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五島列島の無人島・野崎島へ。教会・廃墟に古代ミステリー、異国な風景で驚きの体験を!

  • 2022.12.13

こんにちは、絶景ハンターのまゆみです。

長崎の五島列島といえば、世界遺産にも登録された潜伏キリシタンに関する文化遺産が有名ですよね。最近では、NHKの連続テレビ小説『舞いあがれ!』の舞台にもなって、今もっともホットな離島のひとつです。

そんな五島列島の一つ、知る人ぞ知る「野崎島」は、現在ほぼ無人状態。でも実は、潜伏キリシタンの文化とともに古代から受け継がれた神道文化が共存し、鹿が群がるサバンナや美しすぎる海など、日本離れしたユニークな風景が広がります。

今回は、そんな野崎島の魅力をご紹介します。

五島列島のひとつ、無人島・野崎島とは

photo by PIXTA

NHKの連続テレビ小説『舞いあがれ!』の舞台にもなり、今、熱い視線が注がれる五島列島。

九州の西の海上約50kmに位置し、北に宇久島や小値賀島(おぢかじま)、南に中通島(なかどおりじま)を中心とする「上五島」、福江島を中心とする「下五島」など大小140余りの島々で構成された長崎の離島です。

今回ご紹介する野崎島は、小値賀島の東海上2kmに浮かぶ東西約2km、南北約6kmの縦長の島で、現在は廃墟だらけ。事実上、無人島となっています。

Photo by Mayumi

8世紀頃には、"すでに人が暮らしていた"という記録が残る野崎島。

江戸時代後期、キリスト教弾圧を逃れ、多くの潜伏キリシタンが長崎本土から移り住みました。もともとの集落から新たに2つの集落(野首集落、舟森集落)を切り拓いて、多いときには島民650人ほどが生活していたとされています。

やがて禁教が解かれ、昭和の高度経済成長期に入ると、多くの島民が現金収入を求めて本土へ移住、急速な人口減少が起こります。そして昭和41年(1966年)には舟森集落が、昭和46年(1971年)には野首集落が相次いで廃村となり、平成13年(2001年)には最後の住人であった沖ノ神嶋(おきのこうじま)神社神官が離村したことで、野崎島は事実上、無人島となりました。

Photo by (一社)長崎県観光連盟

無人島となっても、野崎島で育まれた独特の景観や文化、歴史、自然は未来に受け継ぐ大事な財産として小値賀町が管理を引き継ぎ、その後、小値賀諸島とともに国の重要文化的景観に選定されました。

廃墟となった無人島は今、最低限の観光施設と設備が整えられ、観光客を受け入れています。

Photo by Mayumi

手つかずの原生林を多く残す山林や天然記念物のカラスバト、そのほか多種多様な動植物に恵まれた野崎島は「西海国立公園(野崎島ワイルドパーク)」に指定されています。

特に野生化した鹿(キュウシュウジカ)は現在約400頭も生息し、道行けば鹿に出くわすほど鹿天国。

さらに、いつの頃からか野生のイノシシまで住み着き、現在増加傾向のため、要注意生物となっています。

野崎島の見どころ

それでは、いよいよ野崎島の主な見どころをご紹介しましょう。

潜伏キリシタンらが残した文化~世界遺産「旧野首教会」

Photo by Mayumi

2018年に登録された長崎の世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。その構成遺産のひとつに「野崎島の集落跡」も含まれています。

そのシンボルともいえる赤レンガ造りの旧野首教会は、明治41年(1908年)、当時、教会建築の第一人者とされた名工・鉄川与助が手掛け、島の中央に位置する野首集落に建設されました。

本教会を建てるにあたり、当時、野首集落に暮らしていた17戸の信者たちが生活を極限まで切り詰め、キビナゴ漁で得た収入を蓄えて、当時の価格で3,000円(現在の価値で約2億円)の資金を捻出したといわれています。

この類まれな美しさは、潜伏キリシタンらの祈りの深さを反映しているようです。

Photo by Mayumi

教会内部も素朴な中に洗練された美しさが際立ちますが、残念ながら2021年5月より、内部天井の一部に崩落が見られ、当面立入禁止となっています。(詳細は小値賀町ホームページをご参照ください)

ただし、天気の良い日などは換気のために扉が開放されることもあり、状況次第ですが、教会守(野崎島自然学塾村の塾長)の許可をとった上で中をのぞく程度は可能です。

Photo by Mayumi

こちらは、島の南端に切り拓かれた舟森集落跡。現在は、その石積みと白の大きな十字架が残されています。

神宿る「王位石」と沖ノ神嶋神社

Photo by Mayumi

ここは、潜伏キリシタンが入植するはるか昔から野崎島で信仰されていた「神道」。

その象徴といえるのが、島北部の山中に鎮座する沖ノ神嶋神社です。創建は西暦704年にさかのぼり、海を挟んで向かい合わせに建つ小値賀島の地ノ神嶋(ちのこうじま)神社から分祀されたと伝わっています。

