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社長はラメ入りスーツにプラダの靴…残業代を求めただけで叱責され、保育士の夢をあきらめた男性の今

  • 2022.12.13

東京都在住の41歳・葉山徹さん(仮名)は、かつては保育の仕事に夢を見て保育園に勤めていた。しかし勤務条件が悪いうえに園長のパワハラが待っていた。葉山さんは「仕事用の服は自腹。タイムカードを切ってからのサービス残業が常態に。支払いを要求すると、園長から叱責されて7キロやせてしまい、退職した」という――。

※本稿は、小林美希『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

水辺で頭を抱えている男性
※写真はイメージです
倉庫会社で働き、「ウーバーイーツ」で家計を補填

もともとは保育士だったのですが、あんまりブラックだったので辞めて、今は倉庫会社で働いています。副業で、デリバリーの「ウーバーイーツ」もやっています。倉庫の仕事は、商品の受注、発送の手配がメイン。深夜0時から朝9時までの夜勤をやっています。

妻は公立保育園の保育士です。妻の休みの土日、夜勤明けで家に帰って、妻と子どもが二人で寝ていると、二人の朝ごはんを作ってから1時間くらい寝ます。その後は、娘と遊びに出かけます。平日、帰宅してから眠くない時とか、気分転換に外に出たいときにウーバーの仕事を入れています。

倉庫の仕事は、手取りで月35万円。額面だと41万円くらいですね。ボーナスは業績に連動するのですが、夏は90万円、冬は75万円でした。倉庫の年収は660万円くらいになりますね。夜勤でキツイけど、給与が高いので辞められません。

ウーバーは週払いで、すごく頑張ると5万円、ちょこちょこやると2万円。家にいて何もしないより、外に出て稼いだほうがいいですよ。楽しいし。僕にとってはウーバーは面白いですよ。素敵なお店を知ることができるので、家でストレスがあっても気分転換になります。

東京都心暮らし、夫婦で手取り65万円の生活実態

公立の保育士は地方公務員になるのですが、48歳の地方公務員だと考えると妻の収入は、そう多くはないです。月々、給与から積み立て3万円、生命保険の掛け金を3万円支払って税金などが引かれると、手取りは月30万円です。二人合わせて手取り月60万~65万円。僕の35万円を生活費にし、妻の30万円は貯金に回しています。

僕の本業の収入は家族のものなので、ウーバーの収入分で、自分のお酒や娘の服を買っています。

普段なら1000円のスニーカーを買うところ、ウーバーで少し稼ぐと「ナイキ」のエアマックスの8000円のスニーカーを買う。ちょっとした贅沢ですね。帽子が好きで、前はキャップを980円くらいで買っていましたが、ウーバーは副収入だから、「アディダス」が少しくらい高くても買えちゃいます。

でも、背伸びはしません。帽子の「ニューエラ」というメーカーも好きなんですが、欲しかったものは定価だと6000円くらいするんです。それはネットで安いものを探して、セール品を3800円で買いました。

月2万から5万円の副収入がもたらす余裕

本当にちょっとしたことですが、ウーバーでお金が入ったら、牛肉をアメリカ産でなく国産の、しかも、九州産とか産地にこだわってみるとか。普段は安いスーパーだけど、「成城石井」に行っちゃおうかなー、って。

ウーバーからの振込金額を見て、「ああ、今週は頑張った。このお金で娘に何を作ってあげようかな」とメニューを考える。唐揚げが好きなんで、今日は徳島産の鶏肉を買おう! 副業のおかげで迷わず買えるのが良いですね。

Uber Eatsのバッグを背負い配達中
※写真はイメージです

「モバイルSuica」だって、お金に余裕がなければ1000円ずつチャージしますが、副業のおかげで1回に5000円チャージできるようになりました。これって、贅沢なことです。今まで、残高ギリギリまでチャージできなくて気づいたら13円しかないという感じでしたから。

保育士の妻の給料は全て貯金に回す

僕は妻と付き合い始めてからずっとバレンタインにプレゼントを贈っているんです。こないだは、妻が新しい掃除機を欲しがっていたので「電気屋に行くよ!」と誘うと、妻が「何? 何?」と驚いて。電気屋で、「お金は気にしないで好きなのを選んでください」と言って、3万3000円の「ダイソン」の掃除機を買ったら、その帰り道に妻が「昔はこんなの買えなかったのに、大人になったね」と言っていましたよ。

そうした贅沢ができるのは、副業があるからです。本業だけではできません。二人の収入を前提に生活したら怖いので、妻の収入は全て貯金に回します。

前は妻には保育園のシフト勤務で遅番・早番の手当がついたけど、今はカットされています。公務員といっても安泰とは言えない。福祉職はそう給与が高いわけではないですし。いつ自分が死ぬかなんていうのも分からないんだし。老後にいくらかかるのかも分からない。

家賃9万5000円のマンションで娘に寄り添う暮らし

都心に住んでいるのですが、家賃9万5000円の賃貸マンションで暮らしています。ファミリータイプの賃貸マンションの相場は13万円くらいじゃないでしょうか。子どもができて手狭になったので引っ越したいけど、家賃は抑えておきたい。

