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もう縁を切りたい!「叔父さんが無銭飲食で捕まりました」警察から電話が…大迷惑な親族エピソード3選

  • 2022.11.5

あなたは親や兄弟、親戚と縁を切りたいと思ったことはありませんか?
今回はそんな「もう血縁を切りたい...」と思ってしまうようなエピソードを3つ紹介します。

■無銭飲食で捕まる叔父

長年、悩まされたのは親戚の叔父です。独身でずっと定職が定まらず、ある日突然どこからか帰ってきてはしばらく居ついて居なくなり、また突然帰ってくるというのを繰り返している感じでした。

友達もいないせいか、無口で不愛想でどこか雰囲気が不気味な感じな人で、さらに酒癖も悪く、夜には繁華街を渡り歩き、借金もしていたようで、借りていた金融会社らしきところからの嫌がらせも受けたことがありました。

私たち家族が本籍地の実家住まいであったからだと思います。

始めは親族なので援助もしていたようですが、反省するどころか、そんなことを度々繰り返し、しまいには他県からの警察から無銭飲食で捕まったと電話がかかってきました。

そういったことが積み重なり、さすがにキレた父親からある時、夜中に家を追い出されていき、それ以来二度と家には戻らなくなりました。

以後は相変わらず地方を転々としているようです。ある時は他県在住を名乗る方から、好意で雇ってやったのに散々迷惑を掛けられ、終いには酒が原因で暴れ、家賃を踏み倒されたと苦情の電話もありました。

風の噂では生活保護なども受けていたような話も聞きましたが、正確なことはわかりません。

叔父からはその後も度々、お金を無心するような電話はありましたが、家に援助する余裕も義理もないことを悟ったのか、そのうち謎の無言電話がかかってくるようになりましたが、終いには電話自体、掛かってくることもなくなりました。

今現在どうしているかも知らないし、知りたくありません。これで完全に縁が切れてくれていることを今も願うばかりです。

(40代・女性)

■ローンを肩代わりさせようとする父親

私が20歳くらいの時、父が分譲一戸建てを購入しました。

その際、父が住宅ローンを組んだのですが、それまでは私にとっては祖父母、父からすれば両親との同居暮らしをしており、父は賃貸で暮らすことも経験したことがなく、生活に関わるお金の全てを父自身の給料で支払うことが初めてでした。

これから始まるローンの支払いについての不安、新築一戸建てを買った喜びが混じった感情を抱えていただけだったのかもしれませんが、ある日、私や妹に向かって、「もし俺がこの家の住宅ローンを支払うことができなくなったら、お前たちに支払ってもらう。お前たちは、家賃を支払わずに俺の家に住むわけだから、支払う義務がある。俺だけでは支払い切れないかもしれない金額だし、お前たちもこれからここに住むから数百万くらいなら社会人になれば簡単に支払えるだろう。」というようなことを言い始めました。

当時、私と妹は、3世帯で暮らしていた古い家から出たこと、新築で自分達の部屋が持てることに浮かれていた気持ちが、全て消えるような出来事でした。

その際、母が父に向かって「あなたが買いたくて買った家なのに、娘に借金を背負わせる必要はないでしょう。本当に支払いに困ることがあれば、その時に打開策を考えるしかないんだから、今からあれこれと騒がないで。」などと言って、父を宥めようとしましたが、父は荒ぶり、夫婦喧嘩になりました。

その後、両親の間でどんなやりとりがあったのかはわかりませんが、父からとんでもない住宅ローンの話題が私達に持ち出されることは、現在に至るまでありませんが、未だに思い出すことがあると血縁を切りたくなるようなエピソードとなりました。

(30代・女性)

■腹違いの見知らぬ兄弟が6人も…

私が縁を切りたいと思うのは自分の父親です。

私の両親は再婚同士で年の離れた兄は母の連れ子で私は両親から生まれました。しかも、その事実を私は高校二年生になるまで一切知りませんでした。

そしてもっと重大な事実は父親はバツ3だということでした。母が四回目の結婚で、母も結婚するまでバツ1だと騙されていたようです。

更に衝撃だったのは、それぞれの結婚相手との間に子供がいると言うことでした。腹違いの見知らぬ兄弟が6人いるそうで、その事実を知ったときは倒れそうになりました。

どうりで結構良いお給料をもらっているのに母親まで働きに出て、それでもいつも家はお金がなかったのです。

6人分の養育費を払っていたからです。母親はいつも自分の欲しい物も買わず、文句ひとつ言わずニコニコ働いていました。

共働きだったので、小さな頃からいつも家で1人でした。それもこれも全部、父親の見境なしの種付けのせいかと思うと、父親に嫌悪感しかありませんでした。

それでも、そのときはまだ普通に皆で仲良く暮らしていました。本当にもう無理だと思ったのは私が短大生になった頃、夜中に父親が誰かとこそこそと電話しているのを聞いた時です。

それは父親の浮気相手だったようで、愛してるとか、俺はお前が一緒になりたいならいつでも家族を捨てるとか、お酒も入っていたせいかわりと大きな声で話していて、私は初めて殺意を覚えました。

父親のために朝早くから家の事をし、仕事に行き帰ってきたらすぐに父親の夕飯の支度をして、そんな母親を裏切っていたのです。許せませんでした。

私は母親に離婚を勧めましたが、母親は父親がいないと駄目と、聞き入れてはくれませんでした。それから私は家を出て独り暮らしをしました。それ以来本当に必要のあるときにしか帰りません。

(40代・男性)

■近しい存在だからこそ複雑な問題に

今回は、縁を切りたくなる本当にあった信じられないエピソードについてまとめました。
自分の周りや街で見かけたあの人も実は様々な過去を持っているかもしれませんね。

文・fuelle編集部

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