1. トップ
  2. 池袋暴走事故から3年「老親が免許返納してくれない」…なぜ?どうすればいい?

池袋暴走事故から3年「老親が免許返納してくれない」…なぜ?どうすればいい?

  • 2022.4.18
飯塚幸三受刑者(2019年6月、時事)
飯塚幸三受刑者(2019年6月、時事)

4月19日、東京・池袋の乗用車暴走事故の発生から3年がたちます。車を運転していた飯塚幸三受刑者は、自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)罪で禁錮5年が確定して収監され、全国的に高齢者の運転免許返納も急増しましたが、一方で、「高齢の親に免許返納を促しているが、受け入れてくれない」という声も、しばしば聞きます。

なぜ、飯塚受刑者のような事故を起こす恐れがありながら、彼らは、返納を促すわが子の訴えに耳を傾けないのでしょうか。どのように納得してもらえばよいのでしょうか。考えてみましょう。

大きな喪失感と抵抗感

免許返納を受け入れられない理由は人それぞれだと思いますが、まずは「免許を返納してしまうと生活できない」という人が一定数います。都会に住んでいて、公共輸送機関を便利に利用できる人はいいのですが、バスは一日に数本しか来ないし、車がなければ買い物にも病院にも行けないという人たちも、少なくないはずです。こういった人にとっては、車(=運転免許)はライフラインでもあり、免許返納を簡単に受け入れられないのも無理はありません。

移動の自由を奪われることは、QOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)の著しい低下を招きます。子どもたちが成長して、自分でできることが増えると大喜びするのと対照的に、これまで自分ができていたことができなくなると、大きな喪失感を伴うものですし、身体的にも精神的にも活動量が下がり、老化を早めたり、疾患を増やしたりする原因になる場合もあります。

老いは長生きすれば誰にでも訪れるものですが、私たちの多くが実際の年齢より若く見られたいと思っていることからも、「自分が老いていくことを認めたくない」という気持ちがあるのは明らかです。「自分一人で移動できなくなって、誰かの世話になりたくない」「自立していたい」という気持ちもあるでしょう。

また、親にとってわが子は、かつては自分たちが守り、育ててきた存在です。子どもが小さく自分もまだ若くて元気な頃は、子どもが親に意見をすることは、まれだったのではないでしょうか。ですから、子どもから、自分に関することで意見を言われること自体に、抵抗がある人も多いかもしれません。

資格を持った教習所の指導員や、客観的なデータに基づいた機械による判定には納得する人も、家族から運転について何か言われることには抵抗がある、とするデータもあります。

「説得」ではなく「納得」を

一方で、加齢によって安全な運転ができなくなったドライバーがいつまでもハンドルを握っているのは、交通社会全体の安全にとっては、マイナスです。従って、そうした人には、運転を諦めてもらう必要があります。

しかし、彼らは見方を変えれば、「交通社会全体の安全のために、犠牲になる人たち」でもあります。ですから、こういった人たちが運転を諦めた後も、QOLが下がらないように、可能な限り、移動の手段や機会を確保する必要があります。

それは、買い物や通院など、生存のために必要な移動ができれば良いという意味ではなく、その人が「より良く生きていく」ために、移動手段を確保するという視点も必要です。生存に必要ではなくとも、趣味の集まりに行くことや、気の合う友達に会いにいくこと、旅行をして気分転換をすることなどの自由が奪われないような配慮が必要です。

また、伝え方や誰が伝えるかも重要です。頭ごなしに「免許を返納すべきだ」と説得するのではなく、相手の気持ちに寄り添い、ニーズや困り事、心配事を受け入れ、どうすればよいか一緒に考え、自分から決断できるように導いていくことが重要です。そのためには、家族以外の人の力を借りる必要があるかもしれません。

取り得る選択肢や最善の答えは、それこそドライバーの数だけあるはずです。「説得」に応じてくれない高齢ドライバーが身近にいる皆さんは、まずは粘り強く話を聞き、相手の気持ちに寄り添うところから、始めてみてはいかがでしょうか。

池袋暴走事故のような悲劇を、あなたの大事な親が起こさないために。

近畿大学生物理工学部准教授 島崎敢

元記事で読む
の記事をもっとみる