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憧れの扉を開く『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展。

  • 2022.12.20
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ディオールの歴史やものづくりに触れながら、クチュリエたちが紡ぐ美と愛を紐解く。写真家・高木由利子が撮影したオートクチュールの写真とともに、メゾンを紡ぐ歴代の7人のデザイナーの創造の世界へ。

Christian Diorクリスチャン・ディオール

クリスチャン・ディオール 1948年秋冬オートクチュール コレクション Ailéeライン“Arizona(アリゾナ)”赤が印象的なトラベルコート。クリスチャン・ディオールはそのシーズンのライン名を決めるだけでなく、それぞれの服に自分がイメージする名前をつけていた。

「女性をより美しく、より幸せにする」という信念とともに、第二次大戦後の抑圧された世界にモードの花を咲かせたクリスチャン・ディオール。1947年2月のデビューコレクション「Corolle(花冠)ライン」は、前年にメゾンを設立したばかりの42歳のクチュリエを時代の寵児に変えていく。そこで発表された、なだらかな肩、細いウエスト、パッド入りのペプラムを配した「バー」ジャケットと床上20cmのプリーツスカートの優雅なルックは「ニュールック」と命名され、世界中の女性たちを虜にする。実用一点張りの戦時スタイルは瞬く間に消えて、彼の提案する洗練への回帰が戦後の新しいモードの流れを決定づけた。世界中を駆け巡ったセンセーションは、彼がパリのオートクチュールの輝きを復活させたことの証明でもあった。

以後10年間、ディオールは毎年「ニュールック」に代わる最新のラインを発表し続ける。直線的でスリムな50年の「Verticale(垂直)ライン」、楕円形の襟ぐりやヒップラインが特徴的な51 年の「Ovale(楕円)ライン」、小さな肩からスカートの裾に向かって広がる55年の「Aライン」など、次々と革新的なシルエットを打ち出していく。時に時代に逆行するとの批判もあったが、ディオールのクリエイションの源にあったのは純粋な女性への賛美。「服は、女性の身体を美しくするために捧げられたかりそめの建築」という彼の言葉がそれを物語っている。

その美学でモード界に革命を起こす一方、類いまれなビジネスセンスで自身のメゾンを巨大企業に発展させたディオールは、57年10月その生涯を終える。だが、その信念は彼の遺したアイコンとともに、後継者たちに引き継がれていくことになる。

Yves Saint Laurentイヴ・サンローラン

左:イヴ・サンローラン for Dior 1959年春夏オートクチュール コレクションLongueライン “Hazel(ヘーゼル)” シェイプしたウエストからプリーツのスカートが広がる、「ニュールック」のシルエットを思わせるカクテルドレスだが、膝下丈がサンローランらしい若々しさを感じさせる。右は、クリスチャン・ディオールによる 1955年秋冬オートクチュールコレクションYラインのドレス。

クリスチャン・ディオールの急死によって存亡の危機さえ囁かれたメゾンを救ったのが、まだ21歳の若き天才、イヴ・サンローラン。1955年からアシスタントとしてメゾンに加わったサンローランの才能を評価していたディオールは、かねてより彼を自分の後継者に考えていた。その期待を裏切ることなく、サンローランは1958年1月の初コレクションで斬新な「Trapeze(台形)ライン」を発表、喝采の嵐のなかメゾンの新しい幕開けを宣言する。裾に向かって広がる、ウエストラインを解放したこのシルエットは、これまでとは違う自由で若々しいエレガンスの概念を打ち出すものだった。

60年代を目前に若者たちが古い社会へのアンチの声を上げ始めていた。同世代のサンローランのなかにもそうした変革を求める気持ちがあったに違いない。ディオールというメゾンを背負いながら、彼は時代の先へと進む挑戦的なデザインを続けていく。ヌーヴェルヴァーグの映画にインスパイアされたという59年秋冬の「1960ライン」やビートニクがテーマの60年秋冬の「Souplesse,Légèreté,Vie ライン」が彼の革新性を物語っている。

だが、1960年9月、サンローランは兵役に召集され、わずか6シーズンでメゾンを去ることになる。その後、自身のブランドを設立、モードの帝王と呼ばれるまでになるサンローランだが、生涯、「ムッシュ ディオールは私の師匠、私が唯一認めた人物です」と話していたという。

