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かつてチャールズ国王と付き合っていた! ダイアナ元妃の姉サラってどんな人?

  • 2022.12.12

ダイアナ元妃が非業の死を遂げてから約20年間、彼女の姉であるレディ・サラ・マッコーコデールとレディ・ジェーン・フェロウズは、甥であるウィリアム王子とハリー王子と親しい関係を続けています。

最近では、ハリー王子とメーガン妃の結婚式や、アーチーの洗礼式にも姿を現しましたが、公の場からはかなり退きました。

ところが、『ザ・クラウン』のシーズン4では、再びその人生にスポットライトが当たることになった、姉妹たち。本シリーズでは1977年から1989年を扱うため、視聴者はダイアナ元妃の登場と、チャールズ皇太子(当時)との結婚生活を見ることになりました。

もっとも、チャールズ皇太子がダイアナ元妃に出会う前、短い期間交際していたのが彼女の姉のサラで、ふたりを引き合わせたのもサラでした。

では、ダイアナ元妃の姉であるレディ・サラとはどんな人物なのか、これまでに知られていることをご紹介します。

彼女の一族は何代にもわたって王室と関わってきた

スペンサー家は16世紀から続くイギリス貴族で、ダイアナ元妃とサラの祖母たち―スペンサー伯爵夫人シンシア・スペンサーとファーモイ男爵夫人ルース・ロッシュ―は、エリザベス王妃、つまりクイーンマザーの侍女でした。

サラの正式な名前はエリザベス・サラ・ラヴィニア・スペンサー。1955年、オルソープ子爵ジョン・スペンサーとオルソープ子爵夫人フランシス・スペンサーの間に生まれました。4人の子どもたちの一番目の子で、レディ・ジェーン・フェロウズの2歳上、ダイアナ元妃の6歳上、弟であるスペンサー伯爵は一番下のきょうだいにあたります。彼らはスペンサー家がエリザベス女王から借りたサンドリンガムのパーク・ハウスで育ちました。

25ans Wedding

サラたちの両親は1967年に別居し、1969年に離婚(母親はすぐに不倫相手だったピーター・シャンド・キッドと再婚)。当時としては珍しく、父親が子どもたちの親権を主張し、勝ち取ります。

子どもたちは祖父である7代目スペンサー伯爵が亡くなるまで、パーク・ハウスで父親と暮らし、1975年に家族でオルソープ邸へ(ダイアナが後に埋葬された場所)。その一年後、父親はダートマス伯爵夫人、レインと再婚しました。

サラ・ブラッドフォードによるダイアナ元妃の伝記『ダイアナ』によると、若き日のダイアナにとってサラは「ヒーローのような存在」だったそう。

チャールズ皇太子と交際していたのは20代の前半

サラはノーフォークにあるリドルズワース・ホール・スクールに通った後、ケントにある寄宿学校ウェスト・ヒース・スクールに進み、O レベルの試験(通常16歳で受ける最終試験)をパスすると、ロンドンで働き始めます。

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サラはチャールズ皇太子と短期間付き合いますが、長くは続きませんでした。1978年の『タイム』誌に語ったところによると、「私が彼と結婚する可能性はゼロです。彼に恋していません。相手がごみ収集作業員だろうと、イギリス国王だろうと、私は自分が愛していない人と結婚することはありません」

とはいえ、チャールズ皇太子とダイアナ元妃を引き合わせたのはサラで、ふたりの出会いは1977年にオルソープ邸で狩のパーティーが開かれたときのこと。ダイアナは16歳、チャールズは29歳でした。

姉妹は短期間一緒に暮らし、ダイアナ元妃がほとんど掃除を引き受けた

アンドリュー・モートンによる伝記によると、ダイアナ元妃が初めてロンドンに移り住んだのは1970年代末で、サラとサラの友人のルシンダ・クレイグ・ハーヴェイとともにチェルシーのアパートをシェアしていたそう。サラは家の掃除の多くをダイアナ元妃に課していたようだけど、彼女は気にしていない様子だったのだとか。

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それから数年後、32歳になったチャールズ皇太子と19歳になったダイアナが再会し、交際をスタート。ダイアナはこの頃ロンドンでダンスのインストラクターやベビーシッター、保育園の教師など、片手間仕事をしていたそう。

「私が紹介したの。私がキューピッドよ」とサラが語ったとされるのは、1981年にふたりが婚約を発表した直後。サラは妹と未来の君主との関係に賛成していたよう。

サラ自身も、妹の結婚式の一年前にあたる1980年にはニール・マッコーコデールと結婚。エミリー、ジョージ、セリアの3人の子どもたちに恵まれ、現在も夫婦で暮らしています。

ウィリアム王子とハリー王子の子育てに深く関わっていた

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ダイアナがチャールズ皇太子と結婚した後も、親しい関係を続け、ロイヤルファミリーの一員となった、サラ。

伝記作家のアンドリュー・モートンによると、サラは複雑な時期にダイアナが信頼することができた数少ない人々の一人だったのだとか。サラはウィリアム王子、ハリー王子とともにロンドンの街を出歩いたり、姉妹それぞれの子どもたちを連れてともにバカンスを過ごしたりしました。

また、時にはダイアナ元妃の公式訪問に侍女として同行し、1993年3月のネパール訪問の際も付き添いました。

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1997年のダイアナ元妃の死はスペンサー家のきょうだいたちにとって非常に耐え難く、公の場からほぼ退いた

1997年8月31日、ダイアナ元妃がパリで自動車事故により衝撃的な死を遂げた後、姉妹たちはチャールズと遺体を引き取りに行きました。

世界中で25億人が視聴したとされるウェストミンスター寺院での葬儀では、サラが詩を暗唱。このとき、弟であるスペンサー伯爵が弔辞を述べ、ロイヤルファミリーへの歯に衣着せぬ非難が話題になりました。

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ダイアナ元妃はオルソープの実家で、スペンサー家とチャールズ皇太子、ウィリアム王子、ハリー王子、親しい友人一人、聖職者一人だけで埋葬されました。

サラはダイアナ元妃の遺言の共同執行者で、後にダイアナ・メモリアル基金の総裁になり、2012年に閉鎖されるまで、あらゆる慈善事業のために1億1,200万ポンド(約187億円)の寄付を集めました。

2007年にダイアナ元妃の死を検証した際、サラも証言台に立ち、最終的には、妃と交際相手のドディ・アル・ファイドは、飲酒運転をしていたドライバーのアンリ・ポールとパパラッチによるトンネル内への追跡による交通事故によって不法に殺害されたとの結論が陪審員によって導かれました。

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甥たちとは親しい関係を続けている

ダイアナ元妃の死後、甥のウィリアム王子とハリー王子と親密な関係を続けている、レディ・サラ。

リンカンシャーで行われたチャリティイベントでウィリアム王子と一緒にいる姿が目撃されている他、2011年にはキャサリン・ミドルトンとの結婚式に出席し、2012年にはウィリアム王子のナニーの葬儀にも参列しています。また、ケンブリッジ公爵夫妻も、2012年にレディ・サラの長女のエミリーの結婚式に出席しました。

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レディ・サラはハリー王子とメーガン・マークルの2018年の結婚式にも出席し、昨年は二人の息子のアーチーの洗礼式にも出席。その際に公開された公式の記念写真には、サラと妹のジェーンの姿も見られます。

※この記事は2022年12月11日時点のものです。

Translation: mayuko akimoto Photos: Getty Images From:Town & Country

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