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「ネクタイを締めた人間を連れて来い」47歳で総合職転換し総務部長になった女性が浴びた悔しすぎる言葉

  • 2022.12.16

地元の秋田で育ち、就職し、40歳で管理職に昇進。大好きなメンバーに恵まれて、そこでの日々が当たり前につづいていくと思っていた。そう当時を振り返るのは、住友生命保険相互会社 埼玉中央支社 総務部長兼コンプライアンスオフィサーの新城るみ子さん。新城さんに、思いがけない転機が訪れたのは、入社28年目の47歳のことだった――。

47歳で初の「上京」

思いがけない転機が訪れたのは47歳の時。秋田で生まれ育ち、そのまま地元で就職した新城さんに、思わぬ東京行きの話が持ちあがったのだ。

住友生命保険相互会社 埼玉中央支社 総務部長 新城るみ子さん
住友生命保険相互会社 埼玉中央支社 総務部長兼コンプライアンスオフィサー 新城るみ子さん

「東京本社で1年間働くキャリアアップ支援制度があるから、『視野を広げてみるのに、どう?』と上司に声をかけられて。最初は『イヤ、無理です』と(笑)。チャレンジしたい気持ちはありつつも、それ以上に目の前の仕事や部下の育成のことで頭がいっぱいだったので、1年離れるなんてとんでもない、と。自信もなくて、何度もお断りしたのを覚えています」と当時を振り返る。

秋田支社に一般職で入社してから28年、保険まわりの手続きから売り上げに関する営業事務、採用などにかかわる総務業務まで、ひと通りの事務を経験した。上司の後押しで管理職になったのが40歳の頃。それから7年後の急な上京話に正直戸惑った。しかし最終的に新城さんは「1年だけなら……」と決め、本社への異動を受け入れる。これが大きな転機となった。

「1年後に帰るから」

本社で内部監査部へ配属された新城さん。北海道から沖縄まで各支社をまわりながら、改善提案をするのが主な業務だ。そこで知ったのが、秋田支社で28年間働いた経験が、全国でも活かされることだった。

「何か、私の中で火がついたような気がします。これまで自分が学んできたことをもっともっと活かしていきたい、秋田での学びを全国の方に伝えていきたいと」

本社での一年間が終わったら、前の職場へ戻るのが通常の流れ。しかし、新城さんは秋田へ帰らないと決めた。総合職として、全国転勤する役に自ら手を挙げたのだ。この決断をするまでに、新城さんには大きな葛藤があったという。

「もともと東京に行く時、秋田で一緒に働いていたメンバーに、1年後に帰ると約束していたんです。突然一人が抜けた分大変なこともあるだろうに、私が帰ってくるまで待ってくれていて……。戻るはずだった私が戻らないことで、メンバーには大きな負荷や迷惑をかけてしまったと思います」

次に「気持ちに火が付く」のは何年後か

本来なら秋田へ戻り、東京での学びをメンバーにシェアし、もっと現場を整えてから再度チャレンジするべきなのかもしれない。でも……。

「その時点で、私は40代半ばも過ぎていて、次に機会が訪れるのはいつになるのだろう、と。秋田に戻ったあと、また気持ちに火を付けられる自信がなかったんです。チャレンジするなら、今回が最後になるだろうと思いました」

もともと全国転勤など考えていなかった新城さんは秋田にマンションも購入していた。正直東京に行かない理由の方がたくさんあったが、それ以上に、「これまでの経験を生かして役に立ちたい」という気持ちが強く燃え上がり収まらなかった。

内示が出るまでは、職場のメンバーに話せないこともつらかった。直接ではなく、辞令で突然知らされたショックを思うと胸が痛む。新城さんは全員に手紙を書き、手渡した。

最も親しかった同僚とは、二人きりで飲む機会があった。共に苦労を乗り越えてきた戦友であり、素直な気持ちを語り合った。彼女に、手紙を渡した時のことはずっと心に刻まれているという。

「秋田に戻ってくると思った」という言葉と共に何杯か飲んだあと、彼女が言ってくれたのは「行くと決めたなら、会社に影響を与えるような仕事をしてほしい」というエールの言葉。

「必死で努力しなければ申し訳ないと、覚悟を決めた瞬間でした」

「ネクタイを締めている人間を連れて来い」

入社約30年目にして上京。そして総合職としてゼロからのスタート。困ったときに頼れる人脈もない中、初めての業務に四苦八苦することばかりだったが、2年目には総務部長に任用された。

山形支社への赴任が決まったが、現地では女性初の役職だったのもあってか最初は警戒されるような空気もあり、契約者からの申し出に出向いた際に、「ネクタイを締めている人間を連れて来い!」と言われるなど、最初はなかなか苦戦した。職場でも部下や職員から信頼を得るために何をしたらいいかと悩み、上司に相談したところ「それを指示して動かすのが総務部長の仕事」と、逆に自分の甘さを厳しく指導され、ひどく落ち込むこともあった。