Marc Bohanマルク・ボアン

マルク・ボアン for Dior 1965年頃 クリスチャン ディオール ニューヨーク コレクション日本の帯を彷彿とさせるシルクラメのビュスチエドレス。64年に鐘紡と契約を結んだ後、日本を訪れたマルク・ボアンはこの国の歴史や文化に深い感銘を受けていたという。

天才、サンローランの後を引き継いだマルク・ボアンは、その謙虚な人柄とニュートラルな美学で、このモード帝国を発展させていく。ロンドン支店の既製服のデザイン担当として採用されたのが1958年、60年にディオールの後継者に抜擢され、その後88年まで30年間にわたり、メゾンに貢献することになる。1961年の初コレクション「Slim Look」は彼が過ごしたロンドンの若者文化、スウィンギングロンドンのエネルギーをメゾンの伝統的なエレガンスと調和させたもので、メディアからも顧客からも大絶賛された。

ボアンはしばしば職人気質のデザイナーと評される。ピゲ、モリヌー、パトゥなど数々のメゾンで経験を積んだ彼は、自分の個性とディオールのエスプリを融合させる術を心得ていた。また、時代の空気を読む冷静な視点の持ち主でもあった。すべてにおいてバランス感覚に優れた彼は、若者文化が台頭、プレタポルテが普及していく世界にあって、その新しい息吹をオートクチュールに融合させていく。彼のデザインする服は現代的でありながらもエレガント、シンプルななかにも媚びない女らしさを忍ばせたもの。スポーツウエアのように軽快なテーラードスーツもロマンティックな夢を届けるイヴニングドレスも魅力的に仕立てる手腕を持ってプレタポルテにも力を注いだ。

クリスチャン・ディオールと同じようにいつも女性への愛を忘れなかったボアンは、ジャクリーン・ケネディや妹のリー・ラジウィル、モナコ公国のカロリーヌ公女、ニキ・ド・サンファルなど、数多くのセレブリティに愛されたクチュリエでもあった。

Gianfranco Ferréジャンフランコ・フェレ

ジャンフランコ・フェレ for Dior 1996年春夏オートクチュール コレクション“Réve d’un Soir(レヴダンソワール)”花を愛したクリスチャン・ディオールにオマージュを捧げたシーズン。シャドープリントのシフォンを贅沢に使ったドレスは、背中に向かって流れる量感のあるドレープがフェレらしい。

「Do Some Dior」。1989年ディオールのクリエイティブのトップとしてアベニュー・モンテーニュのアトリエを訪れたジャンフランコ・フェレは、こう自分のビジョンを表現したという。78年に自身のブランドを設立、80年代のミラノモードを牽引するデザイナーとしてその名を知られていたフェレだが、この言葉にはディオールの精神とパリのオートクチュールの伝統を尊重しながら、メゾンのあるべき姿を探求していこうという彼なりの決意が感じられる。

イタリア出身のデザイナーを歴史あるフランスのメゾンに迎えることには異論の声もあった。当時のオートクチュールはプレタポルテの振興によって苦境に立たされてもいた。そんななか、フェレはこのメゾンの原点であるオートクチュールの夢の再興に力を注いでいく。建築家でもあり構築的なシルエットを自分の代名詞としていたフェレはクリスチャン・ディオールのアイコニックなスーツを再解釈し、アトリエの高い技術力のもと、新しいデイウエアとして提案。イヴニングウエアでは、この写真のドレスのように大胆な色彩と豪華なファブリック、ダイナミックなドレープやリボンの装飾によって、グラマラスなスタイルを展開していく。

デビューとなった1989年7月の「Ascot-Cecil Beaton」コレクションから1996年7月の最後の「Indian Passion」コレクションまでの7年間、フェレはアトリエの高度な手仕事を自身のクリエイションに昇華させたのだ。

John Gallianoジョン・ガリアーノ

ジョン・ガリアーノ for Dior 2007年春夏オートクチュール コレクションより、“Suzurka-San(スズルカ-サン)”葛飾北斎の『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』をイメージしたイラストを手描きと刺繍で入れた麻のコート。ピンタックの胸元から裾へと広がるラインにもかかわらず、波の動きを美しく再現。こうした精緻なアトリエの手仕事がガリアーノのイマジネーションを支えていた。

