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授かり地蔵が消えた…数十年ぶりの"お地蔵さんのお出かけ"に見る今も昔も変わらない子どもを願う切実な思い

  • 2022.12.7
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兵庫県丹波篠山市には、持ち帰ってもいい授かり地蔵がある。昨年、その授かり地蔵が“お出かけ”になった。このユニークな慣習の背景を取材した――。

祈る女性
※写真はイメージです
心優しい慣習

一年ほど前から気になっていたニュースがある。

兵庫県丹波篠山市たんばささやましの、一風変わった慣習だ。

市内東部の集落には“授かり地蔵”が奉られている。授かり地蔵そのものは全国各地にあるからさほど珍しくはないが、この集落のお地蔵さんがちょっと変わっているのは、自由に“持ち帰ってもいい”ことだ。子どもを願う夫婦や女性が妊娠を祈願したり、無事出産にこぎ着けたりするまで、お地蔵さんを手元に置いていても誰にも咎められないのである。なんとも心優しい慣習ではないか。

そのお地蔵さんが、忽然と姿を消したのが昨年の初夏だった。それを地元のタウン誌『丹波新聞(令和3年6月11日付)』が報じたのだが、あれから一年と少しが過ぎ、お地蔵さんを奉った祠ほこらは主不在のまま、二度目の冬を迎えようとしていた。そろそろお地蔵さんが戻ってもいい頃だが――、と続報が伝えられるのを私なりに待っていた。

「それが、まだ戻っていないんですよ」

記事を書いた丹波新聞の記者・森田靖久が言う。

この集落に持ち帰ってもいい授かり地蔵があることを、森田は地域住民の情報提供で知ったそうだ。それを記事にしたのが一昨年の11月。そして年が明け、昨年のゴールデンウィークが過ぎて間もなく、今度はお地蔵さんの姿がないとの情報が寄せられた。

数十年ぶりかもしれない…

周辺に住む住人が言うには、お地蔵さんが最後に“お出かけ”になったのはいつのことだか記憶も曖昧で、ともすれば数十年ぶりになるらしい。ということは、森田の記事を読んだ誰かがお地蔵さんを持ち帰ったと想像するのは難くない。

「80歳を過ぎているお年寄りに聞いても、物心がついた頃にはもうあそこにお地蔵さんは奉られていて、何度かお出かけになっているそうなんです。でも、お地蔵さんがお出かけになっても、誰も騒ぎ立てないし、取り立てて話題にもしません。誰が持ち帰ったのか、詮索もしません。地域の人はお地蔵さんの役割を知っているので、そうかそうか、お地蔵さんはお出かけかい、と静かに見守るのだそうです」

お地蔵さんのかたちをしていない

そのお地蔵さんだが、森田が言うには、私たちが見知っているお地蔵さんのかたちをしていないらしい。

「お出かけになる前のお地蔵さんを見たことがあるのですが、お地蔵さんと言うと、ふつうは石仏を想像しますよね。でも、ここのお地蔵さんは――」

直方体なのだそうだ。顔や合掌する手が彫り込まれているわけでもない。

「高さは40センチくらいですかね、それほど大きくないから持ち帰られるんだと思います。でも、縦長の自然石なんですよ。風化して顔や首の分別ができなくなったわけでもなく、そもそも加工の跡が見当たらないんです。だから、きれいにかたちが整ったふつうの石です」

その自然石を、丹波篠山の住人たちはお地蔵さんと呼んで奉っていた。だが、自然石を地蔵と称して奉っていたとしても、何ら不思議なことではないらしい。

「学術的な立場から厳しいことを言わせてもらうけど、ええか」

断りを入れて話し始めたのは、神戸学院大学・人文学部教授の森栗もりくり茂一しげかずだ。専門は都市民俗学だが、地蔵研究における第一人者でもある。何人かの民俗学者に聞いてみたところ、誰もが持ち帰ってもいい地蔵を珍しいと言うなかで、森栗だけが、そないなことあらへん。持ち帰りが許される地蔵は、探せばいくらでもあるはずや――、と答えていた。

