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「女性には女性のよさが…」NTT澤田社長の入社式あいさつは何が問題だったのか

  • 2022.4.15
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朝日新聞などの報道によると、NTTの澤田純社長が、4月1日に行われた入社式のあいさつで、「(男性と女性では)能力や特性の得意な分野が違う」と発言。これに対し、臨床心理士で公認心理師の村中直人さんは「科学的根拠を持ったジェンダー観に認識をアップデートして」とツイートした。澤田社長の発言はどこに問題があったのか、村中さんに聞いた――。

方向性は間違っていないが、認識が古い

NTTの澤田社長のあいさつを拝見すると、積極的に女性を登用しようという姿勢をお持ちのようですし、ダイバーシティへの意識も高いのではないかという印象を受けます。男女で協力し、生産性を高めながら働きましょうというメッセージを込められていたと思います。その方向性は素晴らしいと思いましたが、残念なのは発信の根拠となる部分です。

真意はわかりませんが、報道されている限りでは、「男女の能力や特性は明確に違う」「人間の能力や特性の違いは、男女というカテゴリーによって傾向が大きく異なる」ということを前提に発言されています。つまり、男性か女性かがわかれば、おおよその得意と苦手がわかるはず。そして、男女それぞれで異なる得手不得手を、相互に尊重し合い、補い合って働くことがダイバーシティの推進であると考えていらっしゃるように受け取れます。

多様性を尊重するという意味の方向性には私も賛同するところですが、認識が古く、近年の研究知見をアップデートされておられないように見受けられます。

「男性脳」「女性脳」は存在しない

近年、「脳の機能が、男女によって違う」という考えは誤りであることが、科学的にわかってきています。

もちろん男女で脳の平均を取ると、差が存在しないというわけではありません。ただ、昔言われていたほどに違うわけではないことがわかっています。脳の機能は、個人によってものすごくバラバラで、「平均的な女性の脳」や「平均的な男性の脳」を持つ人は、ほとんど存在しないそうです。

このあたりは、イスラエルの神経科学者、ダフナ・ジョエルさんの『ジェンダーと脳 性別を超える脳の多様性』(紀伊國屋書店)に詳しいのでぜひご一読いただきたいのですが、この本によると、典型的な男性脳、典型的な女性脳を持っている人はたった2%しかいなかったというデータがあるそうです(経営者や人事の方々にはぜひ、この本を読んでほしいと思います。これ1冊だけでも、ジェンダー観が格段にアップデートできると思います)。

発達障害にカテゴライズされる人の割合は、人口の6~7%程度だと言われていますから、典型的な男性脳、典型的な女性脳を持っている人の割合の低さがわかると思います。ほとんどの人が、女性的な特徴と男性的な特徴の両方を持っていて、その組み合わせは一人ひとり異なっており、複雑なモザイクを作っているそうです。平均的な男性よりも男性的な脳を持っている女性もたくさんいますし、平均的な女性よりも女性的な脳を持っている男性も、当たり前に存在するのです。

こうした科学的リテラシーがあれば、「女性には女性のよさ、男性には男性のよさがある」など、人の特性を単純に男性と女性で分けるような発言は、出てこないように思うのです。

人工知能のコンセプトイメージ
※写真はイメージです
「性差」よりも、圧倒的に「個人差」

一方で、正直「仕方ないかな」と思うところもあります。というのは、こうした最新の科学的な知見を踏まえた経営はまだ一般的ではなく、これから理解が広がる分野だろうと思うからです。

なぜジェンダーの専門家でもなければ、脳・神経科学の研究者でもない私が、ここまで言うのかというと、私の主な専門領域である「ニューロダイバーシティ」につながるテーマだからです。

ニューロダイバーシティとは、脳や神経の多様性をあらわす言葉です。人の脳や神経の働き方は、男女はもちろんのこと、発達障害か否か、などのカテゴリーで分けられるものではないくらいに多様です。男性か女性か、といった性差よりも、圧倒的に個人差の方が大きいのです。

それだけを聞くと、「ビジネスや経営にどんな関係があるのか?」と思われるかもしれません。しかしこれは、実は非常に大きな意味を持ちます。

例えばひと昔前は、ビジネスで活躍できるエース級人材の「人物像」を描き、その条件に合う人ばかりを採用しようという動きがありました。しかし、あまりうまくいかなかった。いくら優秀だとされる人であっても、まったく同じような人が集まるだけでは、強い組織にはならないからです。

