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クーデターで王宮を追放された光海君の息子夫婦はどうなったのか

  • 2022.12.8

光海君(クァンヘグン)は父親の宣祖(ソンジョ)が1608年に亡くなった後に15代王となった。それでも、王位は安泰とはいえず、光海君は兄弟との権力闘争に巻き込まれた。結局、兄の臨海君(イメグン)を死罪にして、異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)も殺害した。光海君の側近が行なった非道なことなのだが、光海君にも責任があった。

彼は統治者としては名君に匹敵するほどの善政を行なったが、数多くの恨みを買っていたので、最終的にはクーデターを起こされた。
迂闊(うかつ)にも油断していた。用心が足りなかった光海君はクーデターを防げなかった。

その末に彼は廃位となり、江華島(カンファド)に島流しにされた。

このとき、息子夫婦は果たしてどうなったのか。

光海君がクーデターで王宮から追放されたとき、息子の世子(セジャ/国王の正式な後継者)は30歳だった。

『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』では光海君をチョン・ジュノが演じた(ドラマ『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』より。DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中 〔写真=Licensed by KBS Media Ltd.(C) 2019 KBS. All rights reserved〕)
家族の悲劇的な死

彼は、父親の光海君と一緒に江華島に流され、逃亡できないように厳しく監視されていた。それでも彼は、新しい国王となった仁祖(インジョ)から王位を奪い返すつもりでいた。そのために、幽閉されている家からトンネルを掘って外部へ逃げようとした。

それはもう執念としか言いようがなかった。彼は必死に穴を掘ったのだ。しかし、トンネルを作っていることが露見してしまい、世子は厳罰を受けることになった。

ついに世子は観念した。これ以上生きていけないことを悟って、彼は首をくくって自害したのであった。

それは、世子嬪(セジャビン)も同様だった。彼女もまた首をくくってしまった。

その知らせを受けて母親の廃妃・柳氏(ユシ)は絶望的な気持ちになった。

彼女は世をうらみながら自害した。

このように、家族が悲劇的な死に方をしても、ただ一人、光海君は死を選ばなかった。

彼は最終的に「地の果て」と言われた済州島(チェジュド)に流された。かつて国王であった人がそんな屈辱を受けても、光海君は1641年まで生き抜いた。すでに、息子夫婦と妻が亡くなってから18年も経っていた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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