地蔵
※写真はイメージです
これはメルヘンチックな話ではない

「あんたはこれをメルヘンやと思ってるやろ。違うんや。コロナの感染が広まってからこっち、誰もが閉塞へいそく感を抱いているから“ほっこり”した話もええけど、授かり地蔵はそんなメルヘンチックな話やない。歴史的な背景を手繰っていけばわかる」

あんたというのはおそらく私のことだが、森栗の言っていることは図星だった。

「武家や商家に女性が嫁ぐ。しかし、何年経っても跡取りを産むことができなければ女性は実家に帰された。農家も同じです。特に農家では子どもは大事な労働力やから、子どもができなければ女性は隣り近所から白い目で見られ、後ろ指を指されたわけですな。たとえ男性の側に問題があって子どもができなかったとしても、責任は全部女性に押しつけられた。封建社会において、女性は常にそういうつらい立場に立たされていました」

森栗は言う。子宝に恵まれないのは、女性には切実な問題だった。子どもを産めなければ、即座に用無しになる。嫁ぎ先と、その村社会に溶け込むためにも出産は不可欠だったのである。そんなときに、授かり地蔵があれば、藁にもすがる思いで祈るやないですか。お願いですお地蔵さま、どうか子どもを授けてくださいと。

「メルヘンやないでと言ったのは、そういう理由からです」

私は冷水を浴びせられたような気がした。神戸市から北に60キロほど離れた山間に位置する丹波篠山市は“丹波の黒豆”や枝豆が名産の農業地帯だ。農村地帯で生まれる子どもは、コミュニティ全体の労働力でもある。何が何でも子どもが欲しいと願う女性の、悲鳴にも似た切実な願いは、授かり地蔵を介して村全体で共有していた。農村地帯であれば、その傾向はなおのこと強くなるらしい。

お地蔵さんはどんな存在だったか

では、なぜお地蔵さんが、社会的に虐げられた女性に寄りそう存在になったか――?

「お地蔵さんはもともと、この世とあの世の境界を行き来する存在で、現代で言うところの弁護士のような役割を担っていました。仏教において、子どもが子どものうちに死ぬのは罪とされ、それだけで地獄に落とされると信じられていました。可哀想でしょ、医学も未発達やし、衛生環境や食糧事情もよくない、しょっちゅう疫病は蔓延する。ちょっとしたことで死ぬ子はたくさんおった。でも、そういう子はみんな地獄に落とされる」

生前の行ないを吟味し、地獄に落とすかどうかを裁くのは閻魔えんま大王だ。子どものうちに死ねば問答無用で地獄に突き落とそうとする閻魔大王にかけあってくれたのがお地蔵さんなのだそうだ。お地蔵さんは地獄の入口まで出向いて、閻魔さまを説得する。この子かて死にとうて死んだわけやあらへん。こんな幼気いたいけな子を地獄に落とすなんてあんまりや、考え直してくれまへんか。

関西弁で交渉したかどうかはともかく、地獄に落とされそうな子どもをお地蔵さんはことごとく救ってくれた。仏教が日本に伝わったのは平安時代だが、夭逝した子どもを救済してくれるのだから、仏教の広がりに合わせ、地蔵信仰もまた大いに広まり、各地に根づいていく。村はずれや道端にお地蔵さんの石像が奉られているのもその名残だ。

「あれはもともと道祖神さえのかみなんです。道祖神は“賽の神”とも書き、境界線を守る神道の神さまで、疫病などの厄が村に侵入するのを防いでくれていました。しかし、仏教が広がる勢いは強く、神仏は習合し、いつの間にか道祖神がお地蔵さんになっていた。日本各地の道端にお地蔵さんが立ってるんは、そういう理由からです」

地蔵の横顔
※写真はイメージです
子ども好きの神さま

お地蔵さんはこの世とあの世の境界を行き来し、道祖神は境界を守る神さまなら、“境界”という共通点を持つ神さまと菩薩さまを、中世の人々は混同したのかもしれない。

さらに言えば、地獄に落とされる子どもをお地蔵さんが救ったように、道祖神もまた子ども好きで知られた神さまだったらしい。民俗学者の柳田國男も『日本の伝説』(新潮文庫)に書き記している。

