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「ゴダールの映画を観ること」とは、自分の人生を振り返ること。

  • 2022.9.15
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映画史に名を残すヌーヴェルヴァーグの巨匠が9月13日に亡くなった。ユニークな作品を世に発信しつづけ、尊敬されながらもなかなか理解されなかった。フランスのマダムフィガロ誌カルチャー担当者が、ゴダールの人生を振り返る。

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ありし日のジャン=リュック・ゴダール監督。(1985年、フランスにて)photography:REX/aflo

ジャン=リュック・ゴダールの死はフィクションであり、心象風景なのではないか。そんなふうに思えてしまうのは、これほど重要な作家が亡くなる、なんてことがあっていいのかと考えてしまうからだ。1950年代末から同時代性を失わずに走りつづけてきたゴダールの映画、作品、思想、著書は人々に影響を与え、たとえ時にはかすかな痕跡しかなくとも、そこから訣別することも、世界や私たちに与えた影響を無視することもできない。

いずれにせよ、彼の死は、その作品が私たちに植えつけたものとすべての点でつじつまが合っている。それはすなわち「常に時代を感じていたい」「時代の変化に敏感でいたい」そして「この世の役者であると同時に観客でありたい」という欲望だ。長編処女作『勝手にしやがれ』でゴダールは1950年代の終わりと来るべき10年を見据えた。いまなおこの映画から伝わるのは、圧倒的な自由。ストーリー的にも手法的にもだ。最後に迎える主人公の死は、このシーンが撮影されたパリのモンパルナス近くのカンパーニュ・プルミエール通りを訪れる人々の心に残りつづける。ここを訪れて見学することは、いつまでも映画を追体験することと同義だ。ゴダール以後、人々の目に映るパリはもう同じではない。

「ざらざらした感情や現実に暮らす中でのきしみの描写」

愛することや恋愛関係について常に思い悩んでいる現代人の心にいちばん響くのは、『軽蔑』ではないだろうか。おそらくゴダール作品で最も有名な作品であり、わたしたちの悩み、人はどう恋に落ち、どう失恋するのかについて、重要なヒントを与えてくれる作品でもある。冒頭から最後まで、この作品がひたすら語るのは、恋をするとはどういうことか、その恋する気持ちを突然軽蔑するようになり、大好きだった相手を拒絶し、果てには遠ざかってしまうのはどういうことなのかということだ。アルベルト・モラヴィアの同名小説を映画化した『軽蔑』は、ラブストーリーをできるだけ正直に撮っている。それはつまり、生々しく残酷な現実を描きだすこと。ゴダール作品で人の心をなによりも打ち、しかもずっと心に残るもの、それはざらざらした感情や現実に暮らす中でのきしみの描写かもしれない。

ゴダールの映画を見ることは、映画史を辿ることであると同時に、自らの感情や心の奥底にうごめくもの、そして己の生き方を辿ることでもある。ゴダール作品のタイトル自体、存在というものを図式化し、人生そのものへのこだわりを語っている。『彼女について私が知っている二、三の事柄』、『女と男のいる舗道』、『男性・女性』、『はなればなれに』など、とりわけ1960年代の長編映画は自ら学び、武装し、教養をつけ、成長し、他者とともに生きることの意味を理解するための文字通りの道具箱なのだ。要点をまとめたマニュアルとでもいおうか、何度も繰り返し参照することで、作品同士の関連性や実生活との関連性を見出していくことができる。『男性・女性』を観た後はパリのカフェもこれまでとは違って見え、分かち合いの場、果てしなく会話を交わす場、人々が恋に落ち、愛が動き出す場となる。『彼女について私が知っている二、三の事柄』にどっぷり浸かって、一杯のコーヒーにカメラが固定されるシーンに慣れると、一杯のコーヒーに全宇宙が収まりうるものだと思うようになる。SF映画『アルファヴィル』を観た後は、現実世界のどんな時代のどんな場所にも逆に驚いてしまう。誤解してはいけない。ゴダールが20代の若者を撮ったのは、彼らが若さを失っても20代の若者という存在をずっと存続させ、いつまでも若々しく、夢を忘れず、夢に幻滅しないようにだ。

ひそかに潜入する

ゴダールはいつの時代にも道標であり続けた。映画作品はもちろん、著作、展覧会、さまざまな活動や『ゴダールの映画史』プロジェクトなど全てにわたって......1980年代から90年代にかけてゴダールがテレビを「占拠」したやり方は、当時の若者たちをおおいに刺激した。若者はゴダールを見て、ひそかに潜入して目立つ場所を占拠し、活用するやり方を学んだのだった。持続も大切だ。ゴダールは生涯、新しいことに取り組みつづけた。2018年のカンヌ国際映画祭でのゴダール最後の記者会見は、アップルのFacetimeを使って実験的にスイスのレマン湖の北岸にあるロールの自宅をつないで行われた。コロナ禍のロックダウン期間中には、スイスのローザンヌ州立美術学校の学生向けに、同校の映画学科の責任者との対談をインスタライブで流した。そして最後、2019年にはなんと驚くべきことにロールの自宅のリビングルームをそっくりプラダ財団に売却した。ミラノの「オルフェのスタジオ」展でリビングルームはインスタレーションとして展示された。これからの時代を示唆するような行動だった。あたかもジャン=リュック・ゴダールが、自分の作品が生きるのは、映画館やスクリーンのみならず、ミウッチャ・プラダのもとだと確信しているかのようだった。

ゴダール死去の報が流れて数時間のうちにインスタグラムは監督のポートレートで埋め尽くされた。そんな時、ある読者からメッセージが届いた。「ロールに住んでいる母がさきほど連絡してきたのですが、ゴダールがよく通っていたレストランの「モレ」で昨日、母は食事をし、その目の前にゴダールがいて、元気そうだったそうです」とメッセージにはあった。ほらね。ジャン=リュック・ゴダールはきっと生きている。

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