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「バラ色の人生」。文・くどうれいん

  • 2022.12.23
青森〈道の駅とわだ〉十和田バラ焼き

バラ色の人生

文・くどうれいん

ひとが旅に出ようとするとき、ふたつ以上の目的があると実行に移しやすい、と聞いたことがある。例えば行きたい温泉の近くに見たい滝があるだとか、会いたい人のいる場所に行きたいレストランがあるだとか。そういう意味で、わたしが十和田へ行きたいと思うとき必ずそれは実行される。

わたしが青森県十和田市に行きたいと思うとき、その目的は少なくとも三つあるからだ。〈十和田市現代美術館〉と〈福田菓子舗〉のアップルパイ、それから、〈司バラ焼き大衆食堂〉のバラ焼き。年に一度くらいのペースで、からだがぶるっと震えてどうしてもバラ焼きが食べたくなり、十和田に行かねば気が済まなくなることがある。幸い、わたしは岩手県に住んでいて車を持っているので、朝に「行こう!」と思えばその日に行くことができる。

お盆の一週前、八月の十和田は本当に最高だった。からっとして暑すぎず、これがお出かけ日和でなくてなんなのだろうという晴天だった。開店直後の〈福田菓子舗〉でアップルパイとフルーツタルトをテイクアウトして(そうしたらアーモンドのパイをおまけしてくれた!)、白くて小さな四角いケーキ箱を持ったまま〈十和田市現代美術館〉へ歩いた。

〈十和田市現代美術館〉は、道路を挟んで向かいに「アート広場」がある。草間彌生の「愛はとこしえ十和田でうたう」やインゲス・イデーの「ゴースト」などを眺められるベンチで、手づかみでタルトを食べる。いちご、ブルーベリー、キウイ、白桃、黄桃の乗ったタルトはこころの底から明るくなるほどごきげんなたたずまいをしている。口の端についたカスタードを舐めとりながら立ち上がり、美術館へ行く。見慣れてきたと思っていた常設展にはレアンドロ・エルリッヒや塩田千春の作品が追加されていてうれしい。

楽しみにしていた名和晃平の企画展をじっくり堪能した後、ショップで奈良美智のガラス瓶を購入した。ここまで存分にたのしんでおいて、それでもわたしはまだ鼻息を荒くしていた。さあ、いざ、バラ焼き!

〈司バラ焼き大衆食堂〉は、〈十和田市現代美術館〉からそう遠くない場所に位置していて、お昼時はいつも並んでいる人気店だ。わたしが十和田へ行くとき、このバラ焼きが一番の目的といっても過言ではない。いま、「バラ焼き」とタイピングするたびに口の中に唾液が溢れてきて困っている。

バラ焼きとは、鉄板で牛肉と玉ねぎを甘辛く炒めたとてもシンプルな料理である。牛肉と玉ねぎをしょうゆベースのたれで甘辛く炒めたもの。そう聞くだけではおそらく(ああ、そりゃまあおいしいやつなんでしょうね)と思うことだろう。そんなもんではない。そんなもんでは、ないのだ。わたしはバラ焼きを前にすると、すっかり目がハートになり、ものすごい量の白飯を食べてしまう。

繊維を断ち切るように太めの輪切りにされた玉ねぎと、こんもり盛られた薄切りの牛肉。そこに、たっぷりとたれが絡められたものを鉄板で熱する。箸で玉ねぎを返しながら炒めると、ぶわっとあまじょっぱいにおいが押し寄せてくる。しばし我慢して炒め続け、玉ねぎがつやつやと輝き、お肉が茶色く照りはじめたら食べ時だ。

箸でわっしと摑んで白飯の上に乗せ、頬張る。たまらない。強烈なうまみに殴られる。甘い、しょっぱい、うまい!ああっ、ごはんごはん!白飯をかきこむと、頬を膨らませながらからだのすべての空気を抜くようなため息が出る。うまっ。え。うまあ。すっかり茶色くなったとろとろくたくたの玉ねぎと、みしっと歯ごたえがありつつ脂のとろける牛肉。これは牛丼とも肉野菜炒めとも全く違う。

「バラ焼き」でしか味わえないおいしさだ。誰と行っても奪い合うように無言で食べ進め、白飯をお替わりして、残りの二口くらいになるとようやく「いや……うまい」などと各々呟きだし、今度は食べきってしまうことが悲しくて、最後の小さな玉ねぎのかけらまで摘まんで頷きながら完食する。

青森〈道の駅とわだ〉十和田バラ焼き
十和田バラ焼き/発祥は近隣の三沢市。戦後、米軍基地の建設作業員の胃袋を満たすため、安価な牛バラ肉を使ったバラ焼きが発案された。やがて鉄器が豊富な十和田市で定着したという。
十和田バラ焼きのたれ
〈道の駅とわだ〉ベルサイユの薔華ったれ 432円(360ml)/「バラ焼き」を地域ブランドとして発信する〈十和田バラ焼きゼミナール〉が、地元・十和田市の醤油製造メーカー〈ワダカン〉と共同開発した。青森県産リンゴと、十和田産ニンニクを使用している。TEL:0176-28-3790/注文方法:オンライン/HP:www.towadapia.com/

「バラ色の人生を!」

と、最初に言われたときは驚いた。〈司バラ焼き大衆食堂〉ではバラ焼きのバラと薔薇をかけていて、お会計を終えて退店するときにそう言われるのだ。わたしはそういうセリフにめっぽう弱いので(えっ、バラ色の、人生を……!)と妙に打たれてしまい、その日は夜までバラ色の人生のことを考えていた。

何度も来店してようやく「バラ色の人生を!」に対して「はーい!」と返せるようになった。それまでは毎度(バラ色の人生……)といちいち感動していた。どれだけ不安でも満腹の状態で考える自分の人生はバラ色になりやすい。

それで、どう考えてもあまりにおいしいので、この日はバラ焼きのたれを買って帰った。前に家でもやってみようと思って再現レシピを試してみたが、あの感動とは全く違ったのだ。玉ねぎをたっぷり輪切りにし、バラ肉をのせ、たれをたっぷり絡ませてホットプレートで炒めると大好きなにおいがして感動した。

バラ焼きはいつも車で行き昼間に食べるので、家ならば夜にお酒と一緒に食べられるぞ!と意気込み、ハイボールを用意した。玉ねぎが茶色く照り、いまだ!と頬張る。すでに左手にはジョッキを抱えていたが、やっぱり、これは、白飯だ!ジョッキを茶碗に持ち替えてごはんを頬張る。

ああ、これだこれだ!にんまりしながら咀嚼する。やっぱりこのたれでなければいけないのだろう。もっとも、お店の鉄板で炒めるバラ焼きにはかなわないけれど、お家ではそうそうこのうまみに殴られることはできない。これはいいたれを買った。

しかしやっぱり、食べ終えてなんだか物足りない。そうか、と思い、ごちそうさまの代わりに「バラ色の人生を!」と自分で言った。言ってもらうのもうれしいけれど、自分で言うのもなかなか愉快だ。おいしいバラ焼きを食べた後のお腹いっぱいのしあわせな頭で考える人生は、やっぱりバラ色になりやすい。

profile

作家・くどうれいん

くどうれいん(作家)

1994年岩手県生まれ。『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。『群像』の連載エッセイ「日日是目分量」をまとめた『虎のたましい人魚の涙』が発売中。

HP:https://rainkudo.com/

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