非常に優秀なAさんのところに、Aさんと似た、Bさん、Cさん、Dさんが加わっても、4人の集合知は、Aさん1人のときと大して変わりません。アイデアの幅も、発想の盲点も似てしまうからです。似た人間をどれだけ集めても、集合知は高まらないのです。多様な4人が集まるほうが、集合知は高まります。

同様に、「男性」という型と「女性」という型に人を押し込めてあてはめ、2種類の型が集まったときの集合知よりも、こうした型を取り払い、個々の多様性を活かした状態で集まった方が、各段に集合知は高くなると考えられます。

経営者は「時代は変わっている」というメッセージを

できれば澤田社長のような、影響力のある企業の経営者の方には「均一的な人間理解による標準化の時代から、人の多様性を基準とした個別最適化の時代に移っている」というメッセージを出してほしかったと思います。

産業革命以降の、これまでの時代は、業務の平均化、標準化によって効率化が進みました。ある意味、人の「個性」「個人差」はないものとして「平均人へいきんじん」を描き、そこに合わせて標準化され、効率化された業務を定めて、人間にはその通りのことをするように求めました。それで確かに産業や経済は爆発的に成長しました。

しかし今、社会が大きく変化しているのに、多くの企業も私たちも、なかなかこれまでの成功体験から脱却できていません。

誰も幸せにしない「平均人」

平均人は、実は「存在しない人」です。あらゆる面において平均的な人は誰もいないからです。だから平均人をモデルにした標準化に、ぴったりフィットする人はいません。誰もが「自分にはぴたっと合っていないな」と感じながら仕事をしています。つまり、誰も幸せにしない姿なのです。

それでも、拡大し続けるマーケットに向けて効率と大量生産を追求した高度成長期まではうまくいったかもしれません。でも、それで2022年の世界にマッチするでしょうか?

私たちの多くが、ほんの数年前にはまさかコロナ禍や大国の戦争が起こるなんて、想像もしていませんでした。これほど先の読めない、変化のスピードが速い時代に、イノベーションを生むどころか、誰も自分の能力を最大限に発揮できていない状態で、やっていけるでしょうか。

平均人という、たった1つの型に人を当てはめるやり方よりも、「男性」「女性」という型のほうが種類は多くなります。しかし、それで「個別最適化しています」とはとうてい言えません。性別だけでは、分類の「箱」が大きすぎるのです。一人ひとりにパフォーマンスを発揮してもらい、集合知のパワーを生み出すにはどうすればいいかを考えなくてはならない時代に、性別だけでは解像度が低すぎると言わざるをえません。

社会的圧力が作る性差

そもそも男性の中にも女性の中にも多様性があります。その多様性というのは、基本的に「特性」×「経験」で決まっていきますが、社会的プレッシャーなどが性差を形作ってしまうことがあります。

たとえば本来、単純なカテゴリーとしての「男性脳」「女性脳」は存在しませんが、「女性はこうあるべき」「男性はこうあるべき」という社会的な圧力などによって、能力上の性差が明確にあるかのように見えることがあります。

「女性は理系科目が苦手」というのは典型的な例です。周囲が「女の子は算数や理科が苦手だから」と言い続けることで、本人が「自分は苦手なんだ」と思い込んでしまったり、学部や職業を選ぶときにも、理系の道に進むことをあきらめてしまったりします。その結果、今も理系の学部や理系とされる職業は、圧倒的に男性が高い割合を占めています。

関連する話として、今、発達障害の世界では、「(社会的)カモフラージュ」や「マスキング」という言葉が注目されていますが、社会が作り出す性差の問題も、非常に似ていると感じます。

性別でも起きる「カモフラージュ」「マスキング」

これらの言葉は、発達障害の人たちが「多数派と同じようにふるまうべき」という社会的圧力を感じて、意図的に周囲に受け入れやすい自分を演じることを指しています。しかし、こういったことを長く続けていると、演技している自分と本当の自分の境目がわからなくなって、本人が自分を見失ってしまうことがよく起きます。その人が本来持っている能力を奪い去ることになってしまうのです。

性別でも「カモフラージュ」や「マスキング」が起きていて、社会で求められる男性、女性の「あるべき姿」に自分を当てはめるために、それぞれの人が本来持っている能力を隠し、奪っているということがあるのではないでしょうか。

