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婚約者が失踪した。自分は傲慢だったのか――。心を見抜かれる、辻村深月の恋愛ミステリ

  • 2022.12.17

「傲慢さと善良さが、矛盾なく同じ人の中に存在してしまう」――。

辻村深月さんの作家生活15周年記念作品として、2019年に刊行された『傲慢と善良』(朝日新聞出版)。「人生で一番刺さった小説」との声が続出し、読者の圧倒的な共感を集めた恋愛ミステリだ。単行本は8刷のロングセラーとなり、今年ついに文庫化された。

恋愛、婚活、結婚をテーマに、登場人物の心理を丹念に描写しながら、人間の内面に潜む「傲慢」と「善良」に焦点を当てている。読みながら、自分は善良だと思っているかもしれないけど、傲慢でもあるでしょ? と問われているようでギクリとした。

婚約者・坂庭真実(さかにわ まみ)が姿を消した。その居場所を探すため、西澤架(にしざわ かける)は、彼女の「過去」と向き合うことになる――。彼女は、なぜ姿を消したのか。浮かび上がる現代社会の生きづらさの根源。

私はちっとも、大丈夫じゃない

坂庭真実、35歳。ある夜、真実は全力で走っていた。転がり込むようにタクシーに乗り、震えながら婚約者の架に電話をかけた。「あいつが家にいるみたい。どうしよう。帰れない」「助けて、架くん――」。

「私はちっとも、大丈夫じゃない。(中略)いつになったら『大丈夫』になれるのかわからなくて、怖くて、恐ろしくて、涙が出る。祈る。お願い。怖い。架くん、お願い。助けて。私を助けて」

西澤架、39歳。真実とは婚活で知り合い、付き合い始めて2年以上が経過していた。電話がかかってきたあの夜、架は「この子と結婚しよう」「守らなければダメだ」と決意した。「第一部」は、架の視点から語られる。

それから真実は架の家に泊まるようになった。結婚式場も予約した。ところが――。あの夜から2ヵ月後、真実は突然失踪した。大丈夫だと思いたかったが、異常事態が起きていることは間違いなく、架は焦りを感じ始める。

彼女の物語と過去を知りたい

架は警察へ向かい、婚約者が行方不明であること、ストーカー被害に遭っていたことを伝える。真実からストーカーの話を聞いたときの会話を、架は思い出していた。

「――架くん、ちょっと考えすぎかもしれないんだけど、私、誰かに見られている気がする」。真面目で律儀な性格の真実らしく、控えめな言い方で切り出された。心当たりがあるとすれば、地元の群馬にいたときに告白されたのを断った相手だと言っていた。

その時点で警察に行かなかったことが悔やまれる。しかし、真実自身が止めたのだ。「相手の気持ちも、なんとなく、わかるところもあるから」「三十過ぎてからの失恋が、つらい気持ちとか、なんていうのかな、不安な気持ち」と。

警察の判断は、事件性は極めて低く、本人の意思による失踪である可能性が高い、というものだった。ありえない。真実はそんな子ではない。架は真相を突き止めるため、群馬へ向かう。そして真実に関わりのある人物を順に訪ねていく。

「真実と出会う前の架に自分の物語や過去があったように、架と出会う前の真実にも、同じく彼女の物語と過去があったはずだった。その過去を、甘く見ていた。だから純粋に知りたかった。群馬にいた頃、彼女に何があったのかを」

共存する「傲慢」と「善良」

「傲慢」と「善良」という言葉がたびたび出てくる。たとえば、真実が訪れたことのある結婚相談所の女性は、架にこう話す。「現代の結婚がうまくいかない理由は、『傲慢さと善良さ』にあるような気がするんです」――。

皆、謙虚で自己評価は低いのに、自己愛がとても強い。ささやかな幸せを望むだけ、と言いながら自己評価額は相当高い。だからピンとくる(自分の値段と釣り合う)相手になかなか出会えない。こうした「傲慢」と「善良」が、同じ人の中に存在しているのだ、と。

聞きながら、架は女友達と以前交わした会話を思い出していた。「あの子と結婚したい気持ち、今、何パーセント?」「七十パーセントくらいかな」「それはそのまま、架が真実ちゃんにつけた点数そのものだよ」――。「傲慢さ」という言葉が、架に突き刺さる。

「真実はここで、どんなことを考え、そして、どうして架を選んだのか。(中略)彼女が架につけた値段が――点数が、いくらくらいのどういうものだったのか。自分から彼女に対してのものは考えたことがあっても、その逆は、これまで考えたこともなかった」

架の目に映る真実は、「善良な女性」だった。彼女の身に何が起きたのか。ストーカーは誰で、今どこにいるのか。関係者の話から真実の実像がじわじわと浮かび上がってきたところで「第一部」は終了し、続く「第二部」は真実の視点から語られる。

本人も気づいていなかったり、または見て見ぬふりをしていたりする心の深部を、鋭い洞察力で的確な言葉にしてしまうところに、辻村さんの凄みを感じる。本書は、結婚をはじめとする重要な局面でぐらついた経験がある人に、とりわけ刺さるに違いない。

■辻村深月さんプロフィール
つじむら・みづき/1980年2月29日山梨県生まれ。作家。千葉大学教育学部卒。2004年に『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞し、デビュー。11年『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞、12年『鍵のない夢を見る』で第147回直木賞、18年『かがみの孤城』で第15回本屋大賞受賞。著書に『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』『島はぼくらと』『青空と逃げる』『琥珀の夏』『闇祓』『嘘つきジェンガ』など多数。

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