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「利他」は、「利己」の対義語ではない。

  • 2022.5.6

コロナ禍で誰もが苦しい思いをするなか、「利他」というキーワードが注目されている。2022年3月、東京工業大学の未来の人類研究センターがオンラインで開催した「利他学会議」には、2日間で約3000人が参加した。

「利他」と聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか。自分のためでなく、他人のために。たいていの人は、「利他」を「利己」の対義語だととらえているだろう。

しかし実は、それは間違いだ。

日本で最初に「利他」という言葉を使ったのは、平安時代の真言宗開祖、空海だと言われている。空海は単に「利他」ではなく、「自利利他」と書き記した。「自利」と「利他」は正反対どころか、切っても切れない、地続きの関係なのだ。

空海・最澄や、孔子・孟子、二宮尊徳など、さまざまな人物の「利他」を追って、本当の「利他」とは何かを探る本が、『はじめての利他学』(NHK出版)だ。

では私たちはなぜ、「利他」を「利己」の対義語だと思ってしまうのか。もちろん、現代の私たちが「利他」を考えるとき、平安時代の仏教までさかのぼることはまずないだろう。では私たちがどこに立って「利他」という言葉をとらえているかというと、大部分は西洋の思想だ。

西洋における「利他」にあたる言葉は、「altruism(仏・アルトゥルーイスム)」=「利他主義」。空海の言う「利他」とは意味がずれるが、訳語として「利他」が用いられた。

「altruism」は19世紀フランスの哲学者オーギュスト・コントが提唱した概念であり、「egoism」=「利己主義」の対義語として作られた言葉だ。「altruism」は、他者をいつくしみ、他者の立場に立って考え、行動すること。多くの人が「利他」と聞いて思い浮かべる定義だろう。

「altruism」では、自己と他者は明確に別のものだ。「自分ではなく、相手を大事に」と考えるのだから当然だろう。一方で、翻訳語ではない仏教用語の「利他」はそうではない。「自利利他」の言葉通り、自己と他者は分断されず、まるで一つのもののようにとらえられているのだ。仏教に、「自他一如」という言葉がある。「一如」とは、通常二つであるはずのものが一つになっていること。東洋では、「自」と「他」は「一如」の関係にある。西洋の考え方とはまるきり違うことがわかるだろう。

東洋の「利他」は、なんと「altruism」よりも1000年以上古い言葉だ。「利己主義」とは関係なく東洋にもともと存在する「利他」とは、どんな思想なのか。空海の書いた「利他」の本当の意味を知れば、私たちはもっと深く他者を愛し、大切にできるようになるだろう。

【目次】
第0章 なぜ今、「利他」なのか
第1章 利他のはじまり
第2章 「利」とは何か
第3章 利他を生きた人たち
第4章 利他のための自己愛

■若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんプロフィール
1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、第16回蓮如賞受賞。その他の著書に『悲しみの秘義』(文春文庫)、『沈黙のちから』『詩集 美しいとき』(亜紀書房)、『詩と出会う 詩と生きる』『14歳の教室 どう読みどう生きるか』『考える教室 大人のための哲学入門』(NHK出版)など。

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