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【朝鮮王朝の三大毒殺ミステリー】昭顕世子、景宗、正祖は本当に毒殺されたのか

  • 2022.9.4
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朝鮮王朝が舞台になっている時代劇を見ていると、ひんぱんに毒殺という出来事が出てくる。当時は毒殺事件が本当に多かったのだ。史実を見ても、様々な毒殺疑惑が浮かび上がっていて、未だに論議のマトになっている。そんな中でも強烈な三大事件を取り上げてみよう。

果たして、真相はどうだったのか。

すべて「限りなくクロに近いグレー」と言わざるを得ないのだが……。

●ミステリー1/昭顕世子毒殺疑惑

中国大陸の清で人質生活を送っていた昭顕(ソヒョン)世子は1645年、8年ぶりに祖国に帰ってきた。しかし、わずか2カ月ほどで急死してしまった。『朝鮮王朝実録』には「昭顕世子が毒殺された形跡がある」と記されている。そうであるなら、誰が手を下したのか。

一番可能性が高いのが父親の仁祖(インジョ)である。彼は息子が中国寄りの先進の発想を持っていたことを憎み、保守的な王朝政治を変えてほしくなかったので、あえて昭顕世子を毒殺したと目されている。本当ならば、あまりに非道な父親だ。

『華政(ファジョン)』ではキム・ジェウォンが仁祖を演じていた
強烈な三大事件

●ミステリー2/景宗毒殺疑惑

20代王の景宗(キョンジョン)は1724年に急死したが、その直後に、異母弟の英祖(ヨンジョ)が兄を毒殺したと宮中で噂になった。実際、疑惑解明を求める反乱が各地で起きている。国王になりたかった英祖には十分すぎるほどの動機があった。噂は広まる一方だったが、王位に就いた英祖が必死に毒殺説を握りつぶしている。

●ミステリー3/正祖毒殺疑惑

1800年に政治改革に熱意を持っていた正祖(チョンジョ)は新しい政策を発表したが、その直後に高熱を発して急死してしまった。あまりに急だったので毒殺疑惑が生じ、貞純(チョンスン)王后が疑われた。彼女には、老論派という派閥の勢力維持のために正祖を殺さなければならない動機があった。

実際、正祖が亡くなったあと、貞純王后は実権を握り、正祖が進めていた改革をすべてつぶしてしまった。今でも韓国では貞純王后が犯人であると信じている人がとても多い。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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