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”王冠をかけた恋”のウィンザー公爵夫妻が暮らした、美しきパリの邸宅を拝見

  • 2022.11.29

エドワード8世が退位したとき、彼はバッキンガム宮殿という英国君主の壮大な住居に暮らす望みは一切捨てていました。でも、それは彼と花嫁のウォリス・シンプソンがみじめな生活を送る、ということではありませんでした。

ウィンザー公爵夫妻として知られる二人は、退位後まもなく、パリのブローニュの森にある14部屋の牧師館を市から小額で借り、居を定めました。公爵夫妻は住所でこの家を認識していましたが、後の居住者である億万長者のモハメド・アル・ファイド―ダイアナ妃のボーイフレンドであるドディ・アル・ファイドの父親―は、その名を「ヴィラ・ウィンザー」に改めました。

この巨大な邸宅は、もともとパリの大改造計画を指揮したことで有名な政治家、ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンの夏の住まいとして、1800年代中盤に建てられたもの。その後はイベント会場や、シャルル・ド・ゴールが大統領になる以前の住まいとして使用された後、1952年にウィンザー公爵夫妻が移り住むことになりました。

25ans Wedding

ほどなく、公爵夫人は伝説のインテリアデザイナー、ステファン・ブーダンの助けを借りて、この家に手を入れ始めます。ブーダン氏は、後にジャッキー・ケネディの要請でホワイトハウスの改装も手がけた人物。パリ郊外のル・ムーラン・ドゥ・ラ・テュイルリーにある、公爵夫妻の別宅のリフォームも請け負うことになりました。

フランスと英国の貴族スタイルをミックスさせることで、ヴィラ・ウィンザーを新しく作りかえたブーダン氏。18世紀の羽目板や、「ウォリス・ブルー」(公爵夫人のウエディングドレスと目の色をマッチさせるために1937年に作られた色)の塗装が、ヴェネチアン・ロココスタイルのコンソールテーブルや、裕仁天皇から贈られた日本の屏風などの貴重な品々を引き立てています。

以前、「美しいものを所有することは私にとってスリリングだ」と語ったことがある夫人はこれを喜び、飼い犬のパグ犬のスケッチや写真、肖像画、パグ犬の小物などを大量に飾ることで、自分らしさを加えたのだとか。

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『ヴォーグ』の写真家であるホルスト・P・ホルストが1963年にこの家で撮影を行ったとき、彼がとりわけ感銘を受けたのは、手入れが行き届いていたことだと言います。

「これほど清潔なインテリアが存在するなんて、信じがたいことでした」と『Architectural Digest』誌に語った、ホルスト氏。

「クリスタルは真のきらめきを見せ、磁器は発光し、木や皮が貴石のように磨き上げられ、輝くほどでした」

こうした環境で、数々の有名なディナーパーティーを開いたウィンザー公爵夫妻。その中には、マレーネ・ディートリッヒ、アリストテレス・オナシス、エリザベス・テイラー、アーガー・ハーン4世 の名前も。ヴィラ・ウィンザーに一度招待されたことのある未来の居住者、アル・ファイド氏は、後に1986年の『ニューヨーク・タイムズ』紙で、「彼らの踊り方と楽しみ方のセンス」について回想しています。

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この家の輝きを保つために、50年リース契約を結んだアル・ファイド氏。公爵の死後、公爵夫人はこの家に13年間一人で暮らしましたが、徐々に荒廃していったのだとか。

「まるで霊廟のようでした」とアル・ファイド氏が『People』誌に語ったのは1990年、1,200万ドル(約17億円)をかけた改装後のことでした。

「時々、ゾッとすることがあります。二人ともここで亡くなったのです。それでも、ハッピーな場所ですし、私が暮らすには最高のファンタジーです」

そして、そのファンタジーはそっくり現実だったよう。夫妻のかつての召使いである、シドニー・ジョンソン氏は、「この家はかつてのままです」「その辺に犬たちがいないというだけで」と1989年の『タイムズ』紙に語ったそうです。

ヴィラ・ウィンザーは、まだアル・ファイド氏のリース期間中であり、一般公開はされていません。この邸宅がある公園、ブローニュの森は観光客に開放されています。

※この記事は2022年11月29日時点のものです。

Translation: mayuko akimoto Photos: Getty Images、NETFLIX From:Town & Country

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