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【京都ツウ】嵐山渡月橋すぐの平家物語登場の悲恋☆松尾芭蕉も俳句に詠んだ史跡「小督塚」

  • 2022.11.24

汁物大好きな三杯目 J Soup Brothersです!FU~FU~☆彡今回は右京区嵐山渡月橋を望む好立地な美術館脇にある史跡。平家物語にも登場し、松尾芭蕉も俳句に詠んだ知る人ぞ知る史跡。

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右京区嵯峨天龍寺にもほど近く、すぐ目に前には大堰川が流れる立地の比較的新しいアート施設『福田美術館』。

この日は現在開催中の展覧会「芭蕉と蕪村と若冲」を鑑賞。俳句の神様として知られ『俳聖』と崇められる松尾芭蕉。その芭蕉を敬愛した与謝蕪村と、時同じくして活躍した天才画家・伊藤若冲の貴重な作品が並ぶ特別展。とても素晴らしい内容でした。

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その帰り。

福田美術館から大堰川沿いへ向かう途中。美術館の隣に生垣があります。

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で、よく見ると何やら古い墓石のような石造。傍らには駒札もあります。

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ここは『平家物語』にも登場し、類まれなる美貌と箏の名手だった女性・小督(こごう)がかつて隠密で暮らしていた場所。

小督は平安末期の「平治の乱」で殺された藤原通憲(信西)の孫にあたる。

小督は、最初に政界や歌人としても存在感を発揮していた公卿・藤原(冷泉)隆房の愛人となるが、その正室が平清盛の五女であった。さらにその後、時の帝であった高倉天皇の寵愛を受けるが、高倉天皇の中宮(天皇の后(きさき)・皇后・正室)は平清盛の三女、徳子(後の建礼門院)。父・清盛には五女と三女の婿を奪った悪女として怒りを買う存在となり、小督は帝への悪影響を懸念し宮中を去り、隠密にこの地に暮らす。

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小督の不在に帝は激しく嘆き、ある月の夜に源仲国にその消息を探して宮中に連れ戻すよう命じる。この嵯峨野あたりで方々探すも見当たらず途方に暮れ、わずかな望みをかけて仲国得意の笛を吹く。すると小督の箏の音がわずかに聴こえてきて、その曲は帝を恋し、想う「想夫恋(そうふれん)」だったという。小督は隠密に帝の姫君を授かるが、徳子より先に出産したことによりさらに清盛の逆鱗にふれ、清閑寺で出家させられてしまう。

江戸時代、松尾芭蕉が弟子・向井去来の庵・落柿舎を訪れた際『嵯峨日記』にも記されていますが、この小督塚を訪れ、こんな俳句を詠んでいます。

「うきふしや竹の子となる人の果て」

憂き節繁き人の世に翻弄されたあげくの果てに竹薮の中に葬られ、最後はこんな竹の子に化してしまうとは。人の末路は哀れで悲しいものだ、と小督局の生涯を哀れみ、思いをはせて詠んだ句。

今では京都随一の観光スポットで、大勢の観光客でにぎわう嵐山。その傍らにそんな悲話があったことをこの史跡だけが物語っていました。

詳細情報

名称:小督塚
場所:京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町

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