1. トップ
  2. 恋愛
  3. 高校時代から問題を起こしてばかりの、元ホストでニートだった彼。私の妊娠がわかると…【体験談】

高校時代から問題を起こしてばかりの、元ホストでニートだった彼。私の妊娠がわかると…【体験談】

  • 2022.8.29

元ホストでニートだった夫。妊娠がわかったとたんに初めて真面目に就活して正社員に。妊娠を誰より喜び、娘の誕生を待ち望んでいました。いよいよ破水すると、夫は大慌て。病院へ着いてからは痛みが増し、終始泣き叫んでいた私。そんな私のドタバタな出産エピソードです。

ホストだった同級生と再会

同級生でもある夫とは、彼がホスト時代に再会し、その数年後付き合い始めました。そして付き合って2年目となる年に妊娠が判明。当時まともな仕事にもついていなかった彼ですが、生まれてくる自分の子どものために、初めてまじめに就活し、正社員となりました。

毎日のようにおなかに話しかけてくれて、夢に女の子がでてきたからと、性別がわかる前から名前をきめていたくらいの親バカでした。高校時代から問題をおこしてばかりで、母泣かせのやんちゃだった人です。家族が職につけと説得しても私が説得しても職につかなかったのですが、父親になるとわかったとたん、迷わず職につくことを決めました。その姿を見て、私はこの人を信じてこの子を出産しよう、と決意しました。

ドタバタと焦り始めた夫に義母は…

そんな私たちは、お金がなかったので、妊娠後期は夫の実家に引っ越してお世話になりました。出産予定日は、夫の誕生日。夫と絆の深い子であることは間違いありませんでした。焼肉やスクワット、階段昇り降りなど、あらゆる陣痛ジンクスを試しましたが、夫の誕生日には生まれてきませんでした。

毎日今か今かと待っている夫。ある日の夜中、私は何か異変を感じてトイレへ……。 おしっことは違う意図しない水が流れてくるかんじがします。色は薄いピンク色でした。「破水だ」私はすぐそう思いました。初産婦だけれどいろいろな本も読んでいたので、間違いないと思ったのです。

病院からはつらくても自分で電話するように言われていました。トイレの中で落ち着いて電話しなきゃと思っていると、私の様子を気にした夫が、「どうした?うまれるか?」とあせって聞いてきました。「うん、破水したみたい」というと大きな声で「かーちゃん! 破水した! うまれる! 俺……」と、ドタバタしはじめました。義母は大爆笑。「あんたがあせってどうするの」と。夫は私のバッグを持ってウロウロ……。「俺、車まわしてくるから」夫が焦ってるおかげで、私は落ち着けました。「待って、まず病院に電話するから。落ち着いて」病院に電話して、この後入院になるから荷物を持ってくるように指示され、夫が病院へ連れていってくれました。

「もうむりー!」痛みのあまり泣き叫んだ私

夫はすぐうまれるとおもったのか、緊張しながらもワクワクしている様子。病院で助産師さんに、「子宮口は全然開いてないから旦那さん、今日は帰って。朝もまだうまれないだろうから、仕事に行って大丈夫! 午後から休んでも遅くないからさ!」夫は目が点になりながら「え? 仕事? 仕事に行って大丈夫なんですか?」とまたあたふた。夫は自宅へ帰り、その後、助産師さんの言うとおり仕事に行きました。しかし仕事に集中できるわけもなく、上司には奥さんの側にいてやれと言われたそうで、早退してすぐ病院へかけつけてくれました。

陣痛は中々こず、その日の夕方やっと弱い陣痛がはじまったくらいでした。弱いとはいえ、経験したことのない痛みに、痛いと泣き叫び、義母と実母と夫に支えてもらいながら子宮口が開くのを待っていました。1時間が何十時間にも思える苦しい時間でした。その日は満月で、経産婦さんもたくさん産気づいていたのか、ナースコールを押してもややしばらく反応もなし、ナースステーションももぬけのから。夫は何度も助産師さんを呼びにいってくれたのにいなくてイライラ。小さな個人病院、お産が重なれば仕方ないこととはいえ、なかなか誰もこないことに私もイライラと痛みで暴言をはいていました。「もうむりー! おなか切って! むりー」バレーボールをずっとやっていた私は声が大きく、未だに家族には誰よりもでかい声でなき叫んでいたと笑われるくらいです。