「支社から来たスパイだ」

しかしそんな壁を突破するのに、秋田時代の経験が生きた。秋田時代、支社から営業現場の事務に配置転換されたときのこと、いぶかしく思った支部長から「営業現場の様子をチェックしにきた、支社からのスパイだろう」と思いがけない疑いをかけられたことや、どうしても社内のルール上、承諾できない支部長からの相談を断った時に「営業現場のことを何も知らないくせに!」と電話をたたき切られたこともある。まだ関係の浅い相手といかに信頼関係を築いていくかということを、新城さんは電話で、対面で28年もの間学んできたのだ。

そこで、新城さんが行ったことは、直属の部下全員に直接会いにいくこと。

山形を走る道路
※写真はイメージです(写真=iStock.com/thanyarat07)

山形には5つのブロックに分かれた拠点があり、それぞれに女性のサブマネージャーがいた。片道2時間以上かかる場所もふくめ、県内各地に点在する各拠点へ毎月足を運び、全員と面談をした。その上で、それぞれの人柄を見極め、裁量を与えて任せることにしたのだ。

「それまでは決断は総務部長かグループマネージャーがして、それを実行にうつすのがサブマネージャーという役割分担が組織内にありました。でも思い切ってサブマネージャーの裁量を大きくすると決めて、チームの活性化を目指したんです」

するとみるみる部下のモチベーションが上がり、毎月のように変化があらわれ、数カ月後には社長表彰を受けるほどに成長を遂げた。

「女性がマネジメントをするという意識が今よりも低い時代だったからこそ、『あなたならできる』とやる気を引き出すことが大切でした。そのためには一人ひとりのキラリと光る部分を見つけ、『対応が良いね』『あなたに会うだけで元気が出るよ』と素直に褒める。悪いことも遠回しにせずにすぐ伝えて、心をオープンにすることを心がけていました」

「9年間の5回の転勤」で知った大切なこと

総合職になってからは9年間で5回の転勤を経験した。中でも苦戦し一番つらかったと振り返るのは、次の大阪時代だった。サービス部門で初の女性室長に任命された新城さんは、部門を支える女性人材の活躍を推進するための企画も任されるようになる。それまでに企画の経験はまるでなかった新城さん。何から手を入れたらいいのかわからず途方に暮れた。

「企画を何度持って行っても、思うように通らない。最終的には、女性リーダーの本を読んだことをきっかけにセミナーを開催するなどしたのですが、それまでの道のりが険しくあの時ばかりは心が折れかけました」と漏らす。

そんな大阪時代に受け始めたのがコーチングだ。併せて脳科学や心理学なども学び、そこで自分の心の状態を整えることの大切さを知る。

ヨガの蓮のポーズで呼吸を整える
※写真はイメージです(写真=iStock.com/gmast3r)

コーチングの先生に「仕事で目標達成のハードルを上げ過ぎていませんか? 幸せを感じるハードルを下げてみることで気持ちが楽になりますよ」と教えてもらったことが今の仕事にもつながっているそうだ。

「大切なのはまず、自分自身が『ウェルビーイング(より良く生きる幸せ)』を実感すること。オフの時間にはヨガなどでリラックスし、空を眺めるだけでも幸せな気持ちになれることを知りました。そうやって肩の力を抜けたことで、仕事もうまくまわるようになっていったんです」

葛藤の日々を支えた「ライフ・イズ・チョイス」

新城さんは今年4月から、埼玉中央支社へ異動となった。ここは支部長の地元採用の割合が全国でも高く、女性の活躍の場を広げていくことがミッションになっている。まさにこれまで培った経験や知識を生かして、サポートできる充実感もある。

今新城さんが力をいれているのが、自社の健康増進型保険“住友生命「Vitality」”を普及する職員自身がイキイキと働ける職場環境をつくること。「ウェルビーイング」を支える健康増進などのサービスを提供する商品で、そのためには職員にも「より良く生きる幸せ」を浸透することが大切。新城さんも自身の生き方を見つめ直してきた経験が生かされている。

「私が好きな言葉が『ライフ・イズ・チョイス』。通訳者・戸田奈津子さんの言葉です。人生は選択次第で、選んだことは自分で責任を持たなければいけない。秋田を離れる時も皆に負担をかけてしまうのがつらかったけれど、自分で選んだことなのだから、自分で責任を持って乗り越えていかなければいけないと自分を奮い立たせていました」

待ち望んだ6年ぶりの再会

そんな新城さんにとって一番うれしいことがあった。自信がなくて、しばらく連絡できずにいた秋田時代のメンバーに、数年前会う機会に恵まれたのだ。仕事で秋田支社に顔を出す機会があった時、当時のメンバーが笑顔で声をかけてくれたのが本当にうれしかった。その後仕事で結果が出て自分の気持ちに折り合いがついた時、最も親しかった同僚にも勇気を出して、「会いたいね」とメールを送ったら、「じゃあ、4人で会おうか」と返事が。仲間たちも誘い合わせて楽しい晩を過ごすことができた。約6年ぶりの再会が決まった時は思わずうるっとしたという新城さんは、「また目の前の仕事に邁進しようと思えたんですよね」と、その顔はとても晴れやかに見えた。

歌代 幸子(うたしろ・ゆきこ)
ノンフィクションライター
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。

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