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【「朝鮮王朝実録」の証言で判定】トンイと張禧嬪はどちらが究極の美女だったのか

  • 2022.5.27
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518年間続いた朝鮮王朝の女性史を見ると、究極のライバルと称される宿敵同士は、やっぱりドラマ『トンイ』で描かれたように「トンイと張禧嬪(チャン・ヒビン)」の2人であったに違いない。

この場合のトンイとは粛宗(スクチョン)の側室だった淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)であり、張禧嬪(チャン・ヒビン)は「朝鮮王朝三大悪女」の1人に数えられる女性だ。結局、張禧嬪は粛宗の側室から王妃に昇格したが、粛宗が淑嬪・崔氏のほうに気が移ってしまい、張禧嬪は再び側室に降格となってしまった。

いずれにしても、1690年代に淑嬪・崔氏と張禧嬪は王宮の大奥の主導権を争って激しく火花を散らしていた。

そうした事実を把握したうえで、ここで興味深い問題として取り上げたのが、「淑嬪・崔氏と張禧嬪はどっちが美女だったのか」ということだ。それを判定するために、「朝鮮王朝実録」の記述を改めて見てみよう。

「朝鮮王朝実録」で張禧嬪の記述が出てくるのは1681年ごろからだ。当時の張禧嬪はわがままな性格で宮中でも評判が良くなかったのだが、「すこぶる美形」という表現が何度か出てくる。

ドラマ『トンイ』の美人女優対決はどちらに軍配を上げる?
美女好みであった粛宗

基本的に「朝鮮王朝実録」が女性の容姿について触れることはほとんどないのだが、張禧嬪だけは例外のように美貌を誉めている。その記述を鵜呑みにすれば、張禧嬪が絶世の美女であったと言っても間違いではないだろう。

一方の淑嬪・崔氏はどうなのか。

彼女に関しては、「朝鮮王朝実録」も容姿についてまったく触れていない。「淑嬪・崔氏が毒殺されそうになった」とか「淑嬪・崔氏が粛宗に、張禧嬪が行なった呪詛(じゅそ)を告発した」といった記述が出てくるものの、美女であったという証言が出てこない。

とはいえ、美女好みであった粛宗が側室として寵愛するほどだから、淑嬪・崔氏が美女であったことは間違いがない。とはいえ、それは推測の域を出ない。しかし、張禧嬪の場合は「朝鮮王朝実録」で美女の証言が何度も出ている。

こうした記述から判断すれば、「トンイと張禧嬪の美女対決」は張禧嬪のほうに軍配を上げてもいいのではないだろうか。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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