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「死ぬほど嫌いな親の介護は引き受けるべきなのか」50歳を過ぎて83歳父と和解した僧侶の深い話

  • 2022.8.5
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幼少期から厳しく当たられ、恨みに近い感情を持ってきた親に介護が必要になったとき、娘・息子はそれを引き受けるべきなのか。長い間厳しい父との関係に悩んできた天台宗僧侶の髙橋美清さんは「介護がつらくて悩んでいる方に『今から親を愛しいと思え』と言っても無理な話です。私の場合は、相手に感謝を求めなくなったことで、かなり楽になりました」といいます――。

天台宗僧侶の髙橋美清さん
天台宗僧侶の髙橋美清さん
いくら親でもイヤなものはイヤ

「嫌いな親の面倒を見るのがつらいんです」と悩む人から相談を受けることがあります。相談される方は「親の介護をするのが苦痛なんですが、そんなふうに思ってしまう自分もイヤなんです」と自分を責めている人が多い。でも、それは当たり前のこと。いくら血のつながった親でも、やっぱりイヤなものはイヤ。自分を責める必要はありません。

ただ、自分が抱えるネガティブな感情は相手にも伝わって、相手もイヤな態度で返してくるものなので、結局は自分に返ってきてしまいます。では、どんなふうに自分の気持ちを切り替えたらいいのか。こうした相談をされた時、私は自分のことをお話ししています。私の父は現在83歳で、2020年5月から老人介護施設で暮らしていますが、それまでは私の家で面倒をみていました。今は、穏やかな気持ちで父に接していますが、最初からそうだったわけではないからです。

“絶対君主”のようだった父

「友達のような親子関係」というフレーズがあります。しかし、1960年代生まれの方の中には、「そんなこと考えられない」という方もおられるのではないでしょうか。

かくいう私も、父との関係はそれとは程遠く、父といえば絶対君主的な怖い存在でした。妹には優しいのですが、私には本当に厳しかった。母はいつも父に尽くしていましたが、父は母をぞんざいに扱っていて、子どもの頃の私はそんな両親を、「対等な夫婦関係ではないな」「父は母に優しくないな」と思ったものです。

父はしつけにも厳しい人でした。ごはんを食べる時はいつも正座。大した家柄ではないのですが、お客様がいらしたら三つ指をついて玄関で挨拶するよう言われ、父が仕事から帰ってくると靴を磨くのが日課。朝は、「一晩置くとほこりがつくから」と、父が出掛ける前に靴のほこりを払います。日曜日に疲れて寝ていて、「いつまで寝ているんだ」と水をかけられたこともありました。

口の利き方にも厳しく、中学生の時に家の電話(当時は携帯などありませんでしたから)で友達としゃべっていて、「うん、うん」と相づちを打ったら、突然後ろから、「返事は『はい』だろう」と頭をはたかれたこともあります。

母が亡くなり、父を引き取ることに

毎週末、父の親族が全員集まる宴会がありました。そこでも母と私だけはずっと台所の隅にいて、料理を出したり、片付けものをしたりしていました。父からは、労いの言葉ひとつかけられたことはありません。父も親戚もそれが当たり前だと思っていたし、母も父に何も言い返せなかったんです。

僧侶になる前、私がまだアナウンサーとして働いていた2015年のある日のこと、唯一頼りにしていた母が突然亡くなりました。私は、両親とは別の場所で暮らしていたのですが、母が亡くなった家に父をひとりで置いておくわけにもいかず、ウチに引き取ることにしたんです。父からは「悪いね。世話になるよ」といった言葉はありませんでした。

父の食事のために帰宅し、出張先へとんぼ返りの日々

父との生活が始まりました。私は出張の多い仕事だったのですが、父は買い物さえしたことがない人。仙台や名古屋ぐらいの距離なら日帰りで群馬に戻り、買い物をして、17時半の夕食に間に合わせていました。父は19時ごろには寝てしまうので、それから翌日の朝ごはんと昼ごはんの用意をして、最終の新幹線に飛び乗って出張先に舞い戻り、翌日の仕事に備えました。

大変な思いをしてごはんを作っても、父からは「いただきます」「ごちそうさま」の一言もありません。当たり前のように出てきたものを食べ、黙ってテレビを見ている。気に入らないと自分の犬にやってしまう。

そんな父ですが、家の外では町内会の仕事を何年もやるような面倒見のいい一面もありました。妹との関係性も良好で、人付き合いもいいんです。ですから、私と父の関係性がこんなに冷え切ったものだと思う人は、周りにはいないでしょう。

父は父で、どう私と接していいかわからなかったのでしょうし、私も子供の頃から父の前に出ると緊張状態にありましたので、「おとうさん。買い物には自分で行ってもらえるかな?」と、気安くお願いしたりすることはできません。そのうち無理がたたり、私が倒れてしまったんです。

それをきっかけに、父と私は離れて暮らすことになりました。朝ごはんは、近くに住んでいる叔母が持って行って、夜は私と妹が交代で食事を用意します。

その頃、私はプライべートで悩みを抱えており、天台宗の正式な僧侶になるために、比叡山の行院ぎょういんという場所で修行を始めました。

比叡山で気付いた思い

厳しい修行の中で思考がどんどんクリアになっていきます。そこで、「今私が抱えている問題の中で、一番大きなものは何だろう?」と考えた時、それは父親との確執だと思い至ったんです。

修行しはじめの数日は、「母が残ってくれていたら」「私に押し付けてひとりで逝ってしまうなんて」という気持ちもありました。しかし、修行が終わる頃には、「もし父が先に亡くなっていたら、私は、父との関係を修復できないままで、後悔の人生を歩むことになっただろう」という心境に変わっていました。だから、仏様は父を残されたのでしょうね。