「レンガモデル」から「石垣モデル」へ

性別、国籍、年齢、障害の有無などの、ある意味おおざっぱなカテゴリーに着目した「多様性」は、多様性尊重の入り口にすぎません。目指したいのは「一人ひとり」に着目した多様性です。

それを説明するとき、最近私がよく使っている言葉が「『レンガモデル』から『石垣モデル』へ」です。

レンガは、形も大きさもすべて規格化されて均一です。組み上げるのが容易ですし、1個壊れても、替わりのレンガを当てはめれば済みます。でも、人間をレンガモデルに当てはめる場合、その人のいろいろなでこぼこを削り取って、レンガの形に合わせないといけません。削り取ったでこぼこの部分は使われませんから、もともとその人の持っているものすべては活用されません。

レンガモデルを採用している企業にとって、自分のでこぼこをぎゅっと中に押し込めて、決められたレンガの形に合わせてくれる人材は、非常に使い勝手がよいと思います。そうした人材はおそらく、どこの部署でもそれなりに成果を上げるし、誰とでもうまくやれるからです。

しかし、そういったやり方に限界が来ていることに、誰もが気付き始めているのではないでしょうか。

でこぼこを削り取って決められた形に変えるのではなく、石そのものの形を活かし、うまくほかの石と組み合わせていくのが「石垣モデル」です。これはもちろん、高度なマネジメント能力が必要ですし、誤った認識に沿ってマネジメントを行うことがないよう、科学的なリテラシーが欠かせません。

積み上げられたレンガ
※写真はイメージです
どんな石にも役割がある

石垣モデルのいいところは、どんな小さな石にも、どんな複雑な形の石にも役割があるところです。

小さな石、複雑な形の石というのは、これまでは能力が低いとされていた人かもしれませんし、短時間しか働けない人かもしれません。いろいろな大きさ、形の石を組み合わせるからこそ、強固で災害にも強い、しっかりとした建物をつくることができます。もしもそこに男性と女性の2種類の石しかなければ、レンガよりは強固になるかもしれませんが、複雑に組み合わされた石垣にはとうてい及びません。

もしかすると「短期的に利益が立つもの」「答えがわかっているもの」については、レンガモデルのほうが優れているのかもしれません。建てては壊し、建てては壊すことを繰り返すことも簡単かもしれません。しかし、これから未来に続くビジネスモデルを構築しよう、社会にイノベーションを起こすような価値のある仕事をしようと思ったときには、レンガモデルでは土台が弱すぎます。

「男性・女性の得意」ではなく「あなたと私の得意」

さらに、これから「個人の時代」になっていくことを考えると、自ら考え能動的に行動する優秀な人ほど、組織に属することを選ばなくなるでしょう。会社としては、そういった優秀な人に「働きたい」と思ってもらえるような価値ある会社になる必要があります。

しかし、レンガモデルの組織では、ほかにも代わりがたくさんいるので、自分である必要がないばかりか、自分の持っている能力のすべてを発揮できません。そこには人が集まらないでしょう。自分が持つ力を活かしながら、組織でなければできないような大きな仕事ができるところにこそ、優秀な人が集まるはずです。

コロナ禍が長期化し、海の向こうでは戦争も起きています。どことなくどんよりした空気が広がっていますが、だからこそ経営者のみなさんには、希望が感じられるような、未来を見据えた発信をしてほしいと思います。

おそらく、多様性の重要性は、みなさん既に理解されていると思います。方向性はそのままに、少し認識を変えていただくだけでよいのです。「男性の得意と女性の得意を、役割分担して働きましょう」ではなく、「あなたの得意と私の得意を、役割分担して働きましょう」とアップデートするだけの話なのだと思います。

構成=池田純子

村中 直人(むらなか・なおと)
臨床心理士、公認心理師
1977年生まれ。一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事。Neurodiversity at Work株式会社代表取締役。人の神経学的な多様性に注目し、脳・神経由来の異文化相互理解の促進、および学びかた、働きかたの多様性が尊重される社会の実現を目指して活動。2008年から多様なニーズのある子どもたちが「学びかたを学ぶ」ための支援事業「あすはな先生」の立ち上げと運営に携わり、現在は「発達障害サポーター's スクール」での支援者育成にも力を入れている。著書に『ニューロダイバーシティの教科書 多様性尊重社会へのキーワード』(金子書房)『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)がある。

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