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【黒柳徹子】マリア・カラスさんの美しさは、徹底した「修練と勇気」にあったと思います

  • 2022.8.13
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第4回】オペラ歌手 マリア・カラスさん

「ライフワークは何ですか?」と聞かれたら、私は、「舞台です」と答えています。

38歳のときにニューヨークに渡ったのは、芝居を学ぶためでした。仕事だけ見れば、「今が最高なのに、どうして?」と思われるような時期です。もし帰ってきて仕事がなくても、それぐらいで忘れられたら、私に実力がなかったということ。体も丈夫だし、他の仕事だってできるだろう、と思っていたのです。

ニューヨークでの生活はとても充実していました。でも、1年が過ぎた頃、「日本で新しいニュースショーが始まる。その司会をぜひお願いしたい」と言われ、日本に帰ることにしました。それが、今の「徹子の部屋」の前身です。帰国後は、女優としてドラマにも出ていたのですが、あるとき、「芝居は舞台だけにしよう」と思うような出来事に遭遇しました。私の酔っ払った演技を間近で見ていた小道具さんから「本当は飲んでいるんでしょ?」と質問されたんです。私は普段からお酒は飲めませんし、ましてや、ドラマの収録中に飲むなんてあり得ません。こんなに簡単に騙されてしまうなら、悪女の役なんかやったときには、“黒柳徹子は、本当は悪女だ!”と思われかねない。それで、テレビではお芝居をしないと決めたのです。

1989年、今はなくなってしまった銀座セゾン劇場で、「黒柳徹子海外コメディ・シリーズ」が始まりました。不世出のオペラ歌手マリア・カラスを演じた舞台「マスター・クラス」が上演されたのは、もう25年前になります。私は元々、マリア・カラスの大ファン! でも、演じるにあたり、手に入れられる本はすべて読み、CDも聴きました。実在の人物を演じるときは、徹底的に勉強します。なぜかというと、その人がどういった人かわからないと演じられないからです。

カラスは、ギリシャからの移民で、アメリカ育ちでした。108kgあった体重を、サナダ虫の卵を飲んで、58kgまで減らしたという逸話の持ち主です。今残っている映像のほとんどは、痩せて綺麗になってからのもの。口癖は、「修練と勇気、あとは全部ゴミ!」。それほどまでに自分に厳しい人だったからこそ、世界的なオペラ歌手になれたのでしょう。話題にするのは音楽のことだけ。趣味はマニキュアで、外反母趾だったことや目の病気があって、30分おきに目薬を差していたこと。恋人だった海運王オナシスの子を妊娠したとき、オナシスの子供たちから「堕ろせ!」と言われて従ったこと。死ぬまでに、40ものオペラに出演したこと。自分の母のことも、姉のことも“敵”と言っていたこと……。私がカラスを演じる前に、頭に入れておいたことは枚挙にいとまがありません。芝居は、そういうすべてのことを頭に入れておかないとダメなんです。「お母さん」という一つのセリフがあったときも、彼女の頭の中の「お母さん」がイメージできないと、お客さまには感情が届きません。何もイメージがなくてただセリフを言うことは、俳優として恥だと、私は、ニューヨークで徹底的に叩き込まれたのでした。

カラスが、オペラ歌手を引退後に来日したときは、私も、NHKホールにコンサートを観に行きました。サーモンピンクのシフォンドレスを着て、さーーっと登場したときは、「この世にこんなにエレガントな人がいるなんて!」と息をのみました。「うわーーっ、出たーーっ」と、一瞬で心を摑まれる迫力と風格です。1部も2部も同じドレスだったので、「あれ? 着替えないのかな?」と思っていたらそうじゃなくて。よく見たら、2部では、同じ布地だけど、デザイン違いのドレスだったのです。深いスリットがあって、そこから金色のスパンコールが覗いたときは、「ああ、こういうおしゃれもあるのか」と感心しました。

俳優には、想像力、創造力、記憶力と観察力が必要です。自分の芝居で、人の心を震わせようと思ったら、常に修練を積み、その上で勇気を持っていくしかない。マリア・カラスの美しさは、徹底した「修練と勇気」にあったと思います。

私も、秋には朗読劇「ハロルドとモード」の舞台が待っています。ライフワークを続けていく限り、今も俳優として宿題のない日はありません。

マリア・カラスさん

オペラ歌手

マリア・カラス

1923年米ニューヨーク生まれ。ギリシャ系アメリカ人。「カラスの出現によってオペラは完成した」とまでいわれる、20世紀最高のソプラノ歌手。1977年、53歳のときパリで謎の死を遂げる。

─ 今月の審美言 ─

「 マリア・カラスの美しさは、その徹底した『修練と勇気』にあったと思います。」

取材・文/菊地陽子 写真/Getty Images

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