やっときてくれた助産師さんは、「子宮口が全然だねー。まだまだかかるわー」と言ってまたいなくなりました。「もうやだー、いたいー!」その繰り返しで、私は夕方から朝まで泣き叫び続けました。

妊婦さん全員が私を指さして…

朝になると助産師さんの数が増えました。先生に診察してもらうために、歩いて行くように言われたときは殺意が芽生えるかと思いました。母の手をかりてやっとの思いで私は待機室へ。夜通し泣き叫んだ私は誰がみても今にでも死にそうな姿だったんだと思います。数人の妊婦さんがいましたが、助産師さんが「それでは順番に先生の診察を行います」と言った瞬間、そこにいた妊婦さん全員が、私を指して「先に診てあげてください。私たちは大丈夫です」と譲ってくれました。余裕がなかった私はお礼も言えず、頭だけ下げて先生のところに向かいました。そこで先生に「どうする?陣痛促進剤打つかい?」と言われて、「もう無理です。それ以外考えられません」と即答し、陣痛促進剤を打ちました。

朝の9時に陣痛促進剤を打つと、急激に痛みが増して涙と鼻水と汗で私の顔はべちゃべちゃに。夫は必死で私の顔を拭きあげてくれてました。昼ごはんは天丼で、「こんなの食えるかー!」と激怒してしまった私。もう私を止められる人は誰もいませんでした。

感極まって泣く夫に全員が笑ったのは

お産が重なったのもあり私はLDRには入れずそのままこの部屋でといわれ、いきむためつかむようなものもなく、そばにあったティッシュケースを掴んだら助産師さんに「ティッシュケースこわれるからだめー」ととりあげられました。どこに怒りをぶつけていいかわからず、「もう無理、死ぬ、無理、だして、殺して」と暴言。助産師さんに「赤ちゃんに全部聞こえてるんだからそんなこといわないの!」と叱られ、散々な時間でした。

やっと出産というとき、一回いきんだだけで、でてきてくれた赤ちゃん。私はもう放心状態。夫は感極まって声を出して泣いていました。義母が「まったく、泣き虫なんだから」と夫にハンカチを渡したら、全員が笑いました。なんと夫は漫画のようにメガネの上から涙を拭いていたのです。義母はそれをみて感動しながら「しょーもないねー」っと夫のメガネを外し涙をふいてあげてました。その姿をほっこりみながらも私は放心状態。23時間あれだけ大声で最後まで泣き叫んで怒っていた妊婦さんは中々いないと言われたくらいでした。

体力が人並み以上にあったからなし得た出産だったように思いますが、夫の漫画のような笑える行動が、笑顔と感動を与えてくれたことも間違いありません。彼の夢の通り、女の子だったのでそのまま夫が言っていた名前をつけました。その長女も11歳。夫が正社員となったのも11年目ということになります。ちゃらんぽらんだった自分を変えてくれた娘。その娘には感謝しかないと、夫は娘のために歯を食いしばってくれています。

バイトすら続かずニートだった人が、他人に頭を下げたり、どんなことがあっても投げ出さずに家族を守ってくれる夫に変わりました。今では夫には頭があがりません。娘がいなかったら夫は今ごろどうなっていたか、私も夫も想像がつきません。変わらないといけないと自分を奮い立たせたら、人は変われるんだと私は改めて思いました。やんちゃで喧嘩っ早い人でしたが、おちゃめで誰より人間味のある人でもあり、結婚して12年たちますが、飽きずに楽しくすごせています。今では3姉妹の父ちゃん、家族をとても大事にしてくれるやさしい父ちゃんに成長しました。心も体もでっかくね。


著者:おはな

3姉妹とオス二匹のワンコの母ちゃん。ほぼワンオペ育休中。破天荒な夫を支える鬼嫁です。

ベビーカレンダー編集部

元記事で読む
の記事をもっとみる