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単なる天体の動きの中に一年の基準点を定めた人類の英知

  • 2022.12.1

目にまぶしいほど黄金色のイチョウ、そして夕陽で染めたようなカエデに彩られた晩秋が過ぎ、今年も年末がやってきました。

こんにちは、エミールです。

来年のカレンダー売り場には、ネココーナーとイヌコーナーが並び、子ネコや子イヌさんたちの愛らしいしぐさに 「ん~~~、どうしたものだろうか?」 と迷ってしまう。

我が家には8才になる子猫ならぬ大猫がいるので、ここは犬さんか?

と思い、手にとるものの、日向ぼっこしながらウツラウツラしている子ネコの写真にみとれて 「やっぱり、この方が癒されるかもねー 」とニャヤンデしまう…。

「えーーい。こんな時には両方とも買ってしまえばいいのだ!」とばかりに、ワンもニャンも購入。 北風の中にもホノボノとした思いとカレンダーを抱え、いそいそと家路につきました。

遅ればせながら先日、2023年のカレンダーを購入しようと書店へ出かけたら、美しい風景や植物の写真もあったけれど、自然に動物コーナーへと脚が向き…。

イヌ・ネコ・ウサギ…、変わりどころとしてはカメも参加。 (来年は、うさぎ年なのでカメとセットで買う人用かな?)

様々なカレンダーに囲まれていると、いやがおうでも一年の最終月を実感してしまいます。

最終月、とか年末と簡単に口にしてしまいますが、宇宙という恒久的な時の流れに、もし区切りというものがなかったら?

私たちは一体どこで、どのように、けじめをつけていくのでしょう…。 ふと、そんなことを思ってしまった。

単なる天体の動きの中に、ある1点を基準として定めた人類の英知って、本当にすごいものですね。

暦の発明とか、占星術もそうですが改めて感動してしまいます。

さて考えてみると、大晦日と元旦の関係は 「昨日」 と 「翌日」 の関係でしかないものの、ここでの一日は1年365日の中で最も大きな意味があるのです。

というのも 「あの失敗は去年のことなので忘れてしまおう!」 と大手をふってこのセリフが言えるから。

それに尽きる私の告白。 かなり昔(中学生の頃)のことですが、大晦日に大失敗したことがありました。

が、翌日 「あれはもう去年のことなので時効」 と言ったとたんに、刑事のような母の視線。 「失敗は許されるけれど、キチンとリカバーしなくちゃね」 みたいなことを言われ、何故失敗をしたのかという原因分析のような御取調べがあった。

新年早々の我が家で起きた、お年玉お預け“お小言の乱”でした。

え? 失敗とは?

それはね…、お正月用品の買い物を頼まれた私。大枚が入った財布を、どこかに落として大騒ぎ!

でも、三が日が過ぎ、このお財布…出てきたの。 交番から連絡があったとき、祖母が 「これはお正月の福の神様のお陰だねぇ」と。

大晦日には何故か 「そっ…、そんな!」 と言える、なにがしかの事件を起こしてしまう私。

某印刷所の輪転機の前で、三日前が締め切りだった原稿書きに追われていたこと。 今は亡き、ルネ師匠と一緒に除夜の鐘が鳴る中で読者への年賀状書き…。

今年の終わりは一体どんなことがあるのかしら。 でも大丈夫、新しい年がやってきて去年の道は、きれいに掃き清めてくれるから。

ところで話は、すごーく飛んでしまいますが、この頃は 「~み」 がはやっているそう。

「ありがたみ」 などとして使うときの接尾辞としての 「み」。

流行語から拾ってみると、「やばい」が「やばみ」、「つらい」が「つらみ」、そして 「かわいみ」 等々…。「すごみ」 があるなぁ。

来年は 「うれしみ」 を増やしたいなぁ、と願う私です。

本年も私の、ちいさなひとりごとに、お付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。 皆さま、よいお年をお迎えくださいませ。

エミール

11月も終わりに近づき、カエデの紅葉が目立つようになりました。

お話/神野さち(エミール・シェラザード)先生

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