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【朝鮮王朝ランキング】せっかく国王になっても短命だった5人の顔ぶれは?

  • 2022.12.16
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朝鮮王朝にいた27人の国王の平均寿命は約46歳だった。若くして命を散らした国王もたくさんいたのだ。特に短命だった5人を取り上げてみよう。

〔短命だった国王〕

1位 6代王・端宗 16歳(1441年~1457年)

2位 8代王・睿宗 19歳(1450年~1469年)

3位 24代王・憲宗 22歳(1827年~1849年)

4位 12代王・仁宗 30歳(1515年~1545年)

4位 10代王・燕山君 30歳(1476年~1506年)

以上の中で、最も悲惨な形で世を去った人を挙げれば、それは6代王・端宗(タンジョン)の他にはいない。

彼は5代王・文宗(ムンジョン)の長男として1441年に生まれたが、誕生したときに早くも母を亡くしている。さらに、父も11歳のときに病死してしまった。

一番短命だった端宗の肖像画(写真=江原道寧越郡)
若くして亡くなった国王

このように両親が早く亡くなったことが端宗にとって不運だった。彼は11歳で即位したのだが、後見人がいなかったことで孤立してしまった。その弱さを叔父の首陽大君(スヤンデグン)に突かれてしまった。首陽大君はとてつもない野望を持って1455年に強引に王位を奪った。そして、7代王・世祖(セジョ)となった。

端宗を慕う忠臣たちは、復位運動を開始して首陽大君の失脚を狙うが失敗して処刑された。端宗が生きていると再び復位運動が起きることを恐れた世祖は、端宗を死罪にしてしまった。結局、端宗はわずか16歳で命を落とした。こうした事情があったので、彼は国王の中で最も短命になった。

その他、短命の2位と3位となった睿宗(イェジョン)、憲宗(ホンジョン)は病気で亡くなったが、4位の仁宗(インジョン)は継母だった文定(ムンジョン)王后に毒殺された疑いがきわめて高い。それは、文定王后が実子を国王に就けるためだった。文定王后は42人いた

王妃の中で最も性格がひどい悪女だった。

次に、在位が短かった国王のランキングを表示すると、以下の通りとなる。

1位 12代王・仁宗  8カ月  (1544年~1545年)

2位 8代王・睿宗 1年2カ月(1468年~1469年)

3位 2代王・定宗 2年2カ月(1398年~1400年)

4位 5代王・文宗 2年3カ月(1450年~1452年)

5位 27代王・純宗 3年1カ月(1907年~1910年)

この中で5位の純宗(スンジョン)は朝鮮王朝が1910年に滅亡したので、必然的に在位が短くなった。こうして彼は最後の国王になってしまったが、亡くなったのは1926年だった。享年52歳であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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