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沖縄の逞しさが、再生ガラスに宿る。

  • 2022.12.11
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他国の影響を受けて発展した、沖縄の工芸品。ちむぐくる(心)が宿る、伝統的なものづくりを紡いでいきたい。いま、作り手たちが考えていることとは。

小野田郁子ガラス職人、吹きガラス工房 彩砂主宰

右上から時計回りに、3つに重ねたシャーレ、有機的なフォルムの面取り鉢、一輪挿し、青みがかった片口、ぽってりとした土台が支えるアイスクリームカップ(すべて参考商品)。小野田の作品は、那覇のmiyagiyaやふくら舎で取り扱いがある。

明治時代から続く琉球ガラスだが、いま伝統工芸品として知られる様式は戦後に定着した。物資不足のなか、原材料となるガラスパウダーの代わりに職人たちが注目したのが、アメリカ軍が廃棄した空き瓶を再生することだった。

小野田郁子は、戦後からその琉球ガラスを牽引してきた名工、稲嶺盛吉の作品に惹かれ、東京から沖縄へ。憧れの稲嶺のもとでは、約11年間修業を重ねた。

「工房は暑くて過酷だし、再生ガラスだと作っている最中に固まるのが早く、割れやすいんです。目の前の作業に毎日必死でしたが、ある時師匠から『これに豆腐餻(よう)とかのるんだよ、うまそうだろ』と言われた時、暮らしを彩るものを作っているんだ、とあらためて感動しました」

自身の工房を読谷村に設立後は、師匠の教えを大切にしつつ、さまざまな作品づくりに取り組む。使うガラスは泡盛やビール等の空き瓶のみ。形は花器からアイスクリームカップまで多種多様。

「あるものでなんとかしよう、と知恵を絞り生まれたのがいまの琉球ガラス。そこに沖縄の逞しさを感じますね」

彼女の伸びやかな作品には「伝統工芸を担う」という気負いは感じられないが、沖縄のものづくりへの敬意がある。

左:工房には大量の空き瓶が並ぶ。泡盛やビールの瓶などを使用するため茶、青、緑、透明の4色がベース。技術的にはほかの色を混ぜることもできるが、小野田はもとの瓶の色に濃淡をつけたり、この中から数色混ぜることで独自の色合いを作り出す。 右:洗浄した瓶は、自身で粉砕。カレット(ガラスのかけら)状態にし、1200~1300℃の窯で溶かす。琉球ガラスの味でもある気泡は、カレット間の隙間に泡が入ることで生まれる。

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Ikuko Onodaガラス職人、吹きガラス工房 彩砂主宰1975年生まれ、東京都出身。桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン専攻卒業。98年に沖縄へ移住し、稲嶺盛吉のもとで吹きガラスを学ぶ。2009年に自身の工房、彩砂(るり)を読谷村に設立した。https://sunanoiro.ti-da.net

*「フィガロジャポン」2022年12月号より抜粋

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