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「熊本市中1自殺」何年も前から指摘されていたのに…暴言と体罰の問題教師が、教壇に立ち続ける恐ろしさ

  • 2022.12.8

暴言や体罰などで保護者や同僚から問題視される教師が、なぜ処分を受けないまま教壇に立ち続けるのか。ライターの大塚玲子さんは「外部の通報窓口の設置に加えて、保護者が声をあげていくことも必要だ。日本では学校の教職員の任免に口を出すことがタブー視されている。指導死などの事案が発生すると、PTAが学校側について教員をかばうケースも見られる」という――。

2019年に熊本市立中1年の男子生徒が自殺した問題で、謝罪する同市の遠藤洋路教育長(左端)ら=2022年12月2日午後、熊本市役所
2019年に熊本市立中1年の男子生徒が自殺した問題で、謝罪する同市の遠藤洋路教育長(左端)ら=2022年12月2日午後、熊本市役所
同僚の教諭までもが「言動の問題」を指摘していた

2019年に熊本市で中学1年生のある男子生徒が、自ら命を絶った。それから約3年半。今月初め、男子生徒を小学6年のときに担任した吉野浩一教諭(以下Y)に、ようやく懲戒免職の処分がくだされた。

すでに報じられているように、この教諭は以前から体罰や暴言が多かったことが明らかになっている。だが驚いたことに、生徒が亡くなった後もつい先月まで、市内他校で勤務を続けていた。

10月に出された調査報告書を読み、おそろしさを感じた。他の児童も保護者も、さらには同僚の教諭までもが、以前からYの言動に問題を感じて声をあげていた。なのにYはそのまま勤務を続け、少年は自死に至っていたのだ。

なぜここまで問題がある人物が、教職を続けられたのか。報告書やこれまでの報道をもとに同事案を振り返りつつ、考えてみたい。

小学校6年生になって間もなく表れた様子の変化

亡くなった男子生徒Aさんは、小学校5年生までは元気で友達が多く、勉強もよくできる子どもだった。

様子が変わり出したのは、小学校6年生になって間もなくだった。学校から帰るとすぐに寝てしまう。トイレの時間がだんだんと長くなり、秋以降は2時間もこもることもあった。円形脱毛症も発現した。よく寝る子どもだったのに、中途覚醒するようになった。

登校する際「忘れ物をしないように」と、ランドセルがはちきれるほど教科書やノートを詰め込むようになったのも、6年生になってからだ。

2学期から3学期にかけて、身長は伸びたのに体重は減った。友人のなかには、Aさんは「元気がなかった」「イライラしていた」など指摘する子どももおり、「学校が嫌だから自殺しようかな」とAさんが言うのを聞いた、という声もあった。

浮かんでくる原因のひとつは、6年からAさんの担任になったYだった。Yは多くの子どもたちにストレスを与えていた。特にAさんの友人だった同級生は、Yから胸ぐらをつかまれるなどしばしばYに怒られており、Aさんが一緒に怒られることもあった。

3学期になると、Aさんはますます様子がおかしくなった。暗い部屋で、椅子に座りぼんやりと宙を眺めている。入浴に2時間ほどかかる。休日はずっと寝ていることが増え、平均点を上回っているのに、テスト結果を見て泣いたこともあった。

3月には、Aさんのノートに「死」「絶望」「呪」など書かれているのを他の教諭が見つけ、校長に報告している。だが、校長ら管理職はこれを保護者に伝えなかった。なお、このときノートを見つけた教諭が「担任に対するものか」と尋ねたところ、Aさんは認めなかったものの、他の児童がうなずいたという。

Aさんが亡くなったのは4月、中学に入って間もない頃だった。

担任のせいで保健室登校になる児童

6年時の担任Yについては、ほかにも驚くべき悪質な言動が多々明らかにされている。

たとえば、Yは子どもの声が小さいとき、何度も大きな声を出す練習をさせていた。卒業式などの練習の際は、Yの指導に耐えかね、練習後まで大声で泣いていた児童もいる。場面緘黙症の子どもに対し、自己判断で発声指導を行ったこともある。

Yから「お前の顔を見るとイライラする」と言われた、授業中にモノを落として首を絞めつけられた、と話す子どももいた。「(Yは)感情が表面に出やすく、怒ると怖いので、Yの考えに沿うように発言していた」「AさんはYの顔色をうかがいながら、怒らせないように立ち回っていた」などの声も複数ある。

YがAさんの姉を担任したときにも被害は出ていた。ある児童は「運動会の練習や教室で、Yから強い口調で指導されたため、強い不安や恐怖を感じるようになり、担任が傍にいるだけで泣き出したり、過呼吸になったりするため、保健室登校をすることが多くなった」という。

横断歩道で手を上げる小学生
※写真はイメージです

体罰も繰り返していた。前任校では「子どものみぞおちを3本の指先で突いた」「首をつかむ」「腕を握る」などの体罰を行い、管理職の指導を受けている。「腹部を2回蹴られた」と証言する子どももいる。

児童の胸ぐらをつかむ行為は繰り返し見られ、「壁に頭を打ち付けられた」と訴える子どもも複数いた。2018年には児童への暴行の疑いで書類送検されていたことも、その後の報道で明らかになっている。被害を受けたのはAさんの友人だった先述の同級生だ。この児童は、年度途中に他校への転校を余儀なくされた。

