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富士山の頂上は静岡県か山梨県か?その正解、まさかの・・・どちらでもない!!

  • 2022.6.5
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日本一の山で有名な富士山は、日本人だけでなく外国の方にも広く知られていますよね。 では、富士山は何県にあるかご存知ですか?

この質問で結構もめるのが、静岡県か山梨県かという問題ですね。 静岡県出身と山梨県出身の方の間で結構激しい議論になりがちです。

そしてさらに、山頂部分はどちらにあるのか?という問題もあります。

今回は富士山はどこにあるものか、そしてその山頂はどこのものなのかを詳しく見ていきますね。

静岡県と山梨県にまたがる富士山

 

富士山は日本一の山だけあって、規模も大きいです。 結論から言ってしまうと、静岡県から山梨県にまたがるように存在しています。

よく表富士と裏富士という呼び名がありますが、表富士が静岡県側、裏富士を山梨県側から見た場合の呼称です。

表富士とよばれる静岡県側

富士山の南麓側、つまり静岡県側から見た富士山のことを表富士といいます。 宝永火口が見える方が表富士です。

ちなみに富士山は静岡県の場合、富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町が含まれます。

裏富士と呼ばれる山梨県側

富士山麓にある5つの湖、通称「富士五湖」をご存知ですか?

本栖湖、精進湖、西湖、河口湖、山中湖の5つの湖です。

この富士五湖はいずれも山梨県側、山梨県南都留郡にあります。

ところでこの富士五胡がある山梨県側の富士山の場合は、山梨県富士吉田市と南都留郡鳴沢村が富士山には含まれています。

表富士と裏富士という通称の歴史

静岡県側の「表富士」と、山梨県側の「裏富士」。

この2つの呼び名はかなり前からあったようです。 1814年に作られた地誌の「甲斐国志」では南麓を表、北麓を裏とされています。

また、葛飾北斎や歌川広重の作品の中には「裏富士」の含まれた作品もいくつかあります。

ということは、江戸時代には表富士と裏富士の呼び名はかなり定着していたようですね。

静岡県でも山梨県でもない富士山山頂

 

先に見たように、富士山は静岡県から山梨県にまたがるような形でそびえています。その山頂がどちらにあるのか気になりませんか? 結論から言うと、静岡県でも山梨県でもどちらでもありません

どの県にも属さない富士山頂

日本には境界未定地域が2018年10月現在、14ヵ所あります。 この中の1つに、富士山頂が含まれています。

ちなみにこの状況は当面、据え置きになるようですね。

なぜなら2014年1月に開催された、富士山世界文化遺産協議会が行われた際の記者会見で、当時の静岡県知事と山梨県知事がそれぞれ県境は定めないと明言しているからです。

便宜上の住所は静岡県

富士山の山頂には山小屋がありますし、かつては有人の富士山測候所がありました。

どちらの県にも属していないとなると、郵便物を富士山頂まで送る場合どうすればいいのか、という問題が出てきます。 この問題を解決するため、山小屋や富士山測候所には静岡県の住所が付与されています。

ただし、これはあくまでも便宜上の問題であり、正式な住所ではありません。

富士山頂は私有地

 

富士山頂は静岡県にも山梨県にも属さないというのも驚きですが、さらに驚くことに実は私有地であったりします。 富士山頂は誰の土地で、どのような経緯でそのようになったのか、詳しく見ていきましょう。

富士山の8合目から上は浅間神社のもの

富士山の8合目よりも上、登山道と富士山測候所を除く地域は、富士山本宮浅間大社の私有地という扱いになっています。 この歴史は江戸時代にさかのぼります。

徳川家康の庇護の下で、浅間大社は本殿をはじめとした建物の造営や内院散銭取得に関する優先権を得ました。 これを基にして、富士山頂は江戸幕府から寄進される形になりました。 それ以来、浅間大社の境内という扱いとなっています。

戦後は一時的に国有地だった

明治時代になると、富士山頂は浅間大社から召し上げられ、国有地に変更されました。

ところが時代が下った第二次大戦後、新しい政治体系として政教分離政策がすすめられました。 その中で、宗教活動をするにあたって必要な土地が無償で返還される運びとなりました。

こうしてみると、国有地だった富士山の8合目以上は宗教団体である浅間大社に返還されるはずです。 ところが当初、返還されることはありませんでした。

そこで浅間大社は、国を相手取り裁判を起こしました。 実に17年もの長期裁判となったのですが、浅間大社が勝訴します。

このような経緯があり、現在では浅間大社の私有地という扱いになりました。 なぜここまでもつれてしまったのか、これは「宗教活動上の必要性」と「国有とする公益上の必要性」が真っ向からぶつかり合った結果です。 司法の判断により最高裁まで浅間大社が全勝しましたが、なかなか決着しなかったのは市議会や国立公園協会といった様々な団体が反対大会を開いて抵抗したからです。 私有地になると入山料をとられるかもしれない、富士山を観光拠点として活用できなくなるのでは、という懸念が市民側にあったからです。

しかも裁判に勝利しても、浅間大社にいつまで経っても土地返還されませんでした。

最高裁の判決から30年後の2004年、財務省東海財務局が土地の無償譲与する通知書をやっと出しました。 なぜ判決からさらに30年もの月日がかかってしまったのでしょうか?

それは登記の問題だったとされています。 譲与するためには移転登記が必要なのですが、富士山頂の県境が未確定で手続きできなかったわけです。

県境問題については前述したように2020年現在も解決していません。 現在も富士山頂部は境界不明となっています。

そこで浅間大社側の要望、つまり土地の譲渡手続きだけ先に済ませることで解決し、名実ともに富士山頂部は浅間大社の所有する境内の一角となったのです。

まとめ

 

富士山は静岡県と山梨県、どこのものという議論は該当する県民同士でしばしば議論になりますよね。

しかし、富士山頂はどちらのものでもありません。これって意外な感じがしませんか?

また、富士山頂は私有地であるのも知らなかったという人も多いでしょう。 しかも裁判ですったもんだがあったというのも、いまではあまり知られていないかもしれませんね。

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