも目に付くデイジーマークが、ブランドイメージを高めました。

「先見の明」は、ミニスカートだけではありません。性差を超えたユニセックスなファッションも手がけ、女性がズボンをはく場が限られていた時代に、パンツスタイルを提唱。展示では、ネクタイとベストを組みあわせたマニッシュな服や、男性用のカーディガンをもとにしたユニークなワンピースも見られます。

サッカーやラグビーのウェアに採り入れられていた滑らかで柔らかなジャージー素材にも着目し、スポーティーなミニのジャージードレスも作り出したクワント。展示の「バナナスプリット」という黒のジャージー素材のミニワンピースは、センターにファスナーがついていて、着脱はバナナの皮をむくよう。英国の切手のデザインにも使われたそうです。

66年の大英帝国勲章(OBE)の授与式には、自らのブランドの、ジャージー素材のスポーティーなミニワンピースで臨みました。新聞に「宮殿には場違いな衣装」と書き立てられ、大胆なファッションが話題になりましたが、宣伝効果は大きかったそう。

そんなクワントらしい逸話を、フィリップスさんが披露してくれました。あるとき、クワントがロンドンのホテルにパンツスーツで行った時、「女性がズボンでダイニングに入ってはいけない」と止められました。その際、クワントはズボンを脱いで、ジャケットをミニワンピースのように着てみせたそう。

ビジネスの場面では、説得上手。クワントが、反対を唱えるグレーの背広の男性たちに「それを何とかしていただけると信じています」と伏し目がちに言うと、ことがうまく運んだそうです。
自由に果敢に、時に遊び心やウィットで時代を切り開いていったクワント。「服は自分自身やなりたい自分を表現するための手段」と語っています。

マリー・クワントが大英帝国勲章(OBE)授与式で着用したジャージー素材のミニワンピース(手前)。左端はジャージー素材で作られた「バナナスプリット」=東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム

「自分らしさを肯定できるミニスカート」

クワントがブームを巻き起こしたミニスカートは、なぜ、時代に受け入れられたのでしょうか。

「クワントは大量生産の既製服時代のデザイナーの先駆けだった」と話すのは京都女子大学の成実(なるみ)弘至教授(服飾文化論)。デザインの特徴について「ファスナーを前面に出すなど、リズム感があり、大胆なAラインや、対照色の色使いのうまさなど、エネルギッシュで粗削りな元気さがある」と指摘します。「50年代はマリリン・モンローらグラマラスな女性たちが人気だったが、60年代は若さや、未成熟な少女っぽさが受け入れられた。反戦運動が高まり、大人世代に懐疑的な若者たちに、自分らしさを肯定できるミニスカートはぴったりだったのではないか」と分析します。
本展の担当学芸員の岡田由里さんは「結婚し家庭を持ちながら、仕事もこなし、自らデザインした服を着こなすクワントは、当時の女性たちのあこがれでした。有名になりたいとがっついている感じではなく、自然体で、自分の好きなことを追求している姿勢も共感を呼んだのでしょう。失敗を恐れない生き方は、今でもロールモデルになります。やりたいことをやり遂げた生き方を知り、勇気を出してもらえたら」と言います。

サテンやラメなどを使ったエレガントな服も。スポーティーな服からロングドレスまで多彩なデザインを手がけた=東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム

さらに展覧会を楽しむアドバイスとして「ストライプの使い方がユニークなので注目してみて下さい。斜めやボーダー、太いのや細いのなど、いろいろな表情があります。デイジーマークは正式に商標登録されているロゴは花びらが5枚ですが、展示には、それ以前のものの6枚のデイジーマークもあります。探してみては」と教えてくれました。

カワイイだけじゃない、ちゃめっ気があり、挑戦的で、スパイシーで、機知に富んで、大胆で……。クワントのファッションは、彼女の生き方そのものなのです。

■山根由起子のプロフィール
朝日新聞記者として佐賀、甲府支局を経て、文化部などで演劇や本、アート系の取材を担当。現在は企画事業本部企画推進部の企画委員。「アートと演劇をこよなく愛しています」。趣味は観劇、写真、カフェ巡り。

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