保護者から教育委員会への嘆願書

保護者と管理職などによる話し合いの場ももたれているので、Yの言動に問題を感じる保護者は少なからずいたはずだ。Aさんの親も、Aさんが亡くなる1カ月ほど前に、他の保護者らとともに市の教育委員会に対し、体罰等の再発防止を求める嘆願書を提出している。

Yを問題視していたのは、子どもや保護者だけではない。同僚たちの間でも、Yの言動は危惧されていた。「多くの女性教員は、Yと顔を合わせないため職員室に寄り付かず、別の部屋に集まっていた」という話もある。クラス編成や修学旅行の工程をYが勝手に決めたと訴える声もあった。

熊本日日新聞の報道では、同じ部活の顧問をしていた女性教諭がストレス性の十二指腸潰瘍で休職していたこともわかっている。Yは子どもたちの前で、この女性教諭への叱責しっせきを繰り返していた。同教諭はYの言動について管理職や教育委員会に相談していたが、「誰も動いてくれなかった」と話しているという。

教員は守られ過ぎている

このように、YはAさんが亡くなる何年も前から多数の児童や保護者、同僚たちから問題視され、管理職や教育委員会にも報告があがっていた。本当はもっとずっと昔に、Yは免職等の処分を受けて然るべきだったのではないだろうか。

Aさんが亡くなるまではおろか、亡くなってからも、つい最近までYが教壇に立ち続けていたことが何より信じがたい。Yは部活動の指導等で実績を上げ、高い評価を得ていたという。もしAさんが亡くなっていなければ、Yは今もこれからも被害児童を出していた可能性が高い。

誰もいない学校の教室
※写真はイメージです

本事案をはじめ、これまで指導死の調査委員会に多数かかわってきた大貫隆志さん(「『指導死』親の会」共同代表・一般社団法人「ここから未来」代表)は、「あくまで一般論だが」と前置きした上でこう話す。

「やはり教員は守られ過ぎだとは感じます。誰でもミスはしますから、一般の仕事であればすぐ処分するのは行き過ぎかもしれない。でも教員の場合は子どもに影響が及ぶので、現状のように処分規定がないのは問題では。少なくとも、子どもとかかわらせないよう、現場から離す仕組みは必要でしょう」

学校外に通報窓口の必要性

そもそも、どうすればこういった教員を止められるのか。大貫さんは、学校以外の場所に通報窓口を設ける必要があると指摘する。

「学校内の窓口だと、こういった通報はどうしてももみ消されたり、情報が漏れたりしやすい。それに今は、学校は忙しく疲労困憊こんぱいしており、さらなる役割を押し付けても担えるリソースがありません。ですから学校の外にダイレクトに通報できる窓口を設ける必要があります。たとえば熊本市では、男子生徒が亡くなった翌年から教育委員会に『体罰等審議会』を設置している。ここで審議された体罰事例は複数あります」

なお、熊本市教育委員会はこの体罰等審議会で、Yの不適切な行為についてのさらなる情報提供を呼び掛けている。11月30日までに、77件の情報が寄せられたということだ(テレビ熊本 FNNオンライン)。

PTAが学校側をかばうケースもある

学校外の窓口設置に加え、われわれ保護者もこういった教員の存在を知ったときに、声をあげることが必要だろう。わが子が直接被害を受けていなくても、ほかの子どもが理不尽な体罰や暴言を受けていれば、その状況を目にする子どもたちは無力感を抱き、傷つき、間接的に大きな被害を受け得る。

校長や教育委員会の責任を追及するだけでは、おそらく今後も変わらないだろう。「モンペ」と思われないよう学校にはたてつかないのが一番だ――問題があると知りながら、もしそんな考えで口を閉ざすことがあれば、保護者も罪深い。

欧州は多くの学校に、教職員の任用にある程度保護者の意見を取り入れる仕組みがあるが、日本では保護者が教職員の任免に口を出すことがタブー視されている。いまも多くのPTAの規約には「学校の人事に干渉しない」という文面があり、指導死などの事案が発生すると、PTAが学校側について教員をかばうケースも見られる。保護者や子どもの視点で学校側に対等にモノが言えない保護者組織に、どんな存在意義があるというのだろう。

「保護者が保護するのは『子どもたちの権利』であり、自分の子どもを守る一番の責任は、保護者にある」。これは筆者が以前取材した教育学者・リヒテルズ直子さんの言葉だ。保護者には学校からどう思われようと、子どもを守らねばならないときがある、ということではないか。

ただでさえ昨今負担の大きい教員にとって、このような提言は驚異と感じられるかもしれない。もちろん保護者が勝手な思い込みで善良な教職員を追い込むような事態は避けねばならないが、多数の子どもが問題を訴えているような場合、「保護者」が黙って見過ごすわけにはいかない。

大塚 玲子(おおつか・れいこ)
ノンフィクションライター、編集者
1971 年生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。PTAなどの保護者組織や、多様な形の家族について取材、執筆。著書は『ルポ 定形外家族』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(太郎次郎社エディタス)ほか。共著は『子どもの人権をまもるために』(晶文社)、『ブラック校則』(東洋館出版社)など。東洋経済オンラインで「おとなたちには、わからない。」、「月刊 教職研修」で「学校と保護者のこれからを探す旅」を連載。ひとり親。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。

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