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写真家・石田真澄が語る自身の現在地とこれから

  • 2022.12.20
写真家・石田真澄

“のらの写真家”として一歩を踏み出すまで

仁科勝介

僕が最初に石田さんのことを知ったのは、2017年の写真集『light years-光年-』だったと思います。それ以降、本当に雑誌、広告問わずいろいろなメディアに仕事を広げられていて。僕からしたら同世代、もっと言えば少し年下の石田さんが、表舞台でバンバン活躍されていることに衝撃があって、すごいなと、ずっと刺激をもらっていました。

石田真澄

ありがとうございます。

仁科

写真家を目指すとなると一般的には、スタジオに所属したり、師匠についたりと下積みをする流れがありますよね。僕はどちらの道も通っていない、いわば“のら”なんですが、石田さんはまさにそののらのトップランナーだと思っています。

石田

のら(笑)、嬉しいです。

写真家・石田真澄

仁科

もともと写真家を目指していたんですか?

石田

いえ、実はそうでもなくて。もともと写真は好きで、中高生の頃からずっと撮っていたし、雑誌や広告をよく見ていました。でも私が生まれ育ったのは、大学を卒業して企業に就職するのが当たり前という家庭。芸術の道に進むイメージがあまりなかったんですよね。選択肢としては、出版社に就職して編集者になるか、広告代理店に就職してプランナーになるかの2択。あくまでも、写真を仕事にしている人と一緒に仕事がしたいっていう感覚でした。

仁科

プロの写真家になる道を拓いたのは、やはり写真集を出したことがきっかけだったんですか?

石田

そうですね。さらに遡れば、大学1年生の春に写真展をやったことがきっかけと言えるかもしれません。その展⽰が終わった後に編集者の⽅が声をかけてくださって、半年ほどかけて作ったのが『light years-光年-』でした。以来、仕事をいただくようになりましたね。

仁科

そこから広がっていったんですね。

石田

写真集があることで、名刺代わりではないけれど、いろんな人に見てもらえる機会が格段に増えたし、どういう写真を撮るかのイメージも持ってもらいやすくなった。実際にカロリーメイトの広告の仕事をいただいたのも、写真集がきっかけでした。

仁科

カロリーメイトの広告、僕も当時見ました。作品撮りとはまた違う、初めての仕事としての撮影だったと思うんですが、戸惑いはなかったんですか?

石田

それが、結構自由に撮らせてもらえたんですよね。当時の広告代理店の担当クリエイティブチームは若手の熱量ある方々が揃っていて、後から聞いた話によると、今まで広告で撮ったことのない写真家にお願いしよう、という決め事があったのだそう。それで、作家活動に専念をしていた方や若手の写真集を何十冊も買ってきて、一人ずつ見ていったらしいんです。その中に、たまたま出したばっかりの私の写真集が入っていたようで、声をかけていただきました。でも、その時点で本決まりだったわけではなく、アートディレクターの方のところに行ってブックを見てもらい、お話ししたりもしましたね。

仁科

うわー、そこまで!もはやオーディションですね。

石田

当時は何も分からなかったので、割と好きなように、いい意味でプレッシャーを感じずに撮らせてもらえました。私の場合はフィルムの写真だから、現場でチェックができないし、何より未経験。リスクも大きい中で託してもらえるなんて、今考えればすごいことだったなと思います。

写真家・石田真澄の後ろ姿

写真家として、作品の見せ方にどこまで関わるか

仁科

そこから、雑誌と広告を行き来しながらいろんな媒体で撮られていますよね。個人的には雑誌『TRANSIT』でモンゴルに行かれていたのも印象的でした。勝手に、同年代の写真家の中でも、石田さんってめちゃくちゃ量を撮っているイメージがあるんですが、基本的に、写真は毎日撮っているんですか?

