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『赤い袖先』の「嫌われ王女」和緩翁主は実在したのか。悪女のワケとは

  • 2022.11.12
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ジュノ(2PM)とイ・セヨンが歴史に残る「純愛宮廷劇」を演じた傑作ドラマ『赤い袖先』。個性的な登場人物がたくさん出てくるが、ドラマに必須な悪役を一手に引き受けていたのが和緩(ファワン)翁主(オンジュ)であった。

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演じていたのはソ・ヒョリム。彼女が本当に憎たらしい表情を存分に出して希代の悪女を強烈に見せていた。

劇中でソ・ヒョリムが演じた和緩翁主としては、ジュノが扮した世子(セジャ)のイ・サンが即位してしまうと、自分の立場が極端に悪くなるのは明らかだった。

それゆえ、狡猾(こうかつ)な手を使ってでもイ・サンの即位を阻まなければならない。悪女なりに彼女も必死だっただけに、やることも本当にえげつなかった。それがむしろ、苦境に耐えるイ・サンの辛抱強さを強調する役目を果たしたのだが……。

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王の寵愛を受けた王女。プライドだけが高かった

このように『赤い袖先』でも嫌われ役に徹していた和緩翁主。だからこそ気になるのは実際の姿だろう。

史実ではどんな女性だったのだろうか。

 

和緩翁主は英祖(ヨンジョ)の娘だ。翁主というのは、国王の側室が産んだ王女のことを指しており、彼女の母親は英祖の側室の映嬪・李氏(ヨンビン・イシ)である。

同じ両親から生まれた兄がイ・サンの父親であった思悼世子(サドセジャ)。とはいえ、この兄妹は仲が悪かった。

思悼世子は1762年に素行の悪さが指摘され、英祖によって米びつに閉じ込められて餓死してしまうが、その際に兄の悪口を英祖に吹聴(ふいちょう)したのが和緩翁主だと言われている。いわば、思悼世子の餓死事件を招いた張本人の一人だ。

当時、イ・サンは10歳であったが、叔母の和緩翁主の悪行を決して忘れなかったのだろう。それゆえ、彼にとって和緩翁主は即位したときに復讐すべき相手になっていた。

ただし、慎重に事を運ぶ必要があった。英祖は自分の王女たちを特に溺愛していたからだ。

実は、英祖には娘が多かった。彼の2人の妻は子供を産まなかったが、4人の側室が合計で2人の王子と7人の王女を産んでいた。

その7人とは、和順(ファスン)翁主、和平(ファビョン)翁主、和協(ファヒョプ)翁主、和緩翁主、和柔(ファユ)翁主、和寧(ファリョン)翁主、和吉(ファギル)翁主である。

この中で最も有名なのが長女の和順王女だ。彼女は夫が急死したあと、一切の食を断ってしまい、夫の後を追って亡くなっている

当時の朝鮮王朝では儒教精神が濃厚に浸透していて、「亡き夫の後を追うのは烈女の証」と言われた。それを実行した和順王女は最高の形で称賛されたのだ。

しかし、父親の英祖としては、娘を失った悲しみがあまりに深かった。それゆえ、さらに娘たちを溺愛する気持ちが強くなり、特に和緩翁主に目をかけていたと言われている

そんな事情があったので、イ・サンは英祖が生きている間は、どんなに和緩翁主からひどいことをされても辛抱した。それは『赤い袖先』で描かれたとおりである。

1776年、英祖が亡くなってイ・サンが22代王・正祖(チョンジョ)として即位した。ついに念願を果たす機会が訪れたのだ。

イ・サンは父の思悼世子を陥れた罪を強調して和緩翁主を厳しく処罰し、王女としての身分を剥奪した。それは、プライドだけが高かった和緩翁主にとって死ぬよりも辛いことだった。

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思えば、イ・サンと和緩翁主は甥と叔母というとても近い親族同士でありながら、憎悪が渦巻くような関係になってしまった。

和緩翁主が『赤い袖先』でも嫌な悪役として描かれなければならなかったのは、朝鮮王朝の王家にとって不幸なことであった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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