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究極の癒しスポットへ!大都市東京のオアシス散策で江戸の歴史を感じよう

  • 2022.6.9
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東京が政治と文化の中心となった江戸時代が終焉してから約150年。関東大震災や戦争によって街の景観は大きく変わりました。今回は、東京都内に今も残る「江戸」を感じられる公園について、江戸時代の歴史を交えながらエデュケーショナルライターの日野京子さんがご紹介します。

小学校の社会科は1989年に改訂され、1994年に施行された学習指導要領により小学1年生と2年生では生活科、小学3年生から社会科を学ぶことになりました。地図記号、地元の地形や農産業を学び、高学年になると日本地理や公民そして歴史を学習していきます。

日本の歴史では長い間政治や文化の中心は西日本、奈良や京都でした。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題になっている鎌倉時代は政治の中心が鎌倉に移った時期もありますが、基本的に近畿圏が歴史の表舞台である時期が続きました。

現在のように、東京が政治と文化の中心となったきっかけはご存知の通り徳川家康が1603年に幕府を江戸に開いたことです。約260年もの間続いた江戸時代を経て、明治となった1868年を境に天皇や多くの公家が「東京」と改名した新しい都に移り住み「東京奠都(てんと)」が行われました。

つまり、東京の「公式な日本の都」としての歴史は約150年と意外と短いものです。しかし、150年の間に鎖国から開国し一気に西洋文化が入ったことだけでなく関東大震災や第二次世界大戦そして復興と目まぐるしく街の景観が変わりました。東京都内で「江戸」を感じられるスポットは限られています。

今回は、学校で学んだ江戸時代の歴史に思いを馳せながら「東京に残る江戸の風景」をご紹介していきます。

江戸の名残を感じる上野公園

(画像:photpAC)

日本の「公園」第一号の一つでもある上野恩賜公園。不忍池を含む広大な敷地は江戸時代、幕府との繋がりが強い寛永寺の境内でもありました。1625(寛永2)年に徳川家康の側近として有名な天海大僧正により建立された由緒ある寺院です。

幕末の戊辰戦争、いわゆる上野戦争で大半の建物が消失。歴史ある寺院ですが明治政府により敷地を没収され、公園や博物館などが整備されることになりました。時代に翻弄された寛永寺は1879(明治12)年に旧子院大慈院の跡地に移転し、現在に至ります。

(画像:photoAC)

上野の風景としてお馴染みの「不忍池と五重塔」。国の重要文化財でもある五重塔は1631(寛永8)年に建立したものの8年後に消失。同年に再建した歴史があります。戊辰戦争や大震災そして、戦火という悲劇に見舞われた上野界隈の中でも、江戸の姿を今に伝える貴重な建造物です。

五重塔の名称に「旧寛永寺」という名がついていますが、元々は上野東照宮に属するものでした。明治維新での神仏分離令で取り壊されることを避けるため、寛永寺管理とした経緯があるからです。上野恩賜公園には上野東照宮もあり、東京都心でも「往時の江戸」を感じられる寺社仏閣が集まっています。

・寛永寺台東区上野桜木1-14-11JR京浜東北線、山手線・鶯谷駅より徒歩10分

・上野東照宮台東区上野公園9-88JR山手線・上野駅公園口より徒歩10 分京成本線・京成上野駅より徒歩12 分東京メトロ銀座線または日比谷線 ・上野駅より徒歩10 分

江戸時代の埋立地でもある浜離宮恩賜庭園

(画像:photoAC)

東京湾岸の埋立地というと「夢の島」や東京臨海副都心である「お台場」が有名です。しかし埋め立て事業自体は江戸初期から行われてきました。月島、佃島や築地そして深川は江戸時代からすでに埋め立てが行われていた地域です。

埋め立て自体が珍しいものではなかった江戸時代、将軍の鷹狩場でもあった現在の「浜離宮恩賜庭園」周辺は当時、葦が茂る湿地帯でした。四代将軍家綱の弟であり、六代将軍家宣の父親でもある甲府藩藩主の松平(徳川)綱重が屋敷を作るため埋め立てをしたことが庭園の始まりです。

江戸時代を通じ、改修工事や造園が繰り返されていきました。明治時代になると皇室の離宮となりましたが、大震災や空襲の被害で貴重な歴史的建造物は消失。昭和末期からは江戸時代の建造物の忠実な再現が進み、庭園内は当時の雰囲気を取り戻しつつあります。

(画像:photoAC)

約25ヘクタールの広大な敷地内には季節を彩る花々が咲き誇り、都心にいながら自然と堪能することができます。

汐留の高層ビル群に囲まれる海水の池「潮入りの池」は、東京湾の海水を引き入れており、東京都内ではこの浜離宮恩賜庭園のみとなっています。大名庭園の風情を感じる貴重な場所です。

・浜離宮恩賜庭園・中央区浜離宮庭園大手門口:都営地下鉄大江戸線 ・築地市場駅、汐留駅より徒歩7分ゆりかもめ・汐留駅より徒歩7分JR東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線・新橋駅より徒歩12分

中の御門口:都営地下鉄大江戸線・汐留駅より徒歩5分JR山手線・浜松町駅より徒歩15分

江戸を目で感じる場は少ない

浜離宮恩賜庭園(画像:photoAC)

東京都心のこの150年は江戸時代の約250年に比較できないほど様々なことが起きました。さらに、江戸時代の「江戸」は現在の東京都心よりも狭く、新宿も江戸の中心部から遠い地域という認識でした。

つまり真の意味での「江戸」は限定的な地域であり、戦乱や開発で江戸と東京は全く別の街へと変貌を遂げたのです。しかし、上野恩賜公園や浜離宮恩賜庭園の敷地内には確かに江戸の雰囲気が残っています。

在りし日の「江戸」を探し求めて散策してみると、この激動の150年の時の流れを感じるきっかけになるかもしれません。

日野京子(エデュケーショナルライター)

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