結末がどうであれ、イギリスからやってきた鬼才、ジョン・ガリアーノはディオールを革新したといっていいだろう。1997年の初コレクションから14年間、ガリアーノが見せてくれたのはモードの一大スペクタクル。無限の創造力とメゾンのアトリエの卓越した技術力を融合させて夢のようなオートクチュールを生み出していった。オーストリアのエリザベート皇妃、古代エジプトのファラオ、マサイ、ホームレス、ロンドンのクラブキッズ――歴史も地域も文化も自由に交錯させて、メゾンの慣習をも破壊しながら、彼は21世紀のディオールを打ち出そうとした。ポップやキッチュというこれまでのエレガンスにはなかった感覚を加えて、ディオールのコードを書き換えていく。それは時に物議を醸すことにもなるのだが、彼の過激なクリエイションはメゾンの新しいパワーの源にもなっていった。

自身のルーツと語ったフラメンコからチャールストン、ヒップホップまであらゆるダンスの祝祭となった2003年春夏オートクチュール、この写真のコートが登場した2007年春夏オートクチュールは、蝶々夫人をインスピレーション源に芸者メイクのモデルがランウェイを闊歩する壮大なモードオペラ、とコレクションのたびにセンセーションを巻き起こしたガリアーノ。

だが、古典的なオートクチュールとは違うエクストリームな表現を繰り返しながらも、彼の根底にはクリスチャン・ディオールと伝統あるメゾンへの深い敬意があった。初コレクションで彼が発表した、白の「バー」ジャケットと黒の型押しクロコダイルのミニスカートのルックは、「ニュールック」へ捧げた心からのオマージュ。彼はその時から、ディオールを21世紀へと導く特別なクチュリエになっていたのだ。

Raf Simonsラフ・シモンズ

ラフ・シモンズ for Dior 2013年秋冬オートクチュール コレクションより、にじんだような手描きタッチのドットのロングドレス。背中のカットから内側のコルセットが見え隠れする。シモンズが求める現代のアティチュードを体現するようにランウェイではモデルがポケットに手を入れるようなポーズで登場。

歴代の後継者と比べると、ラフ・シモンズは異色の存在かもしれない。大学では工業デザインを専攻、服作りは独学で、1995年に自身のメンズウエアブランドをスタートというキャリアの持ち主。オートクチュールの経験もない。そんな彼がメゾンのクリエイティブ ディレクターに選ばれたのはまさに大抜擢だった。だが、彼はそのモダンな美意識でクリスチャン・ディオールのアーカイブを再定義、21世紀を生きる女性のための現代的エレガンスを求めて、リアルな風をメゾンに吹き込んだ。

ディオールがデザインしたドレスをコレクションごとに2着、彼へのオマージュとして再生させていたというラフ・シモンズが目指したのは、クチュールメゾンとしての過去と自分自身が描くモードの未来のフュージョン。伝説のスタイルにどうやって現代のリアリティを持たせるか、自由に動ける日常に着られるオートクチュールを模索した。デビューとなった2012年秋冬オートクチュールのファーストルックに登場した「バー」ジャケットはパンツスタイルに転化、2014年秋冬では総刺繍のドレスにハイテク樹脂のビーズを使用して軽やかな動きを演出するなど、7シーズン手がけたオートクチュールでそのビジョンを実現させていく。

繊細なミニマリストと称されるラフ・シモンズはクリスチャン・ディオールに自分と同じような純粋さを感じると語っている。ピュアに削ぎ落とされたシルエットとそこから生まれる優雅な身体の動き。そうしたディオールの本質に触発されながら、シモンズはメゾンの未来図を描いていったのだ。

Maria Grazia Chiuriマリア・グラツィア・キウリ

マリア・グラツィア・キウリ for Dior 2018年春夏オートクチュール コレクション“Féerie(フェエリィ)”レオノール・フィニを出発点に、シュルレアリスムと女性の夢を表現。ほとんどのルックをモノトーンで展開、ランウェイもチェッカー柄に。右ページは黒と白のパネルを一枚一枚接ぎ合わせたドレス。ケープはホースヘアを使用。

ディオール初の女性クリエイティブ ディレクターとなったマリア・グラツィア・キウリ。デビューとなった2017年春夏プレタポルテで、彼女は作家のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの言葉を借りて「We Should All Be Feminists(男も女もみんなフェミニストでなきゃ)」と宣言。デザイナーとしてアクティビストとして、歴史あるメゾンを次の時代へと牽引していく決意を告げたのだ。

