1. トップ
  2. レシピ
  3. 【京都ツウ】伏見の団地にある『平家物語』にも登場のイケメン武将の墓「平重衡塚」

【京都ツウ】伏見の団地にある『平家物語』にも登場のイケメン武将の墓「平重衡塚」

  • 2022.11.30

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は伏見区醍醐の山手、団地の敷地にある史跡。平家物語にも登場し、その容姿端麗ぶりが語り継がれる武将の墓。

住宅街に突如あらわれる史跡

 (233004)
 (233005)

伏見区醍醐、いや日野といってもいいエリアの、わりと山手にある閑静な団地。この日はたまたま他の場所を目指していて、こちらを通りかかると、何やら史跡らしきものを見つけてちょっと散策してみることに。

一般的に伏見というと酒どころの土地というイメージが強いんですが、伏見区自体東西に帯状に位置し、東には宇治市にも近いこの醍醐や日野エリア、西には長岡京市や八幡市に近い京都競馬場のある淀エリアまで、その趣きがガラリと変わる場所。

 (233006)

そんな醍醐の団地の敷地、公園の延長のような植え込みに何やら石碑、お墓らしきものがあります。

 (233007)
 (233008)

見ると、案内板があり、そこに『平重衡塚(たいらのしげひらづか)』とあります。

平重衡は平安時代末期(1157~1185年)の平家の武将・公卿で、平清盛の五男。母は清盛の継室・平時子。『平家物語』にも登場。

 (233009)
 (233010)

清盛の命により、平家の大将として各地の合戦に赴き、南都焼討においては東大寺大仏や興福寺を焼失させる。治承・寿永の乱(源平合戦)では墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利し活躍するも、一ノ谷の戦いで捕虜となり、鎌倉へ護送。平氏滅亡後、焼き討ちにされた恨み根深い南都衆徒の強い要望により身柄を引き渡され、木津川畔にて斬首。奈良坂にある般若寺門前にさらし首に。妻・輔子は重衡の遺骸と南都大衆から首も貰い受けて火葬し、この地に墓を建てました。

 (233011)
 (233012)

さらには大正時代に建てられた石碑もあり、この地で大切に供養されてきたことがわかります。

平家の中でも、牡丹の花に形容されるほど容姿端麗でありながら、口は悪いツンデレタイプ。 さらには努力家で雅楽や武術にも優れ、女性からもかなり人気を受け、魅力的なキャラクターであったと伝わっています。平家物語の中でもキーパーソン的存在。そんな重衡の史跡めぐりも興味深いですね。

基本情報

名称:平重衡塚
場所:京都市伏見区醍醐外山街道町15−10

元記事で読む
次の記事
の記事をもっとみる