日本は昔から、児童が神に愛される国でありました(中略)道祖神は道の神また旅行の神で、そのうえに非常に子どもの好きな神さまでありました。昔は村中の子どもは、皆この神の氏子でありました。

道端に立ち、厄災を防ぎながら、道祖神は無邪気に野原を駆けまわる子どもたちを見守っていたのだろう。地獄に落とされかねない子どもを救ったお地蔵さんと子ども好きな道祖神――、神仏習合でこの二つがごっちゃになるのは必然だったような気さえしてくる。自然石を道祖神として奉ることもあったというから、丹波篠山の授かり地蔵のように自然石をお地蔵さんと崇めても不思議ではないのだ。そして地蔵信仰は広まり、お地蔵さんは子どもを守ってくれる仏さんになっていく。

「この世とあの世の境界線は、すなわち命の境界線です。子どもができるということは、新しい生命が誕生するということですから、子どもを宿すかどうかを境界線のこちら側で立ち会ってくれる。それが授かり地蔵さんなんですね」

閻魔大王にかけあってくれるばかりか、新しい生命の誕生に立ち会ってくれる――、メルヘンチックではないが、かなりロマンティックな話ではある。

生殖補助医療で生まれる子が増えている

私たちは間もなく、経験したことのない少子高齢化の時代を迎える。2年後には“団塊の世代”と謳われ、戦後のベビーブームで年間270万人も生まれた人たちがいずれも75歳になり、“後期高齢者”と呼ばれるようになる。これに65歳以上を加えれば、すでに3600万人を超えているとのことだ。日本国民のほぼ3人に1人が高齢者になる計算だ。

では、新生児の出生数はどうかというと、こちらは減少の一途をたどっている。

団塊の世代が出産適齢期を迎えた70年代前半の出生数は200万人を超えていた。第2次ベビーブームである。それからわずか30年で出生数は半減し、2016(平成28)年にはついに100万人を割り込んだ。今年の出生数はさらに減り、80万人に満たないだろうと予測されている。

だが、出生数が減るなかで増えているものもある。体外受精などの生殖補助医療で生まれた子どもの数である。公益社団法人日本産科婦人科学会の発表によると、2018年に出産した女性のうち、16人に1人が不妊治療を受けての出産だったとのことだ。翌19年にその割合は14人に1人に増えている。不妊治療を施す医療機関は、全国で600施設を超えている。

母親の指を握る赤ちゃんの手
※写真はイメージです
子どもを願う切実さは今も昔も変わらない。

わずかなあいだに私たちの価値観やライフプランは大きく変わり、生涯未婚や、女性が子どもを産まない選択も受け入れられる時代にはなった。少子化が迎える厳しい現実を考えれば、子どもを産む女性がいたほうがいいが、女性あるいは夫婦の新しい生き方が優先される時代だ。

だが、それでも子どもを望む女性は少なからずいる。妊娠に至らなかった症例を加えれば、その数はかなりになるだろう。何度も不妊治療を試みる夫婦もいる。まだまだと言われそうだが、古い時代の日本社会に比べれば、女性の地位ははるかに向上した。子どもを産めなかったら里に帰されたり後ろ指を指されたりする時代ではなくなったが、子どもを願う女性たちの切実な思いは、きっとむかしもいまも変わらない。

だから、授かり地蔵にすがる女性がいて、夫婦がいるのだ。

お地蔵さんに詣で、子宝に恵まれるように願い、生命の誕生を祈る。

日本には、まだこんなにも美しい信仰が残されている。

新しい生命の誕生にはお地蔵さんに立ち会ってもらい、私もまた祈ろう。丹波篠山市のどこかで、健やかな産声があがればそれだけでいい。

降旗 学(ふりはた・まなぶ)
ノンフィクションライター
1964年、新潟県長岡市生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。週刊誌記者を経てフリー。96年、第3回小学館ノンフィクション大賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『都銀暗黒回廊』(ともに小学館)『敵手』(講談社)『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)他。

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