キウリはディオールのアーカイブをフェミニストの視点で再解釈、現代の女性にふさわしいワードローブへと変換している。「バー」ジャケットのパッドを外してプリーツでペプラムを表現したり、ネクタイとライダースパンツを合わせてボーイッシュに仕上げたり。デニムがランウェイに登場するのも彼女が考える日常のディオールに欠かせないものだから。

アクティビストとしての彼女は、引き続きさまざまな女性クリエイターと連帯して、女性をエンパワーするメッセージを発信している。この写真の2018年春夏オートクチュールではクリスチャン・ディオールとも縁のある前衛芸術家レオノール・フィニを再評価、2019年秋冬プレタポルテでは作家ロビン・モーガンのスローガン「Sisterhood is Global(女性の連帯は国境を越える)」を掲げた。近年は世界中の高度なクラフトマンシップと共作するなど、そのシスターフッドの輪を広げている。

女性として女性のための服を作ること、女性が連帯して社会を変えること、ディオールの夢を未来の女性へと渡していくこと。彼女の意志あるアティチュードはこの先もずっと続いていくだろう。

高木由利子が撮ることで感じた、ディオールの創造の魅力。

パリ装飾美術館を皮切りに、ロンドン、上海などを巡って日本に上陸した『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展。これまでとは異なる日本独自の展示のなかでも、フォトグラファーの高木由利子のフォトエッセイが異彩を放っている。オートクチュールの美を彼女の光で切り取った写真が、メゾンの軌跡を辿る。今回の展示とカタログのために高木は120点以上のアーカイブを撮影した。そもそもオファーを受けたのは2021年11月。これまで数多くのファッション撮影をしてきたが、ディオールについては歴史あるメゾンという認識があったくらいで、オートクチュールのショーを見たこともなかったという。それからディオールについて勉強しつつ、撮影の準備に取りかかる。今回の写真は、高木がこだわる色“すみぐろ”を背景に自然光で撮影されている。数年前に移住した自宅のアトリエも床や壁を“すみぐろ”に塗っているという高木。もちろんそこには自然光が入る。まさに彼女らしい手法での撮影なのだが、いつもの手法を選んだわけでなく、自分が考える日本の美とオートクチュールを融合させたいという強い思いがあった。

「日本人の私がいろいろな意味で対極にある西洋の、それもオートクチュールの服を撮影するのだから、どこかに日本的な感覚を入れたいという気持ちがありました。その感覚というのがまず光。それもどこかに陰影を感じさせるような光。そしてシンプルであること。ムッシュ ディオールの服から私が感じたことでもあります。背景に選んだ私の“すみぐろ”は、黒でもグレーでもない言葉では表現できない色。特殊な顔料を塗っているのでスーパーマットでもあり、でも光が斜めから差し込むと鈍い光沢を発する。その捉えどころのない曖昧な色合いが日本的だと思うのです。西洋のロジカルな美とは対照的な曖昧さが日本の美意識。そうした日本的な空間に西洋の服を置いた時に何が見えてくるのか、それを切り取るのが今回のチャレンジでした」

パリでの撮影風景。「ディオールで働く人々は、すべてにおいて丁寧で優しく、ディオールのクリエイティブを心から愛している人ばかり」。撮影していた時のことをそう語った。

もうひとつ高木が日本的要素として加えたのがムッシュディオールが愛した花。華道のように一輪の花を挿すことをテーマに。そうした構想を練りながら、2022年1月には自宅アトリエでのテストシューティングに着手。「バー」ジャケットや「ミス ディオール」ドレスなど7着のアーカイブが、大きなジュラルミンのケースに収められ3人のSPを従えて、パリからやってきた。

「その光景は感動的でした。ケースを開けると洋服はシワひとつなく、鳥肌がたつくらいきれい。服というものにこんなにパワーがあるなんて、古い服なのに、いまだにエモーションが込められていることが怖ろしくもあり、驚きでもありました」

アトリエでの実験を終えて方向性は決まったが、テストはトルソーを使っての撮影。高木のファッション写真の根幹にある「服は人が着て初めて服になる」という表現は、7月のパリでの撮影まで持ち越されることになった。