石田

大体はそうですね。プライベートでも常にカメラは持っていて、気になったら撮っています。

仁科

しかもフィルムですよね。それってものすごくエネルギーを使うんじゃないかなと思うんですが。

石田

あまりエネルギーを使っている感覚はないですね。もちろん長時間だったり、緊張したりして体力的に消耗する仕事はあるけれど、日頃撮るような写真は、さて作品にするぞと構えるわけではなく、好きなときに好きなように撮っている感覚だから、割と自然な流れなんですよね。逆に、旅に行ったからといって必ず撮るわけでもないし、“撮らなければ”っていう意識はあまりないんです。

仁科

ああ、写真に縛られてないんですね。でも、そうして自然と撮った写真が、編集されることで作品になると。

石田

はい。その中から、どれをどう選んで、どう見せるかっていう過程を経て、作品なり作品集になっていくんだと思います。

仁科

僕はこの11月に、『どこで暮らしても』という写真集を自費出版で作りました。すべて東京23区内で撮ったスナップで構成しているものなんですが、写真のセレクトから構成を含め、基本的には自分で主導したんです。写真集はこれまでも作ってきましたが、一度ディレクション的な面も含めて、1から10まで自分で関わってみたいなと思って。

石田

すごい、そうなんですね。

仁科

作るにあたって、参考にしようといろんな写真集を隈なく見ていったんです。すると、なぜページに余白があるのか、順番がどうなっているのか、なぜここに白紙が一枚挟まれるのか、なぜこのフォントなのか、と今まで気づかなかったような細部にまで作り手の意志を感じるようになって。本としてまとめる難しさと奥深さを実感して、改めて「写真集ってすごい!」と感じたんです。

石田

分かります。だからこそ、私の場合は、そこは自分の仕事じゃないと割り切って、信頼している編集の方に任せてしまいますね。自分の写真が好きだからこそ、冷静に見られないというか。もちろん、やり方は人それぞれだと思うんですが。

仁科

そうなんですね。

石田

他の方とやるからこその面白さもあるなと思っていて。ある意味、広告の仕事の魅力もそう。私が撮るのがシンプルな風景の写真であっても、そこにコピーが載ることによって、企業の立派な広告になることがありますよね。あがってきたデザインを見て、「私の写真はこう使うんだ」「こう文字を載せるとこんなにも変化するんだ」と感じる瞬間が一番好きなんです。もちろん私の写真の良さを理解してくださっている方と仕事をしたいのは大前提ですが、その上で写真が形を変えていくのは、むしろ好きなんです。

仁科

ああ、少し分かるような気がします。僕自身は、学生時代に日本全国の市町村を旅して撮った写真のおかげで、今の立場があると自覚しているので、そこに対して誠実に続けるしかないなと考えています。ゆえに、自分のテイストをある種寄せる必要があるイメージの広告やファッションの仕事はあまりやったことがないのですが、一方で石田さんがおっしゃるようなチームでやっていく仕事にもすごく憧れがあるんです。できる表現の規模もより大きくなりますよね。僕もいずれは、自分のスタイルのまま、何か大きなチームで動かすような仕事ができたらいいなと思っています。石田さんは、これから進む道をどう考えていますか?

石田

現状に満足せず、いろんなことをやりたいなと思っています。例えば私の場合、展示をしても、作品自体よりも作品集の方が手に取っていただけることが多くて。というのも、私の作品って、一枚絵ではなく、写真集や展示で連続して見てこそ活きるものなのかなと。

仁科

ああ、確かにそうですよね。

石田

でも一方で、時々買っていただけると、すごく嬉しいと感じる。もちろん、別に必ず売れるように仕向けたいわけではないんですが、現状のスタイルに凝り固まることなく、いろんな展示方法や作品などに挑戦していきたいなと思います。

仁科

なるほど。

石田

あとは、人を撮ることはまだまだ飽き足らないですね。毎回新しい現場、新しい被写体だから、この人数撮ったからもう満足、とはならない。これからも長く撮り続けたいなと思っています。

写真家・石田真澄

profile

石田真澄

いしだ・ますみ/1998年、埼玉県生まれ。2017年5月初個展を開催し、 18年2月に初となる写真集『light years -光年-』を刊行。以来雑誌や広告を中心に活躍している22年4月には女優の夏帆を2 年にわたって撮り続けた写真集『おとととい』も刊行した。
Instagram:8msmsm8
Twitter:@Masumi_Ishida_

profile

仁科勝介

にしな・かつすけ/1996年、岡山県生まれ。2018年3月に市町村一周の旅をはじめ、20年1月に全1741の市町村巡りを達成。旅の記録をまとめた『ふるさとの手帖』を出版した。今年11月には、東京23区を巡って製作した写真集『どこで暮らしても』を刊行。Instagram:katsuo247
Twitter:@katsuo247

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