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手っ取り早い「ファスト教養」の催眠力

  • 2022.10.31

いま書店に入れば、タイトルに「教養」のつく本が、山のように平積みされている光景は当たり前になった。そのほとんどは、ビジネスや学業などでの手っ取り早い成功と実益を目的としたものであることも共通点のひとつだ。「○○のための教養」といったタイトルが多いのもそのせいだろう。

そうした現状を分析し、教養書ブームの背後にある日本社会と日本人の心理を鋭く観察したのが、レジーさんの書いた『ファスト教養』である。ファスト教養の「ファスト」とは、サブタイトルの「10分で答えが欲しい人たち」から推測できる通り、ファストフードのように、安くてサクッと取ることができ、時間を節約して実利を得られる「教養」を意味する。タイトルからして皮肉が効いている。

本書の「はじめに」登場する人名が、ファスト教養書ブームの原風景を象徴している。 具体的に挙げれば、ひろゆき、中田敦彦、カズレーザー、前澤友作、堀江貴文というビッグネームである。いずれもテレビやインターネットの世界で成功し、時には挫折を経験しながらも、結果として巨万の富を得た有名人であることに違いはない。

ビジネスパーソンの焦燥感にフィット

こうした面々が自らの成功体験をもとに、「教養」の大切さを強調したり、「成功」のノウハウを伝授したりする本なのだが、これらの本が若いビジネスパーソンを中心に人気を呼び、出版社を潤すことになっている。もちろん本を書いた成功者たちも、さらなる富を印税という形で得るビジネス構造を提供していることが、分かりやすく説明されている。

本来は違う文脈で教養の重要性を訴えようとしているかも知れない池上彰氏や出口治明氏の著作も、出版界のマーケティング戦略では、同じ構造にからめとられがちであるとの指摘は、言われてなるほどと思わせるものがある。

レジーさんは、こうした現代社会の本質を抉ったうえで、本を読んだ読者が成功することはほぼないだろうと喝破する。成功者の体験は、本人の努力もあるが、万人が追体験できるような再現性が期待できないからだ。

多くのファスト教養の著者たちは、自らの成功と「自己責任」論を地続きで表現することも多い。自分より上の世代を否定し、こき下ろすことも共通している。レジーさんの分析によれば、若いビジネスパーソンたちは、そうした言説を自分に埋め込むことで、成功への焦燥感を少しでも沈静化しようとしているようだ。一種の催眠効果のようなものだ。

ファスト教養の読者は、その著者を自己啓発の「先生」のように理想化し、著者自身も「教祖」のように振舞っているケースも少なくない。

物議を醸す言動や、やんちゃな行動をあえて見せるユーチューバーを思い浮かべることは簡単で、その多くが特異さを売り物にし、それでも経済的には成功していると見せつける。同じく、ファスト教養の著者には主な活動の舞台をYouTubeにしている人も少なくない。

金にならない時間と情報は無駄なのか

ただ、「ファスト教養」を読んで現世的な成功を渇望する人たちの心理を、レジーさんが無下に否定するわけではない。レジーさん自身が、かつてはそうした本に心を動かされ共感していたことを正直に明かしてもいる。

資本主義社会の過酷な現実の中で、成功=カネという感覚を完全に否定することができないのは事実だ。一方、学問的に純粋培養された教養でなければニセモノと考えたり、理想の自分探しだけで「豊かな生活」に背を向けて生きたりすることも無理な話ではある。

では、どうするのか。「ファスト教養」が幅を利かす現状と、どう折り合いをつけていくのか。一方で、本物の教養を身につけることとは何なのか。レジーさんの結論は本書で確認してほしいが、ヒントになるキーワードは「無駄」である。

映画もドラマも早送りで見ないと時間の無駄という人々が生まれてきているが、それで「映画を見た」ことになるのかという問いにどう答えるかは人それぞれだろう。そこに文化や生き方に対する価値観が表れる。

一日のハードワークが終わった後、心身を癒すために聴く音楽を「早送り」で聴く、というと笑い話のようだが、案外、笑えない現実があるのではないだろうか。「豊かな生活」のためにはカネにならない時間と情報は無駄と考えることは、本当に「豊か」なのか。「ファスト教養」というネーミングはそのことを考えるきっかけになるだろう。

読書の秋に「本を読む」ということの意味をあらためて考えさせてくれる一冊である。

■レジーさんプロフィール
1981年生まれ。ライター・ブロガー。一般企業で事業戦略・マーケティング戦略に関わる仕事に従事する傍ら、日本のポップカルチャーに関する論考を各種媒体で発信。著書に『増補版 夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』(blueprint)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア、宇野維正との共著)。

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