夏のパリのスタジオにも、モデルが持つための花が大量に運ばれ、芳香を放っていた。トルソーに飾られる花は、いったんすみぐろの背景で撮影されたプリントを使用している。

コロナ禍でパリに行くことを悩んでいた高木だが、「あなたが撮影をするのに必要なことはすべて用意します」と説得されて渡欧。そこには彼女が日本から送った顔料を塗った自宅アトリエに限りなく近い“すみぐろ”の壁と床、そして自然光が降り注ぐセットが用意されていた。何十台もの彼女専用のトルソーとともに。当初は人に着せて撮ることにこだわったが、アーカイブのなかにはあまりにもフラジールで人に着せることができない服もある。バッグやヘッドピースも撮影しなければいけない。それでも「すべて動かす」というのが、高木が主張したコンセプトだ。服を着た人の写真にもトルソーに着せた服やバッグだけの写真にも、動きの軌跡のようなブレが写し出されている。その秘密を、彼女は「8秒間のマジック」と説明してくれた。

「人もトルソーもすべて8秒間カウントして撮影しています。4秒静止して、4秒動く。バレエダンサーをブッキングしたのもそのためです。彼女たちはちゃんとステイできて、しかも敏速に動ける。ずっと模索してきた方法ですが、今回は8秒という時間に起きることを写しとって、そこに歴史的な服が持つ時間の積み重ねや、過去・現代・未来を自由自在に旅しているような感覚を込めたかったのです」

モデルはすべてダンサーを起用。「ダンサーはフィジカルがコンシャス。ただ立っていても美しい」。靴は現実的なものだけれど、トウシューズは夢を表現するもの、とも高木は言う。photography: Marion Berrin

トウシューズを履いたバレエダンサーは重力に反したようなマジカルな動きをする。現実と夢の間を行き交うような動作はクチュリエの夢へと繋がっていく。高木が求めたモーションだ。それは期せずして、ムッシュ ディオールの服への思いと重なっていた。「For a dress to be successful, you have to have an idea of how it will move in the movement of life」という彼の言葉を知った時、今回の撮影を最初からムッシュが見守っていたような気がしたという。女性の顔のようにトルソーに一輪の花を挿したことも「Flower Woman」と、女性を花に見立てた彼の視点と符号する。「まっさらで始めたから、すっとムッシュ ディオールに出会えたのかもしれません。ディオールの服を撮影していちばん感じたものは愛。デザインする人や仕立てる人の愛が服に凝縮されていて、着る人も愛に満たされる。オートクチュールというのは、その愛の大きさや深さが全然違う」

今回の展覧会で出合う高木由利子の写真は、彼女が感じたオートクチュールの愛を、私たちにも届けてくれる。

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Yuriko Takagi東京都生まれ。武蔵野美術大学でグラフィックデザインを学び、後に英国のトレント・ポリテクニックでファッションを学ぶ。イッセイミヤケの服を世界のさまざまな場所に暮らす人々に纏わせ撮影したシリーズなど、独自のアプローチが評価され、ファッションブランドから多くのラブコールを受ける。現在は軽井沢在住。

間もなく始まる『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展、その見どころは?

メゾン創立70周年を記念して2017年に始まった『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展がついに日本にやってくる。そのタイトルどおり、創設者のクリスチャン・ディオールから現在のクリエイティブ ディレクターのマリア・グラツィア・キウリまで継承されてきたオートクチュールの夢を巡る展覧会だ。開催地ごとのキュレーションでこれまで世界6都市を巡回、ここ東京ではキュレーターのフロランス・ミュラーによる日本オリジナルの構成になっている。会場は13のスペース、13のテーマで展開。ムッシュ ディオールが愛した日本とメゾンの歴史を辿る「ディオールと日本」、上記の高木由利子の写真とともに歴代の後継者のアーカイブが並ぶ「ディオールの遺産」などのエクスクルーシブな展示に注目したい。「ニュールック」「ディオールの庭とミス・ディオール」など、メゾンを象徴するテーマも。アイコニックな香水などビューティの世界も堪能できる。なにより今回の東京展を特別なものにしているのがOMAの重松象平による空間デザイン。プロジェクションを多用して未来的ともいえるモダンな展示スペースを演出、歴史を未来へ届けるというこの展覧会のスピリットを体感させてくれる。

©Yuriko Takagi

『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展会期:12月21日~2023年5月28日東京都現代美術館(東京・清澄白河)営)10:00~18:00休)月(23/1/2、9は開館)、12/28~23/1/1、1/10料)一般¥2,000tel : 03-5245-4111www.mot-art-museum.jp/exhibitions/Christian_Dior/

*「フィガロジャポン」2023年2月号より抜粋

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