航海安全の神として五島列島一帯で篤く信仰され、「遣唐使がわざわざ五島列島沿いに航路を変更した」と伝えられているほど。人がいなくなった現在は荒れ果てて寂れていますが、神聖な空気はそのままです。

Photo by Mayumi

そして、沖ノ神嶋神社の背後にそびえたつのが、高さ約24m、幅約12mにもなる巨石群の「王位石(おえいし)」です。

その姿はさながら東洋版ストーンヘンジ。それが自然にできたものなのか、はたまた人工的なのか、その成り立ちは未だ謎に包まれています。横たわる石の上に神が降臨したといった伝説も残され、神宿る石として知る人ぞ知るパワースポットです。

Photo by Mayumi

実は、王位石の裏側から回り込むと、岩と岩との間から大海原や島々の絶景が!とはいえ、あまりの高さに足がすくみます。

ちなみに、野崎島へ船で向かう際、船上からも山の中にそびえたつ王位石の存在を確認することができますよ。

なお、山中の道のりは荒れて迷いやすく、過去に遭難事故も発生しています。さらに、野生のイノシシに遭遇する危険性もあり、訪問には現地スタッフによるガイドツアーに参加することが原則とされています。ご注意ください。

五島列島随一の美しさ!野首海岸と軍艦瀬

Photo by Mayumi

野崎島自然学塾村から徒歩3分のところにあるのが「野首海岸」です。

約300mにわたる白砂のビーチとマリンブルーの海は五島列指の美しさ!もちろん、夏場は海水浴も可能です。

Photo by Mayumi

島の東部に広がる「軍艦瀬」は、はるか昔の火山活動により形成された「野崎火山火口跡」で、コバルトブルーの透明な海と赤褐色の台地が広がります。そのコントラストはまさに絶景!

ノコギリの歯状に突き出た岬が軍艦に見えたことからこの名がついたといわれています。

本当にここは日本!?野崎島のサバンナ

Photo by Mayumi

こちらも島の東部に広がる、通称「サバンナ」。

草木がまばらな荒涼とした赤い台地に鹿たちが群がる光景は、確かにアフリカの「サバンナ」を彷彿とさせますね。

Photo by Mayumi

小さな島にこれだけさまざまな異色の風景が共存する野崎島。

「まるで異国に降り立ったみたい」 訪れた旅人たちが口を揃えてそう答えるというのも納得がいきます。

野崎島の伝統文化を伝える「沖ノ神嶋神社神官屋敷」

Photo by Mayumi

次にご紹介するのは、廃墟だらけの野崎島に遺された数少ない伝統建築である「沖ノ神嶋神社神官屋敷」。

明治29年(1896年)に建設された沖ノ神嶋神社の神官一家が代々暮らした屋敷で、最後の神官が離村したあと町が譲り受け、重要文化財として観光客が見学できるように修繕したものです。

Photo by Mayumi

来賓向けの「表玄関」や、来賓へのおもてなし、神事等を行った特別な「ザシキ」、沖ノ神嶋神社の遥拝所を屋敷内に併設していたことが大きな特徴です。

一方で、昔ながらの囲炉裏端の茶の間や釜戸をしつらえた台所、寝室の納戸など、当時の神官家の暮らしぶりも伺えます。

野崎島のことなら「野崎島ビジターセンター」へ

Photo by Mayumi

小値賀島から出航する町営船「はまゆう」で野崎港に降り立つと、すぐ目の前に現れるのが「野崎島ビジターセンター」。

島内の観光案内から、島に生息する動植物や鹿の生態、野崎島に伝わる神道や潜伏キリシタンの資料などが展示されています。より深く野崎島を知りたくなったら、ぜひ一度立ち寄ってみてくださいね。

野崎島へ遊びに行くときは、まずは事前連絡を

すぐにでも遊びに行きたい!と思ったあなた。まずは訪問前に、「おぢかアイランドツーリズム」への事前連絡と相談が必要です。というのも、前述したとおり、野崎島はほぼ無人の島。

唯一の休憩所兼宿泊施設は野崎島自然学塾村のみ、しかも管理者や関係者は観光客にあわせてわざわざ来島することが多いため、万が一があったとき誰も助けてくれません。

島内にお店などが一切ないだけでなく、携帯電波も圏外が多く、船は1日2便、イノシシまで出没する野崎島。決して無断で訪れないようにしましょう。

また、野崎島は国立公園内でもあります。決められたルールを守って、安心安全に遊びつくしましょう!

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