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山田詠美が「猛烈に恥ずかしくなった」、故・宇野千代のある言葉とは

  • 2022.11.28

1985年に『ベッドタイムアイズ』でデビューして以来、次々とヒット作を世に送り出し、現在は芥川賞選考委員を務めている作家・山田詠美さん。このたび、山田さんが初めての「本格自伝小説」を発表した。『私のことだま漂流記』(講談社)だ。

本書は、毎日新聞の「日曜くらぶ」の連載を一冊にまとめたもの。少女時代から苦節の作家志望時代、デビュー後の執筆生活や結婚と離婚などについて、半生を赤裸々に綴っている。

本書によると、同じ毎日新聞の日曜版にかつて連載されていた、宇野千代さんの『生きて行く私』を、山田さんは毎週購読していたそうだ。今や人気作家の山田さんだが、40年前、明治大学文学部に籍を置いていた当時は、こんな状況にあった。

まったく売れない漫画を描き、日々の糧を得るために水商売のアルバイトをし、その内、大学に通う余裕もなくなり休学......さあて、この先、どうする? 私の未来、全然、展望ないよ? と暗澹たる気持ちで宇都宮の実家に戻った時のこと。

かねてからの本好きが高じて小説を数行書いては捨てを繰り返しながら、何者にもなれない自分に嫌気が差し、将来の展望に行き詰まっていた山田さん。実家で宇野さんのエッセイを読み、ある言葉に感銘を受ける。そこには、「小説は誰にでも書ける」という励みになる言葉に続いて、こう書いてあった。

〈間違っても、巧いことを書いてやろう、とか、人の度肝を抜くようなことを書いてやろう、とか、これまでに、誰も書かなかった、新しいことを書いてやろう、とか、決して思ってはなりません。日本語で許された最小限度の単純な言葉をもって、いま、机の前に坐(すわ)っている瞬間に、あなたの眼に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書くのです〉

この一節が山田さんの心に入ってきて、それまでの自分の書く姿勢が「猛烈に恥ずかしくなった」のだという。それからぴたりと書くのを中断し、数カ月後、一気に『ベッドタイムアイズ』を書き上げた。宇野さんの言葉は、まさに作家・山田詠美をつくった言葉だと言えるだろう。

山田さんはいかに書き、いかに生きてきたのか。山田詠美作品を読んだことがある読者なら、きっと興味をそそられ、発見を得られる一冊に違いない。

私は、この自伝めいた話を書き進めながら、自分の「根」と「葉」にさまざまな影響を及ぼした言霊の正体を探っていこうと思う。
――山田詠美

■山田詠美さんプロフィール
やまだ・えいみ/1959年東京生まれ。'85年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞受賞。'87年『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞、'89年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、'91年『トラッシュ』で女流文学賞、'96年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2000年『A2Z』で読売文学賞、'05年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞、'12年『ジェントルマン』で野間文芸賞、'16年「生鮮てるてる坊主」で川端康成文学賞を受賞。他の著書『ぼくは勉強ができない』『姫君』『学問』『つみびと』『ファースト クラッシュ』『血も涙もある』他多数。

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