父と2人きり、コロナ禍のつらい生活

行院を終えた私は、改めて父と一緒に暮らすことにしたんです。

そのうち新型コロナウイルスが猛威を振るうようになり、外出もままなりませんから、1日中家で2人きりの日が続きます。それが本当につらくて、ある時、母の仏壇に手を合わせて、「もうやってられない」と文句を言ったんです。すると翌日、父が庭の何もないところで転んでしまい、普段飲んでいた持病の薬のせいもあって、出血が止まらなくなってしまいました。すぐに入院、そのまま施設に入ることになったんです。

正直にいうと、「もうつらい思いをしないで済む」という想いもありました。その一方で、「まだ元気な父を施設に入れて申し訳ないな」「他にも何か私にできることはあったんじゃないか」と相反する思いもありました。そこでまた、父との関係性を見つめ直したんです。

感謝を求めないことで気持ちが楽に

比叡山で学んだ四摂法ししょうぼう(人との関わり方を説いた仏教の教えのひとつ)の中に、見返りを求めず相手のためになる行いをする「利行りぎょう」という言葉があります。私は父に対し、「おいしかったよ」「ありがとうね」という言葉のご褒美を求めて、お刺身をキレイに盛り付けようとか、もう一品つけてあげようと考えていたんですね。「こっちの気持ちを押し付けてはいけないんだ」と思ってから、少し気持ちが楽になりました。

この世は諸行無常です。どんなに大切な命でも、いつかは消えてしまう。そんな中で出会ったのは何かのご縁なわけですし、親子だって縁です。そう考えると、目の前のかけがえのない存在に集中しようという気持ちが生まれてきます。私も、「父に対して優しくなかったな」「厳しい面だけをクローズアップしていたな」と反省することしきりです。

ある時、「なんで私ばかりに厳しかったの?」と聞いてみたんです。すると「一人でもしっかりと生きていけるように」と、言葉少なに答えてくれました。

本当は優しい人なのかもしれない

実は、私がネットでひどい誹謗ひぼう中傷に遭っていた時も、修行のために比叡山にあがると言った時も、僧侶になって改名する時も、父は「そうか」以外に何も言いませんでした。その時は、「どうして父は私に無関心なんだろう」「どうしてこんなに冷たいんだろう」と思っていました。それは偏見で、本当はとても優しい人なのかもしれないと今では思います。

いま父は数カ月に1回、私の家に泊まりにきます。友達のような関係ではありませんが、昔に比べて随分険けんも取れたと思います。先日はワクチンの話になり、「ファイザーを打ったの?」と聞くと、耳が遠くなった父が「んー、ぎょうざ?」と聞き返してきたので、笑ってしまいました。

こんなふうにして、人は愛すべき存在になっていくものなんですね。「ぼけるのは神様、仏様からの贈り物だ」と言われることがありますが、言い得て妙だなと思います。

親子関係は人間関係の基本のいろはです。年を取っていく親の姿を見て、「いずれ自分も行く道だ」と思えたとき、人は優しくなれます。

景色が変わると見方が変わる

では、どうやって気持ちを変化させるか。私にきっかけを与えてくれた場所は比叡山でした。

修行中、先輩に言われた「依心より依処」という教えがあります。正しくあろうとする気持ちも大切だけど、修行をする環境はもっと大事という意味です。気が散るものや、気になる人間関係に囲まれた自宅で修行をするのと、外部の情報が遮断され、人との接触も限られた深淵しんえんな地で集中してやるのとでは、その成果がまるで違ってきます。

今月のひとこと
依身より依所

「おのずから住めば持戒のこの山は まことなるかな依身より依所」は、最澄様が詠まれた歌です。これは、「修行には、自分自身が正しくあろうとすることが大切だが、それよりも、修行をする環境がもっと重要だ。この比叡山とはまことにその修行にふさわしいところで、住んでいるだけでおのずから戒律を守ることができ、人の感覚や意識のすべてが清らかになる」といった意味です。

介護がつらくて悩んでいる方に、「今から親を愛しいと思え」と言っても無理な話です。だからといって、「つらい」とばかり思っていても問題は解決しません。

そんな時は一度、冷静になるためにも環境を変えてみることをお勧めします。まずは携帯の電源を切り、パソコンやテレビから離れる。旅に出るのが難しいなら、緑の多い河原や公園でもいいし、近所の神社でもいい。そして、いま抱えている問題に集中するのです。

人間は、景色が変わると見方が変わるものです。

父はもうすぐ84歳になります。老人介護施設で暮らすようになってから2年が経ちますが、別々に生活するようになったことで、お互いにとっていい距離を保てるようになったように思います。施設の方は皆さんプロフェッショナルで、リハビリのプロもいます。父は今では杖をついて歩けるようになりましたし、昔の自慢話も皆さん優しく聞いてくださっているようです。環境を変えることは、本当に大切なことだと実感しています。現状を悲観しすぎず、皆さんにとって一番いい選択をしていただければと思います。

構成=山脇麻生

髙橋 美清(たかはし・びせい)
天台宗照諦山心月院尋清寺住職
1964年、群馬県生まれ。短大在学中からモデルとして活動した後、フリーアナウンサーに。群馬テレビのレポーター、日本テレビ「おはよう天気」キャスター、競輪のテレビ中継の司会者のほか、フィニッシングスクールを主宰し企業などのマナー研修を行う。2011年に得度、2017年に比叡山延暦寺で修行を行い、正式な天台宗僧侶となる。2020年12月、群馬県伊勢崎市に天台宗照諦山心月院尋清寺を建立。

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