これからもし一戸建てを買おうと思うと、この辺りの相場は3階建ての狭い家でも7500万円もします。分譲マンションも同じように高い。

娘は小学1年生、これからいくらでもお金がかかるだろうし、貯金しないと。僕も、いつコロッと逝くかも分からないから、少しでもお金は残しておかないといけない。

それに、娘が小学校に行きたがらない日が多くて、いつも一緒に登校しているんです。妻は保育園でシフト勤務なので、学童保育のお迎えも僕が行っています。

家計だけでなく、娘に寄り添うことも考えると、もう保育士には戻れないですね。民間は給与が安いし、今の年齢で公立では採用されないし。

考え事をする娘を見守る両親
※写真はイメージです
保育士になることが夢だったのに

もともとは幼稚園に通っていた時の先生がすごく好きだったんです。小学校の高学年の頃、道でばったりその先生に会ったら僕を覚えていてくれて、それがすごく嬉しくて。それで、ああ、保育士になれたらなぁと思ったんです。

高校受験の時、保育の授業がある学校があることを知って、絶対に行きたいと思いました。その時、自分の偏差値より上だったけど、ものすごく受験勉強を頑張りましたよ。合格して3年生になると夏に保育園の体験授業がありました。そこで園長から声をかけられ、冬休みにアルバイトをすることになって、ますます保育士になりたいと思ったんです。

専門学校に行って資格を取って、自治体の公立保育園の正職員の採用試験は落ちてしまったのですが、1日7時間勤務の非正規として4年間、働きました。

その後は自販機の販売など保育以外の仕事をしていて、公立保育園で正職員の保育士として働く女性と結婚。その妻のお腹に赤ちゃんがいる時に、よし、やるぞ、と思い立って、私立の認可保育園を運営する株式会社の採用試験を受けたんです。面接ではその場で来てほしいと言われて就職を決めました。2015年の3月のことでした。

保育園はセコムに入っていると偽りシールだけ貼っていた

でも、最初からなんか怪しかったんですよね。園舎を建てる工事が遅れて終わっていないし、保護者には「セコム」に入っているとPRしているものの、お金がかかるからといって契約せずに、「防犯カメラ作動中」のシールだけ買って貼っていました。

園長は施設長の経験のない人で、理念を語ることもない。4月に開園すると、大人も子どももわちゃわちゃした感じで、あまりに落ち着かない。

副園長はまったく仕事をしないで、命令ばかり。副園長が気に入らない保育士は一人ひとり呼び出されて、園長から「何か反抗したの?」と責められる。2週間で一人辞め、次から次へと保育士が辞めていき、3人が出勤しなくなりました。

園長の理不尽な叱責……2カ月で体重7キロ減

保育中の衣服は指定されて、ベージュのチノパンにエプロンをつける決まりがあります。ズボンは当然、自腹です。エプロン1枚は無料支給でしたが、1枚では足りないので予備は自腹。しかも、辞める時には自分で買ったエプロンまで返却させられたんです。

入社した4月の給与は手取り24万円でした。入社前は残業代が出ると言っていたのに、いざ始まると、タイムカードは始業直前と終業時間の直後に押して、それから残業するように言われました。毎日平均2時間は残業していたので、月4万円分は残業代が出るはずでしたが出なかった。

タイムカード
※写真はイメージです

社長はラメ入りのスーツを着て、「プラダ」の靴を履いていて、典型的な成金みたい。明らかに、おかしい。何人かで残業代を払ってほしいと園長に話すと、園長からの風当たりが強くなりました。

園長が「お昼寝の時間の直後に健康診断をするから布団の上で寝かせないで」と言うので、寝かせないために絵本を持たせてあげると、「保育がなっていない」とか、そういう理不尽な叱責をされるようになって、2カ月で7キロも体重が減りました。

ブラック労働に絶望し保育士は完全に引退

それで、もう無理だと退職しました。

小林美希『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』(講談社現代新書)
小林美希『年収443万円 安すぎる国の絶望的な生活』(講談社現代新書)

辞めるとなったらアッサリです。会社は「はい、やめるならサヨナラ。いつまでに荷物をとりにきてね」と、そんな感じでした。なーんか、運動部みたいですよね。新入生の勧誘では優しいけど、いざ入部したら鬼のように厳しくて殴られる、みたいな。

この体験で嫌になり、他社の話を聞いても似たり寄ったりでブラック保育園ばかり増えている。だから、保育士は引退しました。戻ることはないです。

子どもが生まれるので、弁当配達でしのいでいるうち、友人から倉庫の仕事を紹介されて、今のような生活になりました。上司はとても良い人で、何かあっても部下の私を守ってくれる。そういう人間関係の良さもあって辞められません。保育士は完全に引退しました。

小林 美希(こばやし・みき)
労働経済ジャーナリスト
1975年茨城県生まれ。神戸大法学部卒業。株式新聞社、毎日新聞社『エコノミスト』編集部記者を経て、2007年よりフリーのジャーナリストに。13年「『子供を産ませない社会』の構造とマタニティハラスメントに関する一連の報道」で貧困ジャーナリズム賞受賞。著書に『ルポ 保育格差』など。

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