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もはや偉人伝。生まれながらの「ユーミン」が大人になるまでの物語――『小説ユーミン』

  • 2022.12.16

デビュー50周年の節目を迎えた今年、文化功労者に選ばれた「ユーミン」こと松任谷由実さん。これまでに生み出したオリジナルアルバムは39枚、公演数は2000回を超える。大晦日のNHK紅白歌合戦では、自身の原点である「荒井由実」とコラボするとあって、話題に事欠かない。

山内マリコさんの『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』(マガジンハウス)は、松任谷さんが「荒井由実」だったころを描いたノンフィクション・ノベル。3歳のころの思い出から少女時代、そして名曲「ひこうき雲」が生まれるまでを、山内さんが本人への取材をもとに小説仕立てで書いている。

呉服屋の4人きょうだいの3番目

主人公の由実は1954年、東京・八王子の裕福な呉服屋に生まれた。8つ上の兄と3つ上の姉、年子の弟との4人きょうだい。旧家で長男や長女とは何かと待遇の差があったものの、店の従業員たちにも可愛がられ、いい具合に放任されて育つ。

お手伝いさんにお抱え運転手もいる何不自由ない暮らし。「筋金入りの娯楽愛好家」の母は、芝居に映画にとしょっちゅう由実を付き合わせた。市川雷蔵の『第三の影武者』など残忍非道な暴力描写が見どころの映画でもお構いなしだ。由実が年齢の割に大人びて、早くからエンタテインメントの世界に興味を持ったのは、この母の影響も少なからずあっただろう。

勉強も運動もよくできて、絵も達者。ピアノや清元を習い、音楽の才にも秀でていた由実は、子供のころから一目置かれる存在だった。「界隈の子供がごっそり詰め込まれている」公立の小学校には、さまざまな出自の子が通ってくる。そんな中で、由実の記憶に深く刻まれているのは、遊郭の跡地で盲目の父と貧しい暮らしをしている「野沢さん」の家に遊びに行ったこと、そして、豪邸に住んでいるが病気のために足をひきずって歩く「水上くん」のことだった。

その後、中学受験をして立教女学院に進学した由実は、グループ・サウンズが一世を風靡するなか、高度経済成長期の東京を好奇心いっぱいに回遊しはじめる。米軍基地、ジャズ喫茶、大人の社交場キャンティ......。臆することなく次々と新しい扉を開け、日本の音楽業界をリードする人々と出会い、才能を開花させていった。

「毎日ワクワクできることを探し、もうすっかり大人になったような気がしていた」1969年の春、由実のもとに小学校時代の同級生、水上くんの訃報が届く。当時15歳、高校1年生の時のことだった。

サクセスストーリーの"真逆"

荒井由実のファースト・アルバム『ひこうき雲』はそれから4年後の1973年11月にリリースされた。本書にはそこに至るまでの出来事や当時の情景、由実の心の動きがつぶさに描かれている。

由実は、水上くんの少し引きずる足を、それを自分がじっと見つめていたことを思い出す。それから、励ますつもりで言った言葉を誤解されて、胸がつぶれそうに悲しかったことも。
この世はどうにもならないことばかりだ。時は絶え間なく過ぎていくし、人は死ぬ。永遠に留まってなんかいられない。そう思ったとたん、なぜ生きるのかわからなくなって、虚無みたいなものが襲いかかってくる。
(中略)
あの子の人生は、なんだったの?
(本文より)

それまでのどんなジャンルにも属さない、全く新しい由実の曲は、最初こそ低空飛行だったものの、やがて絶大な人気を得る。由実は押しも押されもせぬシンガーソングライター、「ユーミン」になった。そして、デビュー50周年を迎えた今もなお走り続けている。

松任谷さんは本書の刊行に寄せて、「これは多くの人たちが好きなサクセスストーリーの真逆だから、全くシンパシーが得られなかったとしても仕方ない」とコメントしている。確かに、恵まれた家庭に生まれ、天賦の才とそれを活かす度胸や人を惹きつける魅力、そうしたすべてを兼ね備えた松任谷さんには、艱難辛苦を乗り越えて道を切り開いてきた努力の人、といったイメージは全く似合わない。ただ、彼女は生まれながらにして「ユーミン」だった、というほかない。

かまやつひろし、高橋信之、村井邦彦、細野晴臣など、日本のポップミュージックをけん引してきた重要人物が次々と登場し、おおむね時系列に書かれているので、50年代から70年代の音楽やカルチャーを知る上でも参考になる。何よりユーミンの歌にのせて、当時の空気感を追体験できるのが楽しい。感動の物語を期待すると肩すかしを食うので、「伝記」それも「偉人伝」だと思って読むといいかもしれない。

■山内マリコさんプロフィール
やまうち・まりこ/1980年、富山県生まれ。2008年に「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞。12年、初の単行本『ここは退屈迎えに来て』を刊行。ほかの著書に、21年映画にもなった『あのこは貴族』や『一心